対話
我々は木村の肉親ではないが、例外的に取材の許可が下りた。刑務所長へのインタビューとか、余計な事をしなければならなくなったが、矯正施設への宣伝の一環ということで体裁を整えたのだから、仕方ないことではある。
すっかり顔なじみになった、フロントマンに、
「いってらっしゃいませ」
と、送り出されて、俺たちは堺市駅を目指した。
大阪医療刑務所の前には、広報課長だという人物が俺たちを待っていた。 刑務所は、その施設の特殊性から、地元から排斥運動がおこることがあり、地域貢献とか、安全性とか、そういったものを、あらゆる機会をつかまえてアピールする必要があるらしい。
佐藤が、どんな美辞麗句を並べたのか知らないが、タネを明かしてしまうと、ここで行われるインタビューや取材は、活字にはならない。
そもそも佐藤は「自称・ジャーナリスト」なのであって、どこかの雑誌社に売込みしたとかそういった行動は、少なくとも俺と一緒の間は一度もない。
所長室に案内されて、俺はバツの悪い思いをしながら、カメラを撮る振りをする。佐藤は、例の愛想のいい笑顔をふりまきながら、和やかに所長と談笑していた。
真面目な所長なのだとういことが、聞いていてわかる。収容されている受刑者に気を配り、きちんとリハビリして、社会復帰できるよう、最大限の努力をしているのが伝わってきた。
刑務所は法務省の管轄だから、所長も広報課長も公務員なのだろうが、日本の公務員は、一部の腐敗分子を除けば、とても清廉で仕事熱心なものらしい。これが、民度と言われるものか。まぁ、同じ公務員でも、氏家のような腐った奴はいるが。
一通り、施設内を案内してもらい、俺たちは面会室に向った。
木村は第1級の累進処遇なので、刑務官は立ち会わない。会話も記録されない。俺たちにとって、ここからが本番だった。
立ち去る際に所長室にお邪魔することを約束して、俺たちは荷物を全部集めて刑務官に渡し、小さな会議室といった風情の面会室に入った。
刑務官に付き添われて入ってきたのは。車椅子の木村だった。逮捕前の写真は見ていたが、その画像とくらべると、だいぶ痩せていた。
不健康に浮腫んでいた顔はすっきりと細くなり、そうなると、なかなかの色男だ。芸能情報に全く疎いので、咄嗟には名前が出てこないが、若手の歌舞伎役者に似ている。
ただし、目だけは用心深い狐の様な目をしていて、まずは俺を品定めし、次いで佐藤を品定めしていた。
やがて、酷薄そうな唇が笑みのようなものを刻む。
刑務官は、車椅子のストッパーをかけて、面会室の外に出てゆく。テーブルにあるスイッチを押せば、面会は終わりというサインで、木村を迎えにまた刑務官が来ることになっている。または、木村が暴れたりした時も。
俺は無表情を保って木村を見ていた。ただ、木村を見る。感情は決して見せない。軽蔑もしない。まるでモノを見るかのように木村を見続けること。これが、佐藤に言われた俺の役目だった。
佐藤も何も言わない。30分というタイムリミットがある。貴重な時間が音を立てて流亡するようで、俺は内心動揺していた。この動揺が表情に出ていなければいいのだが……。
「うまく、昌子の馬鹿をタラしやがったな。恐れ入ったぜ」
先に口を開いたのは木村だった。軽薄な高い声を想像してのだが、寂びの効いたいい声だった。
「タラしただなんて、人聞きが悪いな」
けくけくと笑いながら、佐藤が応じる。
「俺に近づくための擬装だろ?」
ぎいぎいと鳴ったのは、木村の義足だ。足裏にあたるところを床に擦り付け、小さく車椅子を揺らしている。貧乏ゆすりみたいなものだろう。
「その通り。女は恋愛話がすきだからね」
あっさりと、佐藤は手の内を晒した。木村の端正な顔の表情が動く。きっと意外だったのだろう。
「……で、俺と会ってどうすんだ?」
駆け引きもなにもない。木村もまた、単刀直入に佐藤に斬りこんでゆく。
「情報が欲しい。そのために、こちらも対価を用意する」
そんな佐藤の言葉を聞いて、木村は噴き出した。
「話にならねぇ。俺は、あんたがどこの誰で何者か、よく知らんのだぜ」
木村は凶暴な男だ。余裕がある振りをしているが、もうこめかみには青筋が立っている。激昂寸前といったところだ。
だが、それを意思の力で抑えているのは、累進処遇第1級を手放したくないため。級が1号下がっただけで、扱いはずいぶんと変わる。
木村が俺を横目で見る。俺をまっすぐ見ることはないが、必ず視界に入るようにしているのがわかった。
以前、高級中華の店で、叶というヤクザまがいの男が、佐藤と話をしながら俺を視界内に収めていたのと似ている。
「君は、私の事を知らないが、私は君の事を知っている。ここは、足場が不安定な崩れかけの小島のようなものだ。鮫が、背びれを見せて、周囲を遊弋しているよ」
木村の顔色が変わった。木村はずっと犯罪の世界に生きていたので、危険に対する本能的な嗅覚が敏感だ。
すご腕の鉄道警察隊に何度も狙われても、絶対捕まらなかった元・掏師の爺さんがバッド・カンパニーの近所の居酒屋にいて、俺は飯をおごってもらったものだが、その爺さんが、『独特の嗅覚』について話してくれた。
彼が言うには自分が狙われている時、それがわかるのだそうだ。視線が物理的な力を持って、背中を刺すような感覚。それを感じた時は、どんなにチョロいカモが目の前にいても、決して仕事をしなかったらしい。
木村はそれと同じものを持っているらしい。具体的に見えなくても、荒事師たちが、手ぐすね引いて待っているのは分かるのだろう。
吹けば飛ぶようなシャボン玉みたいな生き方をしていながら、今まで生き延びてきたのは伊達ではないということだ。
「君の引き伸ばし策も限界だろう。1年近く、どこかしら激痛を感じているなんて、私には耐えられないね」
そんな佐藤の言葉に木村が俯く。延命の代償が怪我だ。それも、入院が必要なほどの怪我をしなければならない。痛みはずっと続く。さぞ辛いだろうなと思う。
「左上腕骨折、全治2ヶ月。右肩圧迫骨折、全治3ヶ月。胸部骨折、全治3ヶ月。おお……これは、呼吸だけでも痛かっただろうね。直近は左手首骨折か。全治2か月。これは、だいぶ良くなったようだね。次はどこにするんだい?そろそろ次の怪我をしないと、外に出ることになるよ」
木村が瘧にかかったかのように震えだした。俺を覗き見る目が、脅えている。佐藤は、そんな木村を薄く笑いながら見ていた。
「また、骨折の痛みを繰り返す? 今、ここで折ってあげようか? 私の隣の男だがね、骨を折るのが大好きらしいよ」
俺は、わざと身じろぎする。木村は可哀想なくらい脅えていた。
「体の骨のどこかを折るか、外に出されるか、君には2つの選択肢しかない。でも、ただ外に出ただけなら、君は確実に死ぬ。それは確定事項だ」
佐藤は、わざと極論を言っている。
木村が死ぬほど脅えていて、もともとこいつが小心者だという事を見抜いていたのだろう。
木村はDV野郎だ。DV野郎は、弱い者にはめっぽう強く、強い者にはめっぽう弱い。
佐藤は、俺を木村に対する無言の威嚇として使ったということらしい。
俺は未だ暴力の気配があって、叶や木村のような男はそれに敏感に反応する。




