仕掛
新井との面談の翌日、彼女から佐藤に連絡が入った。新井は早速木村に会いにゆき、木村から会ってもいいという許可を取り付けてきたのだ。
これで早くも第一段階はクリアしたことになるが、問題はここからだ。
木村は刑務所から出たくないだけで、模範囚を演じているらしいので、累進処遇は第1級となっている。
これは、第4級から始まって、模範囚であれば第1級までの4段階で処遇が良くなる制度だ。
面会を例にとれば、第4級のままだと月1回しか許可されないのに対し、第1級ならば随時許可される。荒事師との約束が1週間だったので、木村が反抗的な囚人なら、面会の許可数を使い切ってしまっていて、面会まで1カ月待ちなどという事態になっていたということだ。
刑務所には手紙すら届かないので、俺たちは完全に「詰み」になる。
この寒空に、小汚くて臭い大阪湾に沈むのは勘弁してもらいたいところだ。
インターネットが発達した現在でも、受刑者との面談の申請は現地に赴きその場で申請書を提出しなければならない。
身分証明書の開示も必要だ。受刑者の更生に必要であるという理由がないと、肉親以外の面談は許可されないし、様々な制約がある。
その制約を突破するのが、佐藤のジャーナリストという鎧だ。佐藤の事だ、申請書には、「受刑者の刑期終了後の自立のため」などといった耳に心地よい文章をひねり出して、審査する側を煙に巻くことだろう。
木村本人は合ってもいいという意思表示をしている。
身元引受人となる内縁関係の新井も許可を与えたことになっている。
内縁関係の者は、肉親に準じる扱いとされているので、新井の許可があるのと無いのとでは、審査する側の印象が違うのだ。
そう言った意味では、まず新井にターゲットを絞った佐藤の戦略は正しかったという事になる。
「刑務所の面会時間は午後4時までだから、今日はもうあきらめるしかないね。明日、朝いちばんで申請を出したとして、実際の面談は明後日になるかな? まぁいずれにせよ面会時間は30分以内と決められているし、期限があるから、1回勝負になるなぁ。スリルがあるねぇ、田中君」
けくけくというカエルの鳴き声のような声で佐藤は笑っている。笑いごとではないのだがね。
俺たちはその足で、大阪医療刑務所の下見を兼ねて、面会申請書類を貰いに行った。
受付終了の午後4時までそれほど時間がないので、申請書提出は間に合わないが、用紙をもらいそれに予め記入しておくことによって、明日の提出が楽になるからだ。
俺たちには荒事師によってタイムリミットが定められてしまっている。時間はとても貴重なのだ。
大阪医療刑務所は堺市にあり、和歌山と大阪を結ぶJR阪和線の堺市駅が最寄りの駅になる。
大阪刑務所、大阪少年鑑別所と隣り合った場所にその医療刑務所は建っていて、一見普通の病院の様に見えるが、塀が高く、頑丈な鉄格子が窓枠に嵌められていたりして、よく見れば異様である事がよくわかるだろう。
収容分類級も『M級』がいるので、警戒厳重なのは仕方がないことなのかも知れない。ちなみに、俺たちが会おうとしている木村の分類級は『P級』と言い、重度の身体障害がある受刑者の意味だそうだ。
木村は両足切断という重症を負っているので、医療刑務所に入ることになったのだ。P級の受刑者を受け入れる医療刑務所は、大阪以外では東京の八王子医療刑務所しかないらしい。医療刑務所がそんなに少ないとは意外だ。
M級は、重度の麻薬中毒で幻覚症状のある受刑者や精神疾患のある受刑者を差していて、医療刑務所は本来彼らのための治療兼リハビリ施設ということになっているそうだ。P級はM級のついでと言う扱いらしい。
面会者用の通路に入り、事務手続きの説明を受ける。施設内は白衣の看護師などもいて、刑務所というより病院という雰囲気だ。
手続きに関して一通りの説明を受け、俺たちは大阪医療刑務所を退散した。俺たちが足を踏み入れたのは事務棟までだったので何もなかったのだが、面談室までいくと、カメラは勿論のこと、ボイスレコーダーも持ち込み禁止となる。
木村は模範囚なので、累進処遇は第1級。
第3級以下だと刑務官が立ち会って会話が記録されるらしいのだが、第2級からはカメラによる監視のみ。第1級だと面談室もアクリル板をはさんで双方が遮断された状態ではなく、会議室で机を挟んで面談できるそうだ。
「カメラ禁止なら、俺は必要か?」
堺市駅まで歩きながら、佐藤に言う。俺はカメラマンを演じている。カメラが禁止されているなら、俺は何をすればいいというのか?
「必要だよ。君には君にしかできない役があるのさ」
明日、申請を出す。許可が下りるのは明後日。我々は肉親ではないので、新井の様に申請してすぐ会うというわけにはいかないのだ。
「どんな役だ?」
佐藤はけくけくと笑って言う。
「だまって、座っている役さ。君のおかげで、私はとてもやりやすくなっているのだよ」
新井の時は、『良い警官と悪い警官』の手を使った。
それは、新井が初心だったから出来たことだ。スレている木村にそんな単純な手段が通じるとは思えない。
面会の時間も限られている。たったの30分だ。
その30分で、木村から情報を引き出す算段をつけなければならない。
それに、1週間で何らかの結果を出さないと、俺たちは多分冷たくて臭い大阪湾の底ということになる。物騒な連中が今現在も俺たちを見張っているかもしれないのだ。
申請書に記入する。事由の欄は、佐藤が「耳に心地いい」文面を書き込んでいる。そのあたりは、お手の物だろう。
新井にはお礼の電話を入れていた。新井は、自分が良い事をしたと満足感を得ているはずだ。
佐藤は、電話なので表情を取り繕う必要がない。だから、本音が透けて見えるのだが、もう新井には全くと言ってよいほど興味なさそうな顔をしていた。
新井は、木村面談への渡りをつける一過程に過ぎないと、割り切っているのだろう。
佐藤が、どこか普通の人と違うと思わせる部分が、そうした他者への興味の無さだ。突き詰めてゆくと、佐藤は自分自身にも興味がない。「興味」を「愛」と言い換えてもいいだろう。人間が必ず持っている本能的な自己愛が佐藤にはないような気が俺にはするのだ。
自分を愛おしく思えない者は、他人も愛せない。
俺は荒れていた時期、俺自身が嫌いで仕方なかったし、他人なんぞクソ喰らえと思っていたものだ。これまでの佐藤を見ていると、形こそ違えそれに似ているような気がする。
「よし、出来た。明日これを提出しよう。多分、許可は下りる。問題は、木村だね。役割分担を決めておこうか?」
申請書を掲げながら、上機嫌で佐藤が言う。
一回勝負。
30分という時間の短さ。
荒事師たちの不気味な視線。
……と、これだけ不利な条件がそろっていて、上機嫌もないものだと思ったが、佐藤は間違いなく楽しんでいる。
まるで、自分の運命がどこまで自分を生かすのか、試しているかのように。
表情だけは笑みを刻む佐藤の目は、やはり昏かった。




