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誑し

 朝になった。俺はまた早朝のランニングに出て、その後に佐藤と朝食を採った。佐藤はまた全種類のおかずを皿にとって、それを食べている。デザートもコーヒーもたっぷりとる。それでいて太らないのだから、不思議なものだ。

 俺は、カメラマンを演じる。佐藤は「出所を待つ健気な女」を記事にするジャーナリストを演じる。それで、木村に合うための渡りを着けてもらうのが、今回の主目的だ。

 会う場所と時間は新井に任せた。自分が安心できる場所を本能的に人は選ぶものだ。安心出来たら口も軽くなる。

 それで、指定されたのは、守口市駅の駅前にある喫茶店だった。やはり、自分の住んでいる場所の近くを指定してきた。ここまでは予想通り。

 後は、佐藤の話術にかかっている。

 佐藤はまたスーツを着用した。地味な紺色のスーツだった。蓬髪は、後ろに束ねて帽子の中にたくし込んでいる。無精ひげはきれいに剃ったようだ。 これで、多少は身ぎれいに見える。胡散臭さは消えないが、それがかえってやり手のジャーナリストに見せる効果があることを期待しよう。

 俺は、佐藤とのコントラストを強調するため、あえてラフな格好をする。軍用パーカーとカーゴパンツという格好でいく。そして、渋面を作ってしゃべらない。

 「何となく怖い人」

 そう、新井に思わせれば成功だ。愛想のいい佐藤に彼女は依存する。疑似的な信頼関係が出来る可能性が高まる。

 警察の取り調べの際に使われるとされる『良い警官と悪い警官』の応用だ。知識豊富な大東さんは、

 「いまどきの警察は、そんなカビの生えた手法は使わんよ」

 と言っていたが、新井はスレた犯罪者ではない。古典的な手法は有効だと思っている。

 予定の時間より早めに守口市駅に着く。指定された喫茶店の周囲をぐるりと回った。誰かに追われているわけではないので、逃亡ルートを下見する必要はないのだが、これは佐藤にしみついた習慣のようなものだろう。

 用心深い事。これが、闇の住民相手に商売をして、生き延びて行く前提のようなものなのかもしれない。

 俺は、喫茶店の近くに路上駐車しているバンに気が付いていた。電気工事会社らしき社名のロゴが車体に書いてあるが、多分違う。荒事師の連中に間違いない。

 普通はもっとうまく周囲に溶け込む努力をするのだろうけど、今は俺たちに「監視しているぞ」ということを強調するため、わざと悪目立ちさせている。

 薄ら笑いを浮かべて、運転席からこっちを見ているのは、サングラスをかけて目を隠しているが、あの柔道野郎だ。

 「まぁ、むこうも商売だよ。気にしない、気にしない」

 佐藤はバンの方を見ずに俺に言う。俺は舌打ちしたいのをこらえて、バンから目を無理やり引き離した。

 「お、いいよ、その表情。それをキープしようか」

 佐藤がそう言って、けくけくと笑い、指定された喫茶店に入る。チェーン店ではなく、昔ながらの個人経営の喫茶店のようだった。

 国分の店バッド・カンパニーの近くにも、穴倉のような変わった造りの店があって、旨いコーヒーを飲ませてくれた。コーヒー好きの国分も足しげく通っていたのを思い出す。

 俺は席に着くと、ジェラルミンのケースからカメラを出した。昨日の立ち回りでケースには凹みや傷が出来て、ベテランのカメラマンっぽく見える様になったのは怪我の功名というやつか。

 カメラも素人には見抜かれないない程度に、いじれるようになっていた。 佐藤はノートパソコンを操作させている。Webカメラ付きのノートパソコンで、インタビューの様子を録画するらしい。マイクもついているので、音声も拾える。

 「来たようだよ」

 喫茶店の入り口に、新井の姿が見えた。薄化粧していて、髪も梳いているようだ。背はそれほど高くない。一昔前に流行ったようなタイトスカートを着用している。シープスキンらしきハーフコートだけは少し高そうな感じだが、全体的に安物でまとめたような印象だ。パンプスはきれいに磨いてあるし、服に糊もきいているので、安物なりに清潔感はある。

 おっと、服装を品定めするのは、バッド・カンパニーでついた悪い癖だ。 俺と同じく用心棒をしていたゴリというあだ名の男が、アパレル関係に詳しくて色々と俺に教えてくれたのだった。

 相手が、金持ちかどうかの判定ぐらいしか役に立たない技能だが、用心棒稼業をやっている者なら有用だった。

 とろけるような笑顔で、佐藤が立ち上がって新井を手招きする。

 普段は春風駘蕩そのものといった顔しかしないくせに、こういった顔も作れるのかと、俺は驚くというよりは、呆れた。

 何年も誰にも優しくされたことがないのだろう。すこしはにかむ様にして笑いながら、新井がこっちにくる。時間はきっちり計ったかのように、指定した時間だった。表札の字もそうだったが、彼女は几帳面な性格らしい。

 新井は、俺を見て足を止める。佐藤を見て、ほほ笑んだ顔が強張った。恒常的に暴力を振るわれていていた者は、暴力の気配に敏感になるという。彼女は俺に暴力の気配を感じ取ったのかも知れない。

 佐藤は取り繕うように、さらに愛想よく新井の手を取らんばかりにして席に誘導する。新井は脅えた目で俺を見ていた。美人でも不細工でもない、印象に残らない平凡な顔だ。はっきりと分かるのは、幸薄そうだということ。 『不幸顔』

 とでもいうべきか。

 なるほど、木村の様な粗暴な男なら、わけもなくひっぱたきたくなるだろうなと思う。嗜虐心をそそる雰囲気を彼女は持っているのだ。

 俺と目が合うと、おずおずと目を伏せる。彼女は気が弱いのだ。誰かに頼らないと駄目な女。そんな風に見える。初対面でいきなり俺に挑戦してきた、佐藤に惚れている興信所の須加田とはまるで正反対だ。

 「ご足労頂きまして、大変ありがとうございます」

 佐藤が深々と頭を下げる。

 俺は、ぷいと新井から目をそらして、ちょっとだけ頭を下げた。もちろん、俺のこの失礼な態度は演技だ。『良い警官と悪い警官』はもう始まっているのだ。

 新井は俺に脅え、佐藤に依存する態度を見せはじめた。俺の方は見ないようにして、佐藤の方に視線を集めている。いい傾向だ。

 佐藤はがっついていなかった。何を飲むか、新井に確認し、ウエイトレスを呼んで少し偉そうな態度でオーダーをする。

 これも、演技だ。新井だけは特別な待遇であることを強調するため、態度を使い分けているのだった。普段の佐藤は誰にでも腰が低い。

 特別扱いに慣れていない新井は、今、優越感を感じているはずだ。佐藤が、自分にだけは女王に接するようにしてくれている。

 「自分は佐藤にとって特別だ」

 そんなことを考えているだろう。新井の小鼻が膨らみ、顔がやや上気していることからもそれをうかがうことが出来た。

 佐藤は本題に入らず、今度は彼女の服の中で唯一違和感のあったシープスキンのハーフコートを褒めた。これだけがなかなかの高級品なのだ。

 相手が注目してほしいポイントを的確に突く。国分の店で何人か見かけたことがある人種に、女を食い物にする『ジゴロ』がいた。佐藤は彼ら顔負けの誑しっぷりを見せていた。

 「これ、とてもあたたかくて。わたしが寒がりだから、木村が買ってくれたのです」

 そういって、新井は幸せそうに笑う。

 木村の様な男は、たまに優しくなる。気まぐれのようなもので、意識してのことではないのだろうが、新井の様な女はそれに騙される。普段から暴力を振るわれていることを忘れ、

 「本当は、優しい人」

 などと、夢想する。俺は、夜の繁華街でそんな胸くそが悪くなる組み合わせを何組も見てきたから分かる。新井と木村は典型的だ。

 新井の口から木村の話が出た。頃あいだと見たのか、佐藤が話の流れを変える。

 「で、取材の件ですが……」

 佐藤はまず撮影の許可を求めた。新井は渋ったが、結局は顔に『ぼかし』を入れる事と名前を仮名にすることで同意した。佐藤が、Webカメラで撮影すると同時に、俺が立ったりすわったりして色々な角度からカメラを構え、カメラマンらしく振舞う。

 俺の場合はそれらしく振舞っているだけで、本命はWebカメラだ。俺は、ピントの合わせ方も分からないのだから。

 Webカメラの映像は、新井の表情の変化を読み、虚偽と真実をふるいにかける材料にする。

 実は許可を得る前から撮影しているのだが、これは普段の会話を行うことによって、表情の基本を捕えるためだ。

 意識すると表情が変わる。無意識の表情が欲しいのだ。佐藤が雑談をだらだらと行った真の理由はこのためだったのである。


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