陥穽
「一週間でカタがつくかね?その根拠は?」
俺たちは歩き始めた。ここは、昼間は輸送のトラックで、賑やかな場所なのだろうが、今は静かで人通りは無い。とりあえず、タクシーを拾える場所まで動かないことにはどうしようもない。
「ああ……『一週間』は適当に言った言葉だよ。根拠なんてないさ。カタがつかなかったら、また交渉すればいいだけの事だよ」
楽天的すぎる。そう思わないでもない。だが、思えばさっきは死ぬ場面だったが、今は生きている。
生きていれば、なんとかなる。
佐藤の言うとおりの事を俺は考えていた。
俺は馬鹿だから、確実に佐藤の影響を受けている。それが、果たしていいことなのか悪い事なのか、今はよくわからない。国分なら「よくない」と言うだろう。あの男はただ流されるだけの男に嫌悪感を抱いていた。
しばらく歩いているうちに尻無川を見つけて、それを遡行する。地形の確認を兼ねて歩き回ったのが幸いした。
結局、タクシーはつかまらず、あきらめてホテルまで歩くことになった。手首や喉が痛いし、スタンガンを押し付けられた背中にはひきつったような鈍痛があるが、歩行には問題がない。佐藤も、おおきなたんこぶが頭に出来ていること以外、怪我はないようだ。
佐藤は、ぽつりぽつりと、自分の過去の事を、道すがら語った。『命からがら』という自覚があって、俺に対して雇用主として申し訳ないという心理が働いたのかもしれない。
佐藤は、大阪に近い神戸で生まれたそうだ。これは、国分から聞かされていた話と合致する。
十歳の時、阪神淡路大震災を被災し、両親を失ったらしい。その後、岩手にある母親の親戚に引き取られ成人した。佐藤姓は、その親戚のものだという。彼を引き取ってくれた義父母も東日本大震災で亡くなったらしい。
「振り上げた拳の、落とす場所がない」
そんなことを、佐藤がつぶやく。彼の目に宿る昏い何か。その一端は、2度の震災での喪失感なのかもしれない。
佐藤が心の奥に抱え込んでいる怒りは理不尽な運命に対する怒りなのかもしれない。
一度部屋に戻り、シャワーを浴びて気分を一新すると急に腹が減った。命が助かったと思ったら、生命の維持に必要な要求が体から出る。人間とは、何とも浅ましいものだ。
あえて、部屋内の捜索はしなかった。清掃員に擬装して部屋に侵入するような男共だ。盗聴器を仕掛けられている可能性がある。あっさり俺たちを解放したのも、『紐付き』だからだろう。
佐藤との会話は、わざと筒抜けにする。相手に情報戦で優位に立っていると思わせることが、今の俺たちにとっては保険のようなものだ。
佐藤から、食事の誘いが来る。佐藤も、ひとまず危機を脱したら腹が減ったということらしい。また、ホテル内の馬鹿高い料亭の支店に行く。個室があるので、密談にはいい。まさか、ここには盗聴器はあるまい。
「新井さんは、必ず我々の投げた釣り針に食いつく」
相変わらず、厨房の板長が見たら嘆くような食べ方をしながら、佐藤が断言する。新井という女は、悲劇にヒロインを無意識に演じている。演じているからには、観客が欲しい思うのが当然だ。だが、新井さんに親しい人たちは、木村のせいで離れていってしまった。つまり、自分がいかに健気で、尽くす女なのか、話す相手が居ないということ。
そこに、我々という観客が登場した。新井からすれば、タダでも話を聞いてほしいところを、報酬まで払うと提案されている。金はほしいが、恵まれるのはプライドが許さないという人でも、報酬となれば受け取る。
我々は、新井が夢想する救世主そのものの姿をしているのだ。
「問題は、木村氏だね。ああいった手合いは猜疑心の塊だよ。新井さんを介さないと、接触すら出来ない。怪我が治るたびに怪我しているのだから、彼も大変だろうし」
辛いだろうなとは思う。ずっと痛みを感じていないといけないのだから。 たとえ、自業自得とはいえ、地獄だろう。
「情報を引き出すだけで良かったのだけど、『荒事師』のおかげでハードルが上がってしまったからね。大変だよ」
自分でやっておいて、何て言い草だと思ったが、それを面白がっている自分もいる。だいぶ俺も佐藤に毒されてきたらしい。だが、罪悪感はある。
相手は悪党ではあるが、間接的に彼を死に追いやる手助けをしているのだ。『荒事師』たちは、何も具体的なことは言わなかったが、木村を殺す気だ。
見せしめなので、彼は惨たらしい死に方をするだろう。
「犯罪の手助けをすることになるぜ」
俺はそう言ったが、佐藤は鼻で笑っただけだった。
「我々を誘拐して脅してきた荒事師の連中は、木村を捕えたいと言っただけだよ。その先は我々の関知するところではない。木村氏がどうなろうと、すべて自己責任さ。リスクを回避したければ、それなりの生活をすればいいだけの話。我々も同じことだよ、田中君」
佐藤は木村が殺される事を分かっている。分かっていて、荒事師に協力をするのだ。
俺たちは、連続殺人に関わっているかもしれない徳山の情報が欲しい。おそらく、その情報を持っているのは木村だ。
木村との接触の障害となっているのが荒事師ならば、彼らと共同戦線を張る。それが、佐藤の思考の基本ライン。それによって生じるリスクを度外視する割り切り方は、とぼけた佐藤の外見からは想像もつかないほど、実に冷酷だった。
「木村は殺されるかも知れないのだぜ? 気にならないのか?」
俺が佐藤に問う。
「情報を貰う前なら困るけど、情報を引き出したら、木村氏には用がないからね。気にならないよ」
それが、彼の答だった。
あの、昏い目……
その底にあるのは怒り……
俺は人間の面をかぶった得体の知れないものの前に座っているような気がして胴震いしそうなるのをやっとの思いで堪えた。
携帯電話が鳴る。佐藤は、いそいそとそれに出る。
「公衆電話からだよ、田中君。きっと新井さんだ。自宅の電話も携帯電話も使わなかったのだね。用心深いなぁ」
けくけくと佐藤が笑う。無邪気な笑顔だった。俺はそれがかえって怖いと思っていた。闇の住民の笑み。捕食者の笑みがそれだ。
佐藤もまた、叶や悪徳警官の氏家や荒事師たちと同じフィールドに住んでいるという事実が俺に突き付けられる。
俺はどうなのかと考える。多分、その境目にいるのだろう。佐藤は闇を隠さない。わざと俺に見せている様にすら感じる。
一歩踏み出せば、俺も闇に飲みこまれる。佐藤は、どうすればいいのか、自分で考えろと、俺に現実を突きつけているのかもしれない。
「やはり、新井さんだった。魚は針にかかったよ。明日会うことになった」
新井という女をだます。だまして、木村への道筋をつける。それが、俺たちがやることだ。荒事師は俺たちを見張っているだろう。やるしかない。そういったところに、俺たちは追い詰められているのだ。
しくじれば、俺たちは殺される。佐藤はいたってのんきなものだが……。




