94.漸く捕まえた婚約者
93話、大河視点です。
漸く待ちに待った金曜日。夕方近くに帰社した俺は、出張帰りで溜まった仕事の中から、優先順位の高い物だけを片付け、残りは翌週に回す事にして、定時で会社を飛び出した。待ち合わせは午後七時だが、一刻も早く冴香の顔を見たかった。
一旦家に車を置き、走ってジュエルへと向かう。息を切らせながら辿り着き、裏口で冴香を待っていると、程無くして冴香が現れた。
「大河さん! もうお仕事終わられたんですか?」
冴香と目が合った途端、俺は抱き付いていた。
漸く会えた。もう絶対に離すものか。
感極まって少々力が入り過ぎた事を反省しつつ、冴香の手を引いて歩き出す。途中で冴香に痛がられたので、繋ぎ方を変えてやった。冴香は恥ずかしがっていたが、そんな事は知ったこっちゃない。
もう逃がさない。この一週間の抜け殻のような日々なんて、絶対に二度と繰り返すものか。
家に帰った俺は冴香にソファーを勧め、その隣に座った。
「冴香、何で婚約解消を承諾したんだ?」
俺が尋ねると、冴香は戸惑ったように目を丸くした。まるで、訊かれる事を想定していなかったのように。
まさか、と嫌な予感が頭を過る。冴香は、婚約解消が当然だと思っていたんじゃないだろうな? それ程までに、俺は冴香に想われていなかったと言うのか?
「俺が嫌いか?」
苦しくなって尋ねると、冴香は首を横に振って即答した。
「とんでもない! その、あの……以前も言ったじゃないですか。大河さんの事、好きだ、って。」
冴香は小さく、だがはっきりと告げてくれた。
あの時の『好き』って……、やっぱり、恋愛的な意味での『好き』で合っていたのか!? だったら!!
「だったら何で!?」
俺は思わず大声を上げ、冴香の肩を掴んでいた。
俺の事が本当に好きなら、婚約解消なんて受け入れるなよ!! そう思った俺は、一つの可能性に行き当たる。
「祖父さんに何か言われたのか!?」
「あ、いえそう言う訳では……。」
祖父さんが一枚嚙んでいそうだと思ったが、どうやら外れたらしい。
「あの、何も言わずに出て行ってしまって、大変申し訳ありませんでした。何しろ急な事で、ご挨拶も出来なくて……。」
「そんな事言ってんじゃねえ!!」
俺は再び冴香を抱き締めた。
駄目だ、今日の俺は余裕が無い。もう昨日までのような思いをするのは絶対に嫌だ。冴香を、何が何でも取り戻す。
勝手に決められた婚約を解消されたのなら、自分達の意思でもう一度婚約するまでだ。
「もう一度訊くけど、お前、俺の事、男として、恋愛的な意味で、好きなんだよな?」
「そ……そうですけど。」
「じゃあ俺と結婚しよう。」
俺がプロポーズすると、腕の中の冴香は見事に固まった。俺は少しだけ身体を離して、冴香の目を覗き込む。
「この一週間で、お前がどれだけ大切か、良く分かった。もうお前が居ない人生なんて考えられない。だから今すぐこの家に帰って来てくれ。そして俺と結婚しよう。」
「え、いや、あの……。」
「断る気か?」
冴香の挙動から良くない返事が返ってくるような気がして、俺は先に牽制した。
この頼みだけは断ってくれるな。もし断られたら、俺はマジで何をするか分からない。
「いや、だってあの、ちょっと落ち着いて考えてくださいよ。私じゃ、大河さんに釣り合わない事くらい、分かりますよね?」
冴香の質問に、俺は首を傾げる。
「分からない。何が釣り合わない?」
「何がって、ほら、イケメンで背が高くて仕事が出来る天宮財閥の御曹司である大河さんの隣に立つ女性は、やっぱり美人でモデルみたいな体型で家柄も釣り合うような方が似合うんじゃないかなって思うんですよ。私はそのどれにも当て嵌まりませんし。って言うか寧ろ真逆ですし。」
何だ、そんな事を気にしていたのかよ?
俺は呆れて溜息をついた。
「そんな事を気にしているのはお前くらいだ。俺は普段は無表情でクールで口ばかり達者で可愛げがないが、口喧嘩すると楽しくて、おまけに笑うと可愛い、意外と涙脆いお前が良い。」
俺が告げると、冴香の顔が一気に赤くなった。照れ隠しなのか、いつもの憎まれ口を叩き出す。
ああ、やっと冴香が戻って来た気がする。
俺は口喧嘩を楽しみつつ、冴香を膝の上に乗せた。
「いやだってほら、どう考えたっておかしいじゃないですか! 天下の天宮財閥の御曹司である大河さんが、私みたいなのを選ぶなんて!」
先程から釣り合いをやたらと気にしている冴香の顔を、俺はじっと見つめた。そんな物、俺は気にしちゃいないが、冴香がそこまで気にすると言うのなら。
「……だったら、俺が天宮財閥を捨てれば、お前は納得して結婚してくれるのか?」
「はあ!?」
余程驚いたのか、目を見開いて大声を出す冴香。
「お前が天宮財閥の事を色々気にしていると言うのなら、俺は天宮財閥を出る。そうすれば、もう釣り合いだの何だの関係ないよな?」
我ながら名案だ、と思っていると、冴香が慌てふためき出した。
「いやいやいや、それは駄目でしょう!? 大河さんみたいな優秀な人が、後を継がなくてどうするんですか!? 勿体無さ過ぎでしょう!!」
「そんなつまらん立場のせいで、お前を失う事になる方が余程嫌だね。お前が手に入るのなら、天宮財閥なんてクソ食らえだ。」
俺は本気だ。冴香が居ない生活など意味が無いと、もう身に沁みて分かっているのだから。実際、天宮財閥にこだわる気など毛頭ないしな。
「どうなんだ? 冴香。」
俺が促すと、冴香は俺に縋り付いてきた。俺のシャツを握り締めて、上目遣いで見上げてくる。
やばい、可愛い。
「大河さんに天宮財閥を捨てさせるくらいなら、私が馴染む努力をします。取り立てて美人でも、可愛くもないですけど、大河さんに相応しくなるように頑張ります。」
冴香の答えに、俺は胸が躍った。それって!!
「じゃあ、俺と結婚してくれるんだな!?」
「は、い。不束者ですが、」
冴香の肯定の返事を耳にして、喜びを爆発させた俺は、冴香の言葉を最後まで待たずに、その唇を奪っていた。




