38.祖父さんとあいつ
33~36話、大河視点です。
朝、目覚めて寝室から出ると、すぐに冴香と目が合った。途端に昨夜の醜態を思い出してしまった俺は、気まずさから目を逸らす。
「あ……冴香、その……昨夜は悪かったな。」
「いえ、気にしないでください。それよりも、何かあったんですか?」
それよりも、と軽く流され、俺はかえって凹まされた。冴香の口調はいつも通りで、昨夜は俺に抱き締められて首筋にキスまでされたと言うのに、気にしている素振りなど微塵もない。やっぱりこいつにとって、俺は今でも赤の他人なんだろうか。
力なく首を振り、そのまま洗面所へと向かう。顔を洗うと、少しだけさっぱりした。
何時までも落ち込んではいられない。今日は祖父さんの所に行かなきゃならないんだ。祖父さん達がやたらと冴香を気にする理由を問い質さないと。
着替えて朝食を摂りながら、念の為に冴香に確認したが、やはり面識はない、の一点張りだった。それにしては親父から電話で聞いていた、祖父さんが冴香に会いたがる態度が腑に落ちない。まあ、今日会えば分かるか。
祖父さんの家に着き、二階堂に出迎えられて、冴香と共に祖父さん達の居場所に案内される。祖父さんは冴香と嬉しそうに挨拶を交わすと、自分の事を覚えていないか、と尋ねた。やっぱ面識あったんじゃねーか!?
だが冴香は覚えていない様子だ。続いて挨拶をした祖母さんの言葉で、漸く思い出したらしい。その話は俺も聞かされていた。そうか、あの時の祖母さんの命の恩人が、冴香だったのか。
だとしたら、と俺は嫌な予感に襲われる。冴香は祖父さんに気に入られ、こちらの事情に巻き込まれてしまったのではないだろうか。実際に、祖父さんが他社で目を付けた人物を、言葉巧みに天宮財閥に引き抜いてきた事など数知れない。今回も同様に、冴香を気に入って身内にしたがり、堀下工業にわざと圧力をかけて、資金援助と引き換えに見合い話を持ち出したんじゃないだろうな!?
事の真相を確かめる為に、俺はまだ立ち話をしていた冴香達をさっさと座らせ、祖父さんを問い詰める。俺の予想に反して、祖父さん達は冴香が堀下家でどういう扱いをされていたかという事まで把握していた。
その事を告げられて俯く冴香。蚊の鳴くような声で返答する姿が痛々しい。
そんな事、きっと誰にも知られたくなかっただろうな。隣に座る冴香に、掛ける言葉が見付からない。
冴香の状況を知って、祖父さん達は一計を案じた。それが今回の婚約話だったらしい。確かに、冴香は家を出たがっていた。いきなり婚約、同棲を命じられたのも致し方なかったのだと、今なら理解出来る。だけど。
「だったらその話、何で俺には教えてくれなかったんだよ。」
せめて当事者となる俺には説明があっても良かったんじゃないのか。そう思って抗議すると。
「最初から説明していたんじゃ、お前への戒めにならんだろうが。何時までも特定の相手を作らず、次から次へと浮名を流しおって。これ以上恥晒しな真似をさせて、天宮財閥の信用を揺るがす事は出来ん! お前が冴香さんを大切に出来ないのならば、冴香さんを儂の養女にして、最高の相手を見繕って天宮財閥を継がせるからそう思え!!」
祖父さんの言葉が、すぐには理解出来なかった。タイミング悪く、二階堂が皆が揃った事を告げに来て、俺達は部屋を移動する。
ちょっと待て、今のは何だったんだ? 前半部分はまだ良い。以前にも言われていた事だからな。後半は何なんだよ!? 俺が冴香を大切に出来なければ、冴香を養女にして他の奴と結婚させて、天宮財閥を継がせるって、そう言ったのかあのクソジジイ!?
祖父さんが冴香に皆を紹介している間中、俺はずっと怒りに身を震わせていた。
相変わらず祖父さんは滅茶苦茶だ。人を何だと思っていやがる。俺達身内だけならまだしも、冴香の希望も訊かずに、あいつの人生を勝手に決め付けるなんて絶対に許せない。
「良い機会なので、皆に言っておく。」
祖父さんの声に、俺は漸く我に返った。
「先程も伝えた通り、冴香さんは大河の婚約者だが、万が一、この婚約が破談となった場合、冴香さんを儂の養女にして、儂の眼鏡に適った相手と共に天宮財閥を継いでもらうので、心得ておくように。」
祖父さんの宣言に、俺は完全にブチ切れた。
皆の前で宣言までしやがって!! 冴香の意思も訊かずに、そんな勝手な真似をされてたまるか!!
いくら何でも酷過ぎると、抗議しようと口を開きかけた時。
「会長。すみませんが、勝手に決めないで頂けますか。」
俺よりも早く抗議をした冴香に、俺は喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
きっぱりと断る冴香に対し、冴香を持ち上げ、幸せになってもらいたいと説き伏せる祖父さん。終いには、婚約を破棄して相手を指名しろとまで言い出した。尚も突っぱね、祖父さんの問題点の根幹にまで言及する冴香に、口を挟む余地がない。
「孫達は常に天宮財閥の事を考え、私の期待に応えてくれているよ。だから今回の事も、納得してくれていると信じている。まあもしも冴香さんの言う通り、納得出来ない者が居るのであれば、私に意見してくれて構わないと言っておこう。」
笑顔で圧力をかけながら俺達を見回す祖父さん。だが言葉とは裏腹に、意見しても無駄だという事を、俺達は良く知っている。感情で反論しようものならば、一分の隙もない理詰めで包囲され、こちらも理論武装で論破しない限り、決定が覆される事はないのだ。
今の段階では手駒が足りない。冴香の本当の幸せは何か、という手駒が。
祖父さんが冴香の幸せという大義名分を掲げている以上、冴香がただ断るだけでなく、どういう人生を歩みたいのか、何が自分にとって幸せなのか、という手駒を示し、それが明らかに祖父さんの思惑から逸脱していなければ、祖父さんを説得する事は出来ない。冴香の反論は俺達の意思や感情を優先していて、それはそれで嬉しいのだが、肝心なのはそこじゃない。
結局、冴香も狸ジジイの術中に嵌まり、半年間、俺達と交流を深めた上で、祖父さんに返答する事が決まってしまった。




