33.面識があったようです
翌朝、朝食の準備をしながらも、私は昨夜の大河さんの様子が気になっていた。
毎晩、多い時でも二、三缶程度だけれど、お風呂上がりにビールを飲んでも少しも酔った様子を見せない大河さんは、きっと本人の言う通り、お酒には強いのだろう。それなのに、昨夜はいくら酔ったからとは言え、あんな良く分からない言動を取るなんて、やっぱり何かあったのだろうか。それとも、単に飲み過ぎただけなのだろうか。数日前に、今日天宮会長のご自宅に伺う事になったと聞かされた時、何処か憂鬱そうに見えたけれども、それが何か関係しているのだろうか。
何れにせよ、あれだけ怒鳴る元気があったのだから、多分大丈夫だろうとは思うけれども。
スクランブルエッグをお皿に盛り付け、もうすぐパンも焼き上がる、とある程度準備が出来てきた頃、カチャ、と大河さんの寝室のドアが開いた。その音に顔を上げた私は、寝起きの大河さんと目が合った。
「あ……冴香、その……昨夜は悪かったな。」
大河さんが気まずそうに謝ってきた。
「いえ、気にしないでください。それよりも、何かあったんですか?」
気を遣わせないように、努めて普段通りの口調を意識して私が尋ねると、大河さんは力なく首を横に振って、洗面所へと向かって行った。大丈夫かと思っていたけど、まだ落ち込んでいるのだろうか。ちょっと心配になってくる。
だけど、着替えて食卓に着いた大河さんには、昨夜のような重苦しい雰囲気はなく、いつも通りに見えたので、私は少し安心した。
「天宮会長は、もうすっかりお元気になられたんですか?」
「ああ。先週末退院した時に、もう少し養生してから、って言う周囲の反対にもかかわらず、すぐにでもお前を呼べとかやっぱり会いに行くとか煩くて、止めるのが大変だったらしい。……お前、本当に祖父さんと面識ないんだよな?」
「その筈ですが。」
大河さんに訝しげにまじまじと見られ、パンを齧りながら、私は首を傾げる。
以前スマホで検索して天宮会長のお顔を拝見したけれども、どう頑張ってもお会いした記憶などこれっぽっちも呼び起こせなかった。会長が何故そんなに私に会いたがるのか、さっぱり訳が分からない。
「まあ良い。今日会ってみれば分かるだろ。」
朝食を終えて後片付けと洗濯を済ませ、大河さんの車で会長のご自宅へ向かう。想像を遥かに超えた大きなお屋敷に、私は度肝を抜かれた。観光地になりそうな程広くて立派な日本庭園に唖然としながら、出迎えてくれた執事の二階堂さんと大河さんの後に付いて庭に面した回廊を進み、和室の部屋に通される。そこにはつい先日お顔を知った天宮会長と、天宮社長、そしてお二人の奥様であろうと思われる、高齢の女性と中年の女性が、立派な座卓を囲んで座っていた。
「やあ、冴香さん。今日は遠い所を来てくれてありがとう。」
会長がわざわざ座椅子から立ち上がり、私に右手を差し出して来た。正座に三つ指を突いて畏まった挨拶をしなければならないかも、とガチガチに緊張していた私は、ネットの写真では厳めしい顔をされていた会長が見せている、柔和な笑顔と親しげな態度に、少しだけ肩の力が抜ける。
「は、初めまして。堀下冴香と申します。」
それでも緊張でどもりながら会長と握手を交わすと、会長は少し目を丸くし、そして苦笑いを浮かべた。
「大河の祖父の天宮大造です。私の事を覚えてはいないかな?」
え?
私は会長を見上げたまま固まった。いやいや、写真でも見覚えなかったし、実際にお会いしてみても、うん、やっぱり初対面だと思うんだけど……??
再度記憶の糸を手繰りつつも、全く思い出せないでいると。
「大河の祖母の和子です。私の事は覚えているかしら?」
微笑みを浮かべて手を差し出して来た、高齢の女性には少しだけ見覚えがあった。
「ええと……すみません、何処かでお会いしましたっけ……?」
それでも、何処で会ったかは全く思い出せないまま、その女性と握手をしながら恐る恐る訊いてみると。
「去年の夏、デパートで、白玉を喉に詰まらせた私を、貴女が助けてくれたのよ。」
「ああー!?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。そう言えばそんな事もあったっけ。すっかり忘れていた。って言うか、あの時のお婆さんが天宮会長の奥様だったの!?




