17.優しくしないで欲しいです
大河さんの怒鳴り声を後ろに聞きながら、私は自分の部屋へと小走りで逃げ帰った。扉をしっかりと閉めて、思わずその場に座り込む。
な……、何なの!? あの台詞は!?
『いつもそうやって笑っていろよ。そうしていると、結構可愛く見えるぞ?』
あんな柔らかな表情で微笑みながら言われたら、女の子なら誰だってときめくに決まっているじゃないか! 恐ろしい!!
少しの間、その場で頭を冷ましてから私は立ち上がった。部屋に備え付けられていた姿見を見てみたら、案の定顔が赤くなっている。心臓の鼓動もまだ早いままだ。減らず口を叩いて誤魔化したから、うっかりときめいてしまった事には、多分気付かれていないよね?
私は深呼吸をして、自分を落ち着かせた。
きっとあの台詞は大河さんにとっては、大して意味などない事なのだ。女性に慣れていらっしゃるから、自然と挨拶代わりの褒め言葉が口を突いて出ただけなのだろう。そう、私みたいなひねくれた女が、可愛いだなんて、そんな事ある筈がない。
『あんたなんかが、誰かに愛される事なんて、金輪際、有り得ないの、よっ!』
……異母姉の嫌な一言を思い出してしまった。
そうだ。私が誰かに愛されるなんて……想像出来ない。
小さい頃から人見知りで、仲の良い友達を作るのも一苦労だった。そんな努力の末に親しくなれたと思っていた、小学校時代の友人とは、転校するとすぐに疎遠になってしまった。以降は友達なんて夢のまた夢。休み時間はいつも一人、授業で班分けをすれば必ず私一人余り、先生が無理矢理少人数の班に私を押し込んで、何時も気まずい思いを味わった。時には異母姉の言い分を信じた取り巻き達に苛められた。先生達も事なかれ主義で、誰も助けてくれなかった。何時しか私は自分の感情を殺し、無表情が常になった。
異母姉の言葉が正しいと肯定する気なんてない。でも悔しいけど、否定する事は出来ない。こんな私を、好きになってくれる人がいるとは思えない。
すっかり気持ちが沈んでしまった私は、のろのろと顔を上げて鏡を見た。鏡に映った私は、無表情で暗い目をしている。こんな人付き合いが下手くそで根暗な私を好きになる人なんて、この先現れるんだろうか。万一そんな奇特な人がいたとしても、それは大河さんじゃない事は明白だろう。どんな美女でも選り好み出来るような人が、何処をどう間違えてもわざわざ私みたいな女を選ぶ訳がない。
そう、だからいずれは、私はこの家を出て行く事になるだろう。今は大河さんの厚意で置いてもらえているけれど、大河さんが本当に愛する女性が現れたら、いくら何でもこの家に居座り続ける訳にはいかない。だけどそうなったら、今度こそ私は行く場所がなくなってしまう。その時の為に備えておかないと。
何はともあれ、お金が欲しいな。家政婦業の合間にアルバイトがしたい。お金を貯めて、何時出て行く事になっても困らないようにしておかなくちゃ。
私は鏡の中の自分を見つめ、口の端を持ち上げた。少しは好印象になるだろうか。アルバイトをするなら何にせよ、ちゃんとした笑顔を作れるようになっておいた方が良いに決まっている。人付き合いに自信はないけど、そんな事言っていられない。明日からはバイト先を探して、面接を受けまくらなきゃ。
これからの事を思えば、気合を入れなきゃいけないと分かっているのに、どうにも気分は落ち込んだままだ。それでもお風呂の準備をしないと、と部屋を出ると、リビングでテレビを見ていた大河さんと目が合った。
「どうした? 暗い顔して。何かあったのか?」
怪訝そうな顔をした大河さんが立ち上がって歩み寄って来た。
心配……してくれているんだ。大した事じゃないのに。私、そんな酷い顔していたのかな。
そんな事を思いながらも、じわりと胸に喜びが湧き上がってくる。そう言えば、今までこんな風に私を気遣ってくれる人なんて、居なかった。
「どうしたんだよ。言ってみろ。何なら力になってやるぞ。」
肩に手を掛け、顔を覗き込んでくる大河さん。心底私を心配してくれているようなその目を間近で見た瞬間、私の心臓が悲鳴を上げた。
「な……何でもありません!」
気付いた時には、私は大河さんの手を振り払ってしまっていた。居た堪れず、再び部屋に駆け戻って勢い良く扉を閉め、その場にへたり込む。
……やっちゃった。大河さん、怒ったかな。
だけど、下手に優しくしないで欲しかった。私に気を配って欲しくなかった。そんな事をされたら、私は簡単に大河さんの事を好きになってしまう。
お願いだから、私の事は放っておいて欲しい。貴方の隣に立てる未来なんて、ある筈がないんだから。




