最高の誕生日です
「私はこのカレーを頂きますけど、大河さんがお嫌なら、今から何か作りますよ。どうされますか?」
絶句している大河さんに首を傾げながら尋ねると、大河さんは溜息を吐き出した。
「いや、俺もカレーにする。お前が食べるって言うのなら、俺も自分で作った物に責任は持つさ。……でも、カレーは何とか食べるとしても、この鍋は流石にもう駄目かな?」
カレーを零さないように鍋を傾けつつ、お玉を使って鍋底の様子を見ながら、大河さんは諦めたように呟いた。
「大丈夫です。お酢や重曹を使えば、大抵の焦げは落とせますよ。」
「そうなのか? 良かった。……そうだ。」
大河さんは何かを思い出したかのように、自分の部屋に行ったかと思うと、またすぐに戻って来た。
「冴香、十九歳の誕生日、おめでとう。」
そう言いながら、大河さんは私の左手を取り、薬指に指輪を嵌めてくれた。驚きながらも、指輪をまじまじと見つめる。プラチナのリングの真ん中に、可愛らしいピンク色の宝石。その左右に、一回り小さい無色透明の宝石。先日ブライダルジュエリー専門店で見たような大粒の物ではなく、控えめで程良い大きさの宝石で、凄く綺麗だと思った。問題は……。
「大河さん、これ……、もしかして、ピンクダイヤモンド、ですか?」
確か、カラーダイヤモンドって、無色透明のダイヤモンドよりも、希少で高価じゃなかったっけ?
頬を引き攣らせながら私が尋ねると、大河さんはにっこりと笑って見せた。
「安心しろ。安かったから。」
「安心出来ません。大河さんと私の金銭感覚には、大いに隔たりがありますから。」
私が即答すると、大河さんは一瞬言葉に詰まり、困ったように目を伏せた。
「気に入らなかったか? お前はあまり大きなダイヤは好まないし、シンプルなデザインが好きなんだろう? 結婚指輪と重ね付け出来るようにしてあるから、婚約期間だけじゃなくて、これから先もずっと着けていられるし。お前に似合いそうで、良いと思ったんだけどな……。」
肩を落とす大河さん。
ずるい。そんな風に落ち込まれると、断りづらくなっちゃうじゃないか。
高価な指輪は気が引けるけれど、私の難癖を一々拾い上げて、大河さんなりに一生懸命悩んで買ってくれた一品に違いない。それを、高価だから嫌、と言う理由だけで、突っ返すなんて失礼だろう。
それに、私だって大河さんに相応しくなるように頑張るって、決めたんだし。何よりももう、買われちゃったしね。
「シンプルで、可愛くて、気に入りました。ありがとうございます。大切にしますね。」
嬉しさ半分、気後れ半分だったが、笑顔を作ってお礼を言うと、大河さんは安心したように微笑んだ。
「そうか、良かった……。あ、大切にしてくれるのは良いが、ちゃんと着けろよ。大切に仕舞い込む、なんて言うのは無しだからな。」
あ、バレてた。
無言で目を逸らしたら、半眼になった大河さんに両頬を軽く引っ張られた。
「分かったな? 冴香。」
「……ひゃい。」
間の抜けた返答をすると、大河さんは笑って私を抱き締めた。
「モンブランも買ってあるから、後で一緒に食べような。」
「本当ですか!?」
本日二個目のモンブラン!
私は思わず目を輝かせた。正直、指輪よりも、モンブランの方が嬉しい。
「ああ。お前はモンブランが好きだから、きっと喜ぶと思ってな。」
「ありがとうございます! 大河さん、大好きです!」
満面の笑顔でお礼を言うと、大河さんは一瞬静止した後、力強く抱き締めてきて、激しく唇を奪われた。舌を絡められて吸い上げられ、すぐに呼吸もままならなくなる。大河さんの胸にしがみついて、懸命に応えていると、漸く解放してくれた大河さんが、熱い視線で見下ろしてきた。
「冴香、俺も好きだ。愛している。」
「大河さん……。」
肩で息をする私の頬を、大河さんの大きな手が優しく撫でる。何時になく艶っぽい大河さんに、ドキドキして目が離せない。
どうしよう。私、このまま大河さんに抱かれちゃうのかな!? そ……それでも、い、良いかな?
戸惑う私の唇を、再び大河さんの唇が塞ぐ。心臓が煩くて、顔が熱くて、でも気持ち良くて、ぼーっとしてきて、何も考えられなくなる。
ピーンポーン。
突如鳴り響いたインターホンの音に、私は目が点になった。大河さんの動きも止まる。
「だ、誰か来たみたいですね……。」
「気のせいだろ。」
大河さんが即答する。
いや、気のせいじゃないでしょう!
だけど、また大河さんにキスされて、反論する事も出来ない。
ピーンポーン。ピーンポーン。
再び音が鳴り、私は大河さんの胸を押す。大河さんはびくともしなかったが、何度も押していると、漸く離れてくれた。大河さんの眉間に、見る見るうちに皺が寄っていく。
「ったく、誰だよ!! こんな時に!!」
大河さんの怒声を背後に聞きながら、私がインターホンに出る。
「冴香さん、来ちゃった! 上がっても良い?」
「はい。今開けますね。」
エントランスに来ていたのは、麗奈さんだった。私はすぐに解錠して、麗奈さんが来ている事を大河さんに告げ、玄関に出迎えに行く。
「「冴香ちゃん、誕生日おめでとー!!」」
てっきり麗奈さんお一人だと思っていたら、玄関扉が開いた途端、大勢の人が雪崩れ込んで来て、私はすっかり面食らってしまった。広大さんに雄大さん、麗奈さん、新庄さん、凛さん、敬吾さん、谷岡さん、大樹さん、わあ、会長に和子さんに、将大さんと恵美さんまで!?
「急にごめんなさいね。でも、私達も将来の義娘のお誕生日をお祝いしたくて!」
「あ、ありがとうございます、恵美さん。」
「お邪魔するよ、冴香さん。愚息は何処かな?」
「あ、リビングにいらっしゃいます。」
突然の事に全然頭が付いて行かなかったが、取り敢えず皆さんと一緒にリビングに移動する。
「な、何だお前ら!?」
ぞろぞろと入って来た皆さんに、大河さんも驚かれたようだ。
「ねえ大河、何かこの部屋、焦げ臭くない?」
谷岡さんが周囲を見回しながら尋ねる。
「ああ、大河が冴香ちゃんの為に、カレーを作るって言っていたからな。多分焦がしてしまったんだろう。」
「ええ!? 大河が料理!? 信じられない!! そうかー成長したのね、大河。お母さん嬉しいわ! 今度私にも何か作ってくれないかしら?」
「な、何でお袋達まで居るんだよ!?」
「折角の冴香さんの誕生日、儂らもお祝いしたいからな。」
「祖父さんまで……!」
愕然とする大河さん。
「安心しろ、大河。お前の事だから、一人で作ったら多分失敗するだろうと思って、唐揚げを差し入れに来た。」
笑顔で大河さんの肩をポンと叩く敬吾さん。
「私はサラダ。野菜を切って混ぜて、ドレッシングをかけただけだけどね。」
「敬吾、凛!! お前らまさか、最初からこうなる事を計算していたんじゃないだろうな!?」
「さあ、何の事だか。」
「敬吾テメエ!!」
「暴力は止めなさい、大河。」
楽しそうに笑う敬吾さんの胸倉を掴む大河さんを、将大さんが窘める。
「折角冴香がデレたのに!」と大河さんが壁を殴って嘆いている間に、食卓には皆さんが持って来て下さった、フライドポテトやお寿司やショートケーキ等、様々な料理や飲み物が並べられていく。呆然としたまま、取り敢えず人数分の取り皿を用意したり、大河さんが作ったカレーを盛り付けたりする私を、勝手知ったる凛さんと敬吾さんが手伝ってくれた。流石に全員が座れる数の椅子は無いので、こうなったら立食パーティーだ。
「改めて、冴香さん。お誕生日おめでとう。」
会長に祝福されて、私は胸がいっぱいになった。
「皆さん、本当にありがとうございます!!」
私の為に集まってくれて、こんなに盛大に祝ってもらって。有り難くて、やっぱり目に涙が浮かんでしまった。
乾杯をして、思い思いに料理を取って口に運ぶ。
「うん、敬吾の唐揚げ、やっぱり美味しい!」
「凛のサラダも美味いぞ。」
「冴香さん、お寿司はどうかな?」
「ありがとうございます、会長。美味しいです!」
笑顔で会長に答えると、会長は感極まったようにガッツポーズをしていた。どうしたんだろう。
「それにしても、大河が料理するようになるとはな……。頑張ったな、大河。」
「顔を引き攣らせてまで食わなくて良いぞ、親父。不味いだろ。」
「そんな事ないですよ、大河さん。美味しいです!」
「えっ、冴香さん、味覚大丈夫……?」
大河さんのカレーを食べていたら、カレーと水を交互に口にしている恵美さんに、妙な心配をされてしまった。和子さんも驚いたように私を見つめている。良く見たら、カレーを食べているのは、将大さん恵美さんご夫婦と、和子さんと、大河さんと私だけのようだ。
何で皆食べないんだろう? 美味しいのにな。あ、そうか、きっと皆さん舌が肥えていらっしゃるんだ。
「ねえ冴香さん、その指輪、大河君から?」
「はい。ついさっき、プレゼントして頂きました。」
顔を赤らめながら答えると、麗奈さんは目を輝かせた。
「良かったね! おめでとう! あ、これ、私からもプレゼント!」
「わあ、ありがとうございます、麗奈さん!」
「冴香さん、これは俺から。」
「俺も! はいこれ。」
「僕も。誕生日おめでとう!」
「私も! 冴香ちゃん、お誕生日おめでとう!」
「わあ……! 皆さん、ありがとうございます!!」
皆さんから沢山のプレゼントを頂いてしまい、恐縮しつつも、やっぱり嬉しくて、心からお礼を述べた。
皆さんに囲まれてお祝いされ、賑やかな夜は更けていく。
十一歳の誕生日までは、お母さんと二人でモンブラン。十二歳から十八歳までは、誕生日すら覚えていなかった。だけど十九歳の誕生日は、お父さんが、ジュエルのご夫婦が、そしてこんなに大勢の人達が、私をお祝いしてくれた。嬉しくて、有り難くて、一生忘れられない、最高の誕生日になった。
「おいお前ら、もう夜の十時を回ったぞ! そろそろ帰ったらどうなんだ? 明日も平日なんだぞ!」
大河さんの機嫌がもう少し良かったら、もっと良かったんだけどな?




