第5.5話 王宮炊事場騒動記(後編)
本日はここまでです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
朝食を作り終わっても、炊事場に休みはない。
バラガスさんたちは、そのまま昼食の準備を始める。セリディアと一緒だ。
どうやらエストリア王国の王宮も一日三食らしい。セリディアでは貴族や王族こそ三食だけど、お金のない平民や農民は一日二食だったりする。獣人は食欲旺盛だと聞いた。種族の特性上、一日三食と決めているのかもしれない。
そして昼食も終わる中、僕に次の命令が下される。
「おい。皿洗いしろ」
流し台を指差す。そこにはすでにたくさんの皿や器、鍋が山と積まれていた。
「綺麗にしろよ」
「はい。頑張ります」
「なんで嬉しそうなんだ、お前。変な小僧だ」
嬉しいに決まっている。やっと仕事をもらえたのだ。
バラガスさんたちの動きを見るのも勉強になるけれど、ちょっと退屈してきたところだったしね。
よーし、と腕まくりし、1つ皿を持ち上げる。
「重っ!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
それもそのはず。僕の顔よりも大きな大皿だったからだ。
「絶対に割るんじゃねぇぞ。割ったら、即刻出てってもらうからな」
バラガスさんは念を押し、自分の持ち場に戻る。
僕に気合いを入れさせるために、厳しい言葉を投げかけたのだと思うけど、元より僕は割るつもりもない。折角、バラガスさんが与えてくれた仕事だ。完璧にこなして、早く認めてもらわなきゃ。
「よーし。頑張るぞ!」
僕は腕を捲り、気合い入れて皿洗いを始めた。
◆◇◆◇◆ 晩餐の席にて ◆◇◆◇◆
バラガスがとある変化に気づいたのは、ルヴィンが炊事場で働くようになった2日目の晩餐の席だった。
その晩、アリアはバラガス自慢のステーキを幸せそうに頬張る。
バラガスのステーキは、実にシンプルだ。最小限の味付けの後、表面が焼け焦げるギリギリまで焼く。そのため表面はカリッと、中はジューシーという食感をもたらすことに成功していた。
「それで? ルヴィンくんは役に立ってる?」
ルヴィンという言葉を聞いて、黒熊族の獣人はすぐに仏頂面になる。
その顔を見て、機嫌良く食べていたアリアは眉間に皺を寄せた。
「まさか皿洗いだけしかさせてないとか言わないよね、バラガス」
「そ、そんなことありませんよ、御嬢。……ただあいつの作る料理はレベルが低くて。今は基礎からやらせてます」
「基礎ね。なるほど。ちゃんと教育してるんだ」
アリアは満足そうに椅子に座り直し、ステーキを手で掴んで頬張る。
ただ本来、王宮では作法通り食べないと、マルセラに叱られてしまう。こうしたマナーを普段からやっておかないと、いざ他国の王や貴族と会食することになった場合、恥を掻いてしまうからだ。引いては国の威信を揺るがすことになるので、アリアもマルセラも意識して技術向上に励んでいた。
気づいたアリアは「しまった」という顔をしながら、晩餐に同席していたマルセラの顔を見る。当の秘書官はフォークについたソースを、真剣な表情で見つめていた。
「マルセラ、どうしたの?」
「あっしが作ったソースに何か気になることでも?」
アリアとバラガスの声に、マルセラはハッと顔を上げた。
「その……いつもと何か違うな、と」
「やっぱり? ボクも思った。なんかいつもと何か違うんだよね」
「味付けでも変えたんですか、バラガス?」
マルセラの質問に、バラガスは首を振るしかなかった。
違和感の正体がわからないまま、ルヴィンが来て、5日が経った。
その夜も最後にルヴィンに皿洗いを任せて、バラガスは先に炊事場を後にする。
「戸締まりと、窓の鍵をちゃんと閉めるんだぞ」
「わかりました」
ルヴィンは手を泡だらけにしながら、バラガスの声に応える。
5日間、バラガスはルヴィンに皿洗いか、立たせて自分の作業しか見せていない。
予想ではすぐに音を上げるか、怒って出ていくと思っていたが、ルヴィンにその気配はない。それどころか皿洗いを楽しんでいるようにすら見えた。
「変な奴……」
その日も笑いながら、皿洗いをしているルヴィンを見て、引き上げた。
翌朝――。
バラガスが少し早めに炊事場に顔を出すと、ルヴィンがすでに立っていた。
流し台で皿を洗っている。昨晩見た光景と同じことにバラガスはすぐ気づいた。
「あ。バラガスさん、おはようございます」
「お前、もしかして徹夜したのか?」
確かに昨晩、洗わなければいけない皿や鍋の量は多かった。
客人がやってきて、アリアと一緒に晩餐をともにしたからだ。
結局客人は王宮に泊まることになり、今朝はその仕込みのためにバラガスも早めに炊事場に降りてきていた。
「いえ。ぐっすり眠りましたよ」
「じゃあ、なんで……。さてはお前、仕事を残して」
「違います違います。昨日全部洗って、炊事場を後にしました」
「ならなんで今さら皿を洗ってるんだ?」
「夜と朝に2度洗いしてるんですよ」
「は?」
バラガスは思わず目が点になった。
彼は元傭兵でも、その前は獣人では珍しい食堂を開いた一家の長男だった。
子どもの頃から父親の姿を見ながら、料理人を志し、成人してからその父親の弟子となり料理の道を歩んだ。しかし、数年後獣人たちは戦争に参加することとなった。アリアとは仲が良かったバラガスは傭兵団の遊撃担当兼料理担当として参加した。その功もあって、王宮の料理長を任せられ、腕を振るっている。
人族からすれば古くさい技術かもしれないが、料理の知識と腕には覚えがあった。しかし、バラガスの辞書に、皿や調理道具を2度洗いするという文字はどこにもなかった。
「そんなことをして、どうなるんだよ?」
バラガスの質問にルヴィンは何も言わず、2つの鍋を差し出した。
一方は2度洗いした鍋。もう一方は夜に洗った鍋だという。
どちらも綺麗に洗われていたが、鼻を近づけてみてすぐにわかった。
「夜に洗っただけの鍋の方が臭う」
鍋に鼻を近づけてみないとわからないぐらい微細な違い。
油や料理の匂いではない。小雨が降った森の中の匂いと似ている。だからこそ、バラガスは臭いの原因にすぐ気づいた。そしてルヴィンが決して皿洗いをサボったわけではないことを理解する。
「炊事場の湿気が原因か」
「その通りです」
炊事場は水気を使うせいもあって、湿度が高い。そもそもエストリアは森に囲まれた土地柄だから、余計にだ。しかも防犯のために炊事場に鍵を閉めることを徹底している。食糧事情が不安定なエストリアでは、盗みが日常茶飯事だからである。
そんな環境に置いていれば、たとえ数時間だろうと、かび臭くなるのは当然だった。熱を通せば問題ないだろうし、腹を下すこともない。それでも皿にこびりついた匂いはどうしようもなかった。
「あ。まさか――――」
バラガスは以前晩餐の席でアリアが口にした違和感のことを思い出す。
あれは普段何気なく嗅いでいたかび臭さが、ルヴィンが皿を洗うようになってからないことの違和感だったのだ。
「お前、全部わかって、2度洗いを……。王宮でも同じことをしてたのか?」
「いえ。王宮でもそこまでしてませんよ。ただエストリアと炊事場の環境、何より香りに敏感な種族が多い獣人の方々なら気になるかなと思ったんです。……些細な匂いほど気になって、食事が喉を通らない人もいますから」
「なんでそこまで……」
「敬意です。食べる人への」
ルヴィンの言葉を聞いた時、バラガスの脳裏によぎったのは炊事場に立つ父親の姿だった。自分に料理のイロハを教えてくれた父親。目標だった父親。今ルヴィンの話した言葉は、まさしくそんな父親から何度も聞いた金言だった。
バラガスは頭を掻きながら反省する。
王宮の料理人になり、変なプライドを持つあまり料理人として大事なことを忘れていたことに気づいた。
(今のあっしを見たら、親父にどやされるな)
自分を戒めるようにバラガスは頭を掻いた。
「ルヴィン、1つ聞かせろ。お前、なんでいつも笑ってんだ。皿洗いなんて退屈だろ?」
「そうでもないですよ。……王宮では皿洗いすらさせてもらえなかったので」
王宮でのことを一通り聞く。
ルヴィンはいないものとして扱われていことを聞いたバラガスは……。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! なんだよ、それ! めちゃくちゃひどいじゃねぇか」
ルヴィンを力いっぱい抱きしめて、泣いた。
ついでに……。
「ギィ! ギィギィギィ(お前、そんな苦労してたのか)!」
「ギィギィギィギギィ(王宮のボンボンだと思ってたのによ)」
途中から話を聞いていたジャスパーとフィンという名の鬣犬族も泣いていた。ルヴィンはというと、バラガスに抱き付かれながら、その毛の感触に癒やされる。炊事場で皿洗いしている時以上、顔を弛めて、黒熊族のモフモフを堪能していた。
「はあ……。モフモフ……」
「なんか言ったか、ルヴィン」
「あ。いえ……。なんでもありません」
「……よし、ルヴィン! なら今日から他の仕事もしてもらう」
「本当ですか?」
「ただし条件がある。あっしらに賄いを作れ。おいしいとあっしらを唸らせれば、明日から包丁を握ることを許してやる」
「あ、ありがとうございます」
「礼はまだ早いぞ。あっしらの舌を唸らせる賄い料理を作ってからにするんだな」
バラガスは不敵に笑うのだった。
◆◇◆◇◆
「ぐおおおおおおおお! うめぇ~~~~~~~~~~~~~~~~ええええ!!」
バラガスは炊事場で料理を掻き込みながら吠えた。
ジャスパーとフィンも、皿を持ち上げ、夢中で頬張っている。
皿まで食べるんじゃないかって勢いに、僕はお玉を持ったまま圧倒されていた。
バラガスさんたちが今食べているのは、僕が作った賄い料理だ。
その名も、熟成トロイント肉を使った馬鈴薯とキノコのソテー。
以前アリアが仕留め、氷室の中に保存していたトロイントの肉を使った料理だ。
詳しいレシピはこちら。
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熟成トロイント肉を使った馬鈴薯とキノコのソテーの作り方。
① 室温に戻したトロイントの肉をたこ糸で縛る。
② 塩胡椒、大蒜といった調味料をこすりつけ、牛酪、ハーブ、ラードをかける
③ 窯で20分ほど。時々肉汁を回しかける。
④ 窯の火を落とし、余熱で30~40分休ませる。
⑤ 馬鈴薯は皮を剥き、輪切りにし、水に浸してアクを抜く(水分をよく切る)
⑥ 皮を剥いた大蒜を潰す。玉葱も皮を剥き、薄切り。
⑦ キノコは石づきを落として、半分に。
⑧ フライパンにバター、玉葱、大蒜を入れて炒める。キノコを加え、塩胡椒する。
⑨ ソテーしたキノコを取り出し、キノコから出た出汁をそのままにする。
⑩ 牛酪を入れたフライパンに、⑤の馬鈴薯を弱火でじっくりソテーする。
⑪ ⑨のソテーしたキノコを入れ、強火で一緒にソテーする。
⑫ 肉汁と⑨の出汁を使って、④の肉を煮詰め、塩胡椒、牛酪で味を調える。
⑬ 切った肉を大皿に盛りつけ、キノコと馬鈴薯のソテーを添え、最後に⑫のソースをかけ、完成。※お好みでハーブも。
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「なんだ、このお肉の食感は!! 外はカリッとして、中はやらか~い。しかも噛めば噛むほど肉汁が溢れてくるぜ。何より肉の旨みがたまらん。芳醇なキノコのソースと相まって……。ああ。口の中で森が生まれていくぅぅぅぅうう」
「ギィギィギィ(キノコもうまうま……)」
「ギィ……。ギギィ、ギギギィ(馬鈴薯も……。外はカリッと、中はほっこり)」
「「「はあ~~。世の中にはこんなにうまいものがあるのかよ~~」」」
神様か、それとも天使様だろうか。
この世ではないものを見たかのように3人は目を細める。
ちょっとオーバーすぎる気がしないでもないけど、3人が幸せなら僕は満足だ。
僕は倉庫の中にあった材料の残りを使っただけなんだけどね。
「御嬢が惚れるわけだぜ。よし。決めた」
「何でしょうか?」
「お前、今日から料理長をやれ」
「え?」
料理長!!
へい! 料理長!
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ブックマークと後書き下部の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけましたでしょうか?
小説を書くモチベーションになりますので、是非よろしくお願いします。




