第5話 王宮炊事場騒動記(前編)
◆◇◆◇◆ セリディア王宮にて ◆◇◆◇◆
「申し訳ありません!」
大臣は斧でも振り下ろすかのように頭を下げた。
禿げ上がった頭頂には、べったりと汗をついている一方、その顔はみるみる青くなっていく。歯を鳴らす音がまるでその時の大臣の心音のように部屋に響いていた。
エストリア王国のアリア女王陛下、およびルヴィン第七王子の暗殺の失敗。
その報告はたった今、セリディア王国国王ガリウスの耳に入ったところだった。
ガリウスの態度はあからさまだ。頭を下げる大臣に対して、目も合わせない。趣味としている庭木の薔薇の剪定を続けた。
「なんのことだ?」
「はっ? ですから、アリア女王とルヴィン殿下の……」
「知らんな。余はそんな命令を出しておらん。違うか、大臣」
ようやく振り返ったガリウスの瞳は、どこか獣じみていた。
大臣は慌てて頭を下げると、その場から立ち去っていく。
騒々しかった王宮の庭に再び静寂が戻った。
シャクシャクという小気味良い音を立てながら、剪定していたガリウスの手が止まる。大きく膨らんだつぼみを、真剣な眼差しで見つめた。
「大きく育ったな、お前は。しかし、お前のおかげで他の者が影になり、目立たなくなるのだ」
ガリウスはつぼみの元の部分から鋏を入れる。
落ちたつぼみをさらに踏みつけると、冷たい眼差しを送った。
◆◇◆◇◆
「木登りは得意かい、ルヴィンくん」
突然、アリアは馬車を止めさせると、僕に尋ねた。
木登りは得意な方だと思う。でも、それは王宮の中の話だ。大きな木のてっぺんにものの数秒で登ってしまうアリアとは比べものにならない。それでもなんとか登り切ると、僕は広がっていた景色に息を飲んだ。
地平を埋めつくす深い緑色の森。
その中心に立っていたのは、白亜の綺麗な王宮だ。
3つの大きな尖塔に、堅牢な城壁。城の中ではまだ小城の部類だけど、木の実の香りがここまで香ってきそうな深い森の中にあるせいか、とても綺麗だった。
「あれが、ボクたちの王宮だよ」
アリアは森の上を吹き抜ける風を浴びる。
単純に王宮も、アリアも綺麗だと思った。
よく考えたら、王宮の雰囲気がアリアとそっくりだ。
「ボクの目標はエストリア王国を一流の国家にすること。獣人の国を他と比べても遜色ない国にすれば、いつか獣人たちを受け入れてくれる。ボクはそのために皇帝陛下から国を戴き、女王になったんだ」
「一流の国家……」
「まあ、ボク自身が一流じゃないけどね。ナイフとフォークの扱いだって、うまくないし」
「なれますよ、一流の国家に……」
今すぐというのは難しい。
まだエストリア王国はまだ剥き出しの原石だ。
でも、ナイフとフォークの握り方すら知らなかったアリアが、努力してテーブルマナーを会得したように、エストリア王国も研鑽を積めばきっと一流――いや、帝国に比肩するぐらいの超大国になれるかもしれない。
肥沃な森……。豊かな水資源……。魔力に満ちた自然……。独自の生態系によって生まれた様々な魔草や野草たち……。未知の動物たち……。魅惑の食材……。地下に眠る天然資源……。未熟でも純朴で努力を惜しまない国民性……。開拓可能な土地……。三圃制の導入……。教育制度の拡充……。魅力的な観光地……。
そう。ボクには見える。
【料理】を通して、この国が大きくなっていく様を……。
これに従えば、いつかエストリア王国はアリアが望む一流の国になれるはず。
もしかしたら、この【料理】はエストリア王国とアリアの夢を叶えるために、神様がボクに残してくれたのかもしれない。
僕たちは馬車に戻り、ついにエストリア王国へと入城する。
アリアを出迎えたのは、3人の獣人だった。
「御嬢! 長旅ご苦労様でした」
馬車を降りるアリアを見て、頭を下げたのは大きな熊の獣人だった。
短く刈り込まれた黒色の毛に、見上げるような大きな身体。脚や手の先にある爪は鋭く、光沢を帯びて光っている。濃い茶色の瞳は刃物のように鋭く閃く一方、片方には痛々しい刀傷が残っていた。歴戦の戦士という姿だけど、丸い耳と短い尻尾は愛着を感じさせてくれる。
鎧ではなく、コック服を着ているところを見ると、王宮の料理人なのかもしれない。その側で同じくコック服を着て、2人の鬣犬族が馬車から荷物を下ろしていた。双子みたいに顔がそっくりで、そのせいか息の合った動きを見せている。目が合うと、睨み返されてしまった。いきなり獣人の国に人族がやってきたのだ。警戒するのはしょうがない。
「やあ、バラガス。料理長の君がお出迎えか」
「あっしでは役不足でしたか。騎士団は出稼ぎに行ったきりでして。……それよりセリディア王国はどうでした?」
「熱烈な歓迎だった、とはいえないかな。食糧の交渉もご破算になっちゃったし」
「へぇ……。それでこんな坊主を連れてきたと」
アリアがバラガスと呼ぶ黒い熊の獣人は、僕を睨み付ける。
圧倒的な殺気に、僕はつい固まってしまった。
「それで? なます斬りにしやす? それともひとおもいに丸呑み?」
え?
「こらこら。バラガス、ルヴィンくんがびっくりしてるじゃないか」
「いや~、てっきりこれが食糧かと」
「ルヴィンくん、あのね。今のは冗談だからね。いくらボクでも人間なんて食べたりしないからね」
アリアは必死にフォローする。
昔から獣人には食人の文化があると思われてきた。
人族が獣人を恐れる理由の1つだ。
しかし、これらの認識は最近になって間違いであることがわかった。獣人は人を食わない。その根拠もない。ただその間違った認識が完全に消えないのは、獣人が時に爪や牙を武器にするからだろう。特に牙を使って、人の頸動脈を切ったりする際、人を食べているように見えてしまうからだ。
アリアたちは過去の戦争において傭兵として恐れられてきた。
でも、アリアたちが今後戦う敵は、獣人に対する謂われのない差別なのかもしれない。
「ちょうどいいや、バルガス。紹介するね。彼はルヴィン・ルト・セリディア」
「セリディアって……。この小僧、王族なんすか!?」
「そう。でも、ここではボクの専属料理番になってもらう。つまり〝女王の料理番〟というわけだ」
「〝女王の料理番〟って……。ちょっと待ってくださいよ、御嬢。あっしを差し置いて、なんでこの小僧が……」
「不服かい、バラガス」
アリアがギラリと睨むと、それまで怒り心頭だったバラガスさんは口を閉じた。
一触即発になりかけた雰囲気の中、秘書官のマルセラさんが間に入る。
「2人ともそこまで……。バラガス、ひとまず従ってください。うちのリーダーが言い出したら聞かないことは、あなたもよく知ってるでしょ?」
「そりゃわかってるけどよ」
「心配しなくても、炊事場の中での責任者はあなたです。だから、そこまでアリアも口出ししません。そうですね、アリア」
アリアは頷く。
「つまり、あっしなりにあいつを教育しろってことか?」
「言っておきますが、料理の腕は確かです。煮るなり焼くなりはお任せます」
「本当に食べちゃいますよ」
「…………」
「じょ、冗談だ、マルセラ。けど、使えなかったら即刻追い出しますからね」
バラガスさんはアリアの荷物を肩まで持ち上げると、王宮の奥へと引っ込む。
その後ろを歩く鬣犬族の2人は、僕の方を見るなり、舌を出した。それをアリアに見つかり、慌てて王宮の奥へと走っていく。
予想はしていたけど、あまり歓迎されていないようだ。
「バラガスの奴、臍を曲げちゃって……」
「今のはアリアが悪い。バラガスはだってエストリア王国の炊事場を支えてきた自負があります。突然女王の料理番などと言われれば、臍を曲げるのは当然です」
「でもさ。ルヴィンくんを見るなり、『食う』とかいうんだよ、ぷんぷん」
「それはバラガスが悪いですが……」
「ルヴィンくん、どうする? なんだったら、バラガスと違う炊事場を使って」
僕は首を振った。
「いえ。僕はバラガスさんと仕事をしたいです」
バラガスさんの指先の爪は、よく手入れされていた。いつも手を清潔にしている証拠だ。コック帽もエプロンも毎日洗ってるみたいだし、毛を短く刈り込んでいるのも、料理に毛を落とさないためだろう。
見た目は怖いけれど、あの人はちゃんとした料理人だ。少なくとも僕の目にはそう見えた。そんな人から、きっと何か学ぶことがあるはずだ。
◆◇◆◇◆ 次の日 ◆◇◆◇◆
早速、僕は炊事場で働くことにした。
獣人が治める王宮とはいえ、炊事場にある設備はなかなか立派だ。
3つの竈に、パンを焼く窯が2つ。大きな作業テーブルが3つも並んでいる。
食器棚は8つもあって、高級そうな皿や器が並んでいた。
今日から僕の職場になるかと思うと、ドキドキしてしまう。
「なんだ、お前。もう来たのか」
バラガスさんが炊事場に入ってくる。
鬣犬族の2人も、慌てた様子で入ってきた。
僕の姿を見つけると、また舌を出して威嚇する。
「まだ夜が明けたばかりだってのに。早いな。誰に言われた?」
「お、王宮の料理人たちはいつもこの時間から仕込みをしていたので」
「ほう。王宮ね……」
バラガスさんは僕を睨む。
しまった。今のは言い方はちょっと不味かったかもしれない。
バラガスさんは手を入念に洗い、竈に火を入れる。
鬣犬族の2人も備蓄倉庫から野菜や木の実を持ってくると、皮を剥いたり、野菜を切ったりして、下拵えを始めた。僕も手伝おうとして、箱に手を伸ばしたけど、その前に鬣犬族の2人に威嚇される。
「あの……。僕は何をすれば……」
「何もない。あっしらの動きを見てろ」
なるほど。見て動きを盗めってことか。
僕が炊事場を見るのは今日が初めて。そこで働くバルガスさんたちの動きを見て、学べってことなのだろう。
昨日はすごく怒ってたけど、バラガスさんって実は面倒見のいい人なのかもしれない。
本日も、もう1話更新しますね。
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