第3話 トロイント(前編)
本日もよろしくお願いします。
セリディア王家には特別な力『ギフト』がある。故に他国に利用されないように、血筋を外に出さないようにしてきた。長い王家の歴史の中でも、たった1度だけだ。
なのに国王陛下は、僕に「出て行け」と告げた。
もう自分の子でもないと……。
カッとなって出てきた言葉だとは、僕も理解している。
でも、それが父上の本音だったような気がしてならなかった。
あの場で発言を撤回し、引き留めればアリアは僕を攫うことはなかったはずだ。
そうしなかったのは、僕に出て行ってほしい理由があったのだろう。
父上が何を考えているかわからない。
獣人相手ならば血筋の継承がないと思ったのだろうか……。
ふと僕は横に座ったアリアを見つめる。
馬車の窓から外を眺めていたアリアは、耳をぴこりと動かす。
僕の方を向いて、何故か意地悪い笑みを浮かべた。
「ルヴィン、今ちょ~~っとエッチなことを考えたでしょ」
「ええええええええ!! いやいやいやいや! そ、そんなことないよ!」
「またまた! ボクの耳はとってもいいんだぞ。君の心臓の音を聞いて、何を考えているかわかるんだ。うりうり」
アリアは大きな尻尾を僕に擦りつけてくる。
モフモフ……。めちゃくちゃやわらか~い。
い、いいのかな。こんなに触って。もしかして獣人の人たちって、みんなアリアみたいなスキンシップに躊躇がないのかな。
そういえば、王宮で飼っている猫もよく足に身体を擦りつけて……さすがに獣人と猫を同一視するのは失礼だろ、僕。
「アリア、やめなさい!」
大きめの眼鏡を上げたのは、僕の前に座った男装の麗人だ。
色白の肌に、ボブカットされた灰色の髪。背丈も歳の感じもアリアと同じぐらいだろう。薄い水色の瞳のせいか、どこか冷たい印象を持つ彼女は、馬車の中ではしゃぐアリアとはまるで違っていて、如何にも大人の女性という風情だった。
そんな彼女の頭にも、アリアよりも小さくて可愛い耳がついている。
細く長い尻尾から察するに鼬の獣人なのだろう。
「痛いじゃないか、マルセラ」
「他国の王子を捕まえ、盛りの付いた雌犬みたいなことをしているからです」
「失敬な。ボクをそこらの獣と一緒にしないで欲しいね。あと、ボクは狼だ」
「それが同じだと言っているのです」
「なんだって!!」
ついにアリアは顔を真っ赤にして、拳を振り上げる。
壮絶な獣人同士のやり取りを、僕は観戦することしかできなかった。
「紹介がまだだったね。彼女はボクの秘書官マルセラだよ。ボクの幼馴染みなんだ。とっても頭がいいんだよ」
アリアが紹介すると、マルセラさんは会釈する。
「初めまして、ルヴィン王子。マルセラ・ヴィ・ディヴィシュと申します。アリア陛下とは腐れ縁の仲です」
「言い方!!」
アリアは思いっきりマルセラさんにツッコむ。新国とはいえ、一国の女王陛下を「腐れ縁」呼ばわりするなんて、よっぽど2人は固い絆で結ばれているんだろう。
ちょっと羨ましい。僕にはたくさんの家臣がいたけれど、こうやって何でも言えるのは、フィオナだけだった。フィオナ、何をしているかな。
側付きのことを思い出しいると、マルセラさんは頭を下げた。
「この度は、うちの女王陛下の思いつきで我が国にご同行いただきありがとうございます」
「なんか引っかかるな、その言い方。ボクが悪者みたいじゃないか」
「そう聞こえるように言ったんです。そもそも言いましたよね。セリディア国王と和解し、食糧を援助してもらうように頼め、と。なのにあなたときたら……」
「だって! ルヴィンくん、可哀想だったんだもの! あのまま見て見ぬ振りなんてできないよ」
「まったく……。あなたはすぐそうやって」
マルセラさんは客車の椅子に座り直すと、煙管に火を付けようとする。
「マルセラ! 王子様の前なんだから自重してよ」
「これは失礼。つい癖で……」
マルセラさんは落ち着いた所作で、客車の外に灰を落とす。
話を聞く限り、アリアがセリディア王国にやってきたのは、何かしら目的があったらしい。だけど、それがうまくいかないどころか、僕のような厄介者を引き込んでしまった。マルセラさんが怒るのも無理はない。
「ごめんなさい。僕のせいで」
「ルヴィンくんが謝ることじゃない!」
アリアはきっぱりと言い切った。
そしてまた僕を抱きしめる。今度は深く、温かくだ。
「マルセラの言う通りだよ。ボクが君を選んだ。ボクはなんら後悔していないよ」
「アリア……」
「それに君はボクの国にとって必要な人材だしね」
「僕が必要?」
「知ってると思うけど、ボクの国はできてまだ日が浅い。ボクが言うのもなんだけど、家臣は全員破落戸の集まりみたいなものなんだ。だから君には色々教えて欲しいんだよ。エストリア王国を本当の意味で国家にするために」
「僕、子どもですよ。もっと大人に頼むべきじゃ」
「君はあの晩餐会で、唯一ボクたち側に立ってくれた。ボクたちの文化に理解を示してくれた。そんな人材なかなかいないよ。たとえ君が赤子だったとしても、大歓迎さ」
そしてアリアは満面の笑みを浮かべて宣言した。
「それにボクの勘が言ってる。君ならできるって」
アリアが口にした途端、僕の心の中で事実になっていく。そんな感じがした。それほどアリアの言葉は、真剣味を帯びていた。ただ本人の顔が緩くて、まるで今から大冒険に誘おうとしているヤンチャな子どものようにしか見えないけど……。
僕はアリアを信じていいのだろうか。
『ヒヒーンッ!』
馬の嘶きが響くと、突然馬車が止まった。
何事かと僕は外をうかがう。しかし、その前にアリアは僕の顔を床に押し付けた。
「顔を上げちゃダメだよ、ルヴィンくん」
「何が起こってるの、アリア」
「敵襲さ」
その言葉を聞いて僕は慌てるけど、客車の中の2人は実に落ち着いていた。
「どうやらセリディア王国は、タダでわたくしたちを帰すつもりはないようですね」
「恨みを買った覚えはないんだけどなあ。少なくとも王宮ではお利口にしていたよ、ボク」
「お利口にしていたら、こんなことにはなりませんよ」
「これでもボクは皇帝陛下の名代なんだけど」
「セリディアの国王には、皇帝陛下のご威光が通じないようです」
「100人ってところかな? 結構多いね」
アリアはやれやれと首を振ると、そっと僕の頭に手を置いた。
「ちょっと待っててね、ルヴィンくん。悪いヤツをやっつけてくるから」
アリアは僕が止める前に、客車を出ていった。
まるで今からハイキングでも出かけるような気軽さでだ。
「マルセラさん、護衛はいないんですか?」
「護衛……? そんなものはいませんよ」
「だって、相手は100人ですよ」
そもそもアリアは新国エストリアの女王だ。
護衛もつけずにやってきたことすら、前代未聞だった。
他の諸侯や貴族は、何十人と子飼いの騎士を領地から連れてきたというのに。
なのにマルセラさんは妙に落ち着いていた。
それどころかアリアに注意されたにもかかわらず、煙管に火を入れてしまった。
細い煙を窓の外に向かって流す。煙草の匂いがしない。
魔術だ。おそらく風の魔術で煙と匂いを外に排出したんだ。
「必要ありません。十分すぎてお釣りが来ます」
直後、客車が横転しそうなほどの暴風が襲う。
僕は何事かと外を覗くと、まるで「見ろ」とばかりに客車の扉が自然と開いた。
広がっていた光景を見て、僕は呆然と佇む。
フードを目深にかぶった暴漢たちが全員倒れていた。
中心にいたのは、アリアだ。パンと手を叩いて、やれやれと首を振っている。
僕と目が合うと、アリアはVサインを送った。
「ひゃ、100人を一瞬で……。これが獣人の力……?」
「そして、あなたのお父様が恐れる力です。といっても、アリアは特別ですけど」
なるほど。これほどの武力があれば、多くの国から恐れられるはずだ。
「ば、化け物!」
悲鳴を上げたのは、馬車の御者だった。
どうやら御者もグルだったらしい。すっかり縮こまってしまった御者は木の根に足を取られると、あっさり転んでしまった。アリアが近づいてくると、「殺さないで」と悲鳴を上げた。
「女の子に化け物とかひどいなあ。国の中では美人な女王様で通ってるんだよ」
「嘘を吹き込むのはどうかと思いますよ、アリア」
「う、ううう嘘じゃないよ! もう!」
またアリアとマルセラさんの寸劇が始まる。
そんなことをしている場合じゃないのに。
「な、なんだ!?」
再び御者から悲鳴が上がる。
御者の首から下げていた宝石のようなものが光っていた。
おそらく魔術の力が込められた魔導具だ。それが光を帯びると、御者のお尻の下に大きな魔方陣が広がった。
「召喚魔法……?!」
「……の魔導具だね」
魔導具を持っていた御者は、悲鳴を上げながら魔方陣の中に飲み込まれていく。その声が魔方陣の中に沈むと、代わりに黒い針のような毛のついた巨大猪がせり上がってきた。
大きな豚鼻に、曲剣のように反り上がった牙。口を開け、周囲に轟くように声を上げる。王者の風格を漂わせつつ、巨大猪は僕たちの前に現れた。
「トロイント……」
あと、もう1話更新予定です。




