第22話 皇宮の厨房
すでに書籍の情報が出ていまして、お問い合わせもいただいております。
タイトルの変更などもあり、まだ正式には発表できないので、しばしお待ち下さい。
勝負は一瞬だった。
落雷にも似た一閃が闘技場を縦に裂く。
次の瞬間、倒れたのはリースさんのライバル――ベーターさんだった。
……沈黙。そして地鳴りのような歓声が沸き起こる。
その中心に立っていたのは、リースさんだ。
戦斧を掲げ、応援してくれた者に感謝の意を表す。
僕も目一杯の力で手を叩き、拍手を送った。
「すごい! すごい! さすがリースさんです」
「ああ見えて、日頃コソコソとボクに隠れて訓練しているからね。ベーターも強くなっているけど、まだまだリースには及ばないかな」
「えっと……。素朴の疑問なんですけど、アリアとリースさんが戦ったら、どっちが強いんですか?」
『アリア』
側に座っていたマルセラさんとバラガスさんが声を揃えて、即答する。
そんなに強いんだ。アリアって……。
天覧試合を見終えて、僕たちは闘技場から皇宮へと戻る。
西の彼方を見ると、山の稜線に陽が沈み、わずかに赤い光が見えるだけ。
空を見ると、強い光を放つ星が瞬いていた。
夜となれば、なんと言っても楽しみなのは晩餐会だ。
その会場に向かう道すがら、僕たちの姿を見て丁寧に頭を下げる人がいる。
薄緑色の長髪に、黄色の瞳。年はセオルド皇帝陛下と同じぐらいだろう。
陛下と違うのは、あまりに筋肉質ではなく、如何にも文官タイプの官吏だった。
「やあ、ザハード。久しぶりだね」
「アリア女王陛下、ようこそお越し下さいました」
アリアにザハードと呼ばれた官吏は深々と頭を下げる。
ザハードさんはセオルド皇帝陛下の秘書だ。多忙な皇帝陛下のスケジュールを管理し、軍事、外交、内政、土木、すべての官庁の調整を行っているという。
「マルセラさんみたいな役目の方なんですね」
「ザハード殿と比べたら、私なんてまだまだです。仕事の量が違います」
「そんなことはありませんよ、マルセラ殿。ヴァルガルド帝国はすでに完成された国。対するエストリア王国はこれからの国です。新国には新国の難しさがあり、人には見えない苦労があるかと存じます」
「わかってくれますか、ザハード殿」
「お互い猛犬の手綱を握っていますからね」
マルセラさんとザハードさんはガッシリと手を握る。
猛犬の手綱か……。どちらも苦労してるみたいだね。
「ところで、ボクたちに何か用かい?」
「ええ。陛下からルヴィン王子を厨房に案内するように仰せつかりまして。わたくしでよろしければ」
「ボクもいいかな? 皇宮の厨房なんて滅多に見られないし」
というわけで、結局全員で厨房を見学することになった。
皇宮の奥へと進むと、徐々にいい香りがしてくる。
晩餐会場からもほど近く、廊下1本のところにあることに僕は感心した。
「こちらが皇宮の厨房となっています」
「うわぁ……」
思わず声が出た。
広い。とにかく広かった。
エストリア王国の2倍。いや、3倍はあるかもしれない。
鉄でできた最新式の炉に加えて、石窯が4つ。
壁一面に並べられた食器はすべて銅製で、一流の職人が作ったものばかりだ。
何より目を引くのが、やはり料理人たちの仕事ぶりだった。
無駄がなく、皆が粛々と自分の持ち場で自分の仕事をこなしている。
今回の晩餐会に参加する人は、総勢で2500人。
以前、エストリア王国で催した人数よりもはるかに多い。
本来なら炊事場がひっくり返るぐらい忙しいはずなのに、人の声は最小限で皿や鍋が擦れる音だけがヤケに響いていた。
「ザハード様、どうされました?」
大挙してやってきた僕たちを出迎えたのは、綺麗なコック服と立派な髭を生やした料理人だ。見た目の年齢と雰囲気からして料理長だろう。大陸の覇者であるヴァルガルド帝国の料理長、それ即ち大陸料理会の代表する料理人で間違いない。
(そんな人にいきなり会えるなんて……)
気が付けば、僕は手が震えていた。
「ご紹介します、料理長。こちらはアリア女王陛下とご一行。そしてこちらがセリディア王国第七王子ルヴィン殿下です」
「ほう。あなた様が……。お噂はかねがね。陛下の舌を唸らせたとか」
料理長は自ら手を差しだし、子どもの僕に握手を求める。
セリディア王国であれば、まず子どもと見るや侮る人間がほとんどだ。それも王子で料理人といえば、冷えた目で睨まれる。
でも、料理長の表情はとても穏やかで、どこかリスペクトすら感じられた。
「いえ。たまたまです」
「ああ見えてあの方はシャイで、思ったことを口にするのが苦手なのですが、料理については別です。実際、帰国するなり私のところに来て、いの一番にあなたが作ってくれた料理についてお話をされていました」
「陛下が……」
「よっぽどおいしかったのでしょう」
そこまで言われると照れくさい。
しかも、尊敬すべき帝国の料理長なら尚更だ。
その後、僕は厨房の中を見せてもらった。
さすがに忙しい時期なので、厨房に立たせてもらうことはできなかったけど、小一時間料理人たちの動きや、味付け・下拵えの方法を見てるだけで十分すぎるほど勉強になった。ついてきたバラガスさんにも刺激になったようだ。気になった調理法や、使ったことがない器具を見て、熱心に質問をしていた。
僕にとって夢のような時間はあっという間に過ぎ、そして晩餐会が始まった。
◆◇◆◇◆
「乾杯!」
2500人という前代未聞の晩餐会は始まった。
テーブルを彩るのは花瓶やシャンデリアの光だけではない。
なんと言っても、芸術性豊かな料理たちだった。
薄いサブレの上に、ヒカリイカの内臓をペーストしたものを塗り、その上にカリカリに焼けたヒカリイカのソテーをのせたホタルイカのサブレ。
山羊乳と生クリームにゼラチンを加えた山羊のバヴァロア。
圧巻だったのは、フォワグラを使った料理だ。
焼き目を付け、酢漬けした茄子に、焼き目をつけたフォアグラを四角形に切って積み上げていく。上に砂糖を抜いたチョコレートの板を置いた姿は、デザートのケーキにしか見えない。
見た目は美しい料理ばかり。
もちろん味も申し分なかった。
「おいしい。何これ……」
僕の隣に座ったアリアが悲鳴を上げる。
おいしさのあまり、もう涙目になっていた。
料理人としては嬉しい悲鳴だろうけど、ここは晩餐会の席。
あまり大きな声は御法度だけど、アリアの気持ちはわかる。
程よくテリーヌされたフォアグラに、香ばしさを残した茄子とのブレンドは最高に食べやすく、創造的だ。そこにビターなチョコ板がいい苦みを与えていて、料理に高級感を与えている。
見た目良し。味良し。満足感良し。
普段の食とは違う。高価なものを食べたという充足感をしっかり満たしてくれるところが、この料理の凄いところだった。
(僕なんてまだまだだ。もっと勉強しないと)
慎重に料理を食べていると、ふとバラガスさんの皿が気になった。
あまり食が進んでいない。僕同様に勉強しているのかと思ったけど、どうもそうじゃないらしい。それになんだか辺りを見回して、キョロキョロと忙しない。
僕と目が合うと、バラガスさんは声を潜めた。
「料理長、料理のタイミングが遅すぎませんか?」
「え? あ……確かに」
料理に集中しすぎて、時間のことを忘れていた。
確かにコースの進行が遅いような気がする。実際、参加者の中にはとっくに皿の上の料理を食べてしまい、退屈している人もいた。まだクレームがかかる段階ではないけど、参加者も気づいて徐々にソワソワし始めている。
これほどの料理を作る人たちが、参加者が口にする時間の大切さを知らないわけがない。
しばらく見守っていると、晩餐会の席にザハードさんが現れた。
主催者である皇帝陛下の席に近づき、何か耳打ちしている。
「やっぱり何かトラブルがあったみたいだね」
「え? トラブル?」
「僕、ちょっと気になるから厨房に行ってみるよ」
「あ。ルヴィンくん。中座するのはマナー違反だよ」
「あっしも……」
「バラガスまで。すぐ帰ってくるんだよ。もう」
眉間に皺を寄せたアリアに見送られて、ボクはバラガスさんと厨房へ向かう。
中に入ると、あれほど静かだった厨房に怒号が飛んでいた。
「一体、どうするんだ!?」
料理人たちの中心にいたのは、あの料理長だ。
僕たちはこっそりと近づく。
すると、うっと息を止めてしまうような匂いに顔を顰めた。
料理人たちが見つめる先。
そこには腐った鴨肉が置かれていた。




