第20話 帝国へ……。
カラカラという音が耳に入ってきた。
瞼を開いたところで、僕は自分が眠っていたことに気づく。
ぼやけた視界に馬車の屋根が見える。どうやら馬車の中で寝入ってしまったようだ。そこまではいいとして、すでに問題が起きていた。
何故か左目だけが何も見えないのだ。
ちょうど目の前に、大きな突起のようなものがあって、僕の視界を遮っていた。
僕は左目が見えなくなったと思い、反射的に突起の排除を試みる。
返ってきたのは、人肌のぬくもりとマシュマロみたいにやわらかな感触だった。
(この感触、何か覚えがあるような?)
首を傾げながら、もう1回触ってみる。
「ひゃっ!」
悲鳴が聞こえたところで、僕は完全に目を覚ました。
同時に突起の脇から見えたのは、赤い瞳だ。
口元は笑っていたけど、口の端がプルプルと震えている。
頬は少し赤らめた女性の頭には、狼の耳がピンと立っていた。
「ルヴィンくんって意外と大胆なんだね」
「うわぁ!!」
慌てて頭を上げるのだけど、さっきの突起にポヨンと押し返される。
そのまま突起と同じくらいやわらかなものに頭が乗る。
前門にやわらかいもの、後門にもやわらかいもの。
挟まれた僕はしばし呆然と状況を見守った。
「やっほー! よく寝てたね、ルヴィンくん」
手を振ったのは、銀狼族の女性だ。
悪戯っぽい笑顔は子どもみたいだけど、こう見えて獣人王国の女王。
名をアリア・ドゥーレ・エストリア。今、僕が仕えている君主である。
「うわぁ! あ、アリア! 何をしてるんだい」
僕は大きな突起を躱しつつ、頭を上げる。
エストリア王国の女王にして、かつて獣人傭兵団『番犬』をまとめあげた銀狼族の女性は、僕の反応を楽しむようにニヤニヤと笑った。
「何って……。膝枕じゃないか?」
「もう! そういうのはやめてよ。アリアは女王様なんだよ」
「確かにボクは女王様だよ。でも、その前にルヴィンくんの膝枕でもある」
「それは違うよ」
「即答されると、なんか凄く傷付くんだけど」
傷心のアリアが眉間に皺を寄せると、対面に座っていたメイドが笑った。
栗色の三つ編みに、古風な感じがする丸い眼鏡。その奥からアメジストをカットしたような鋭い瞳が光る。僕の幼い頃から側付きを務めるフィオナだった。
そのフィオナは僕の脇に手を入れて持ち上げると、自分の膝の上に置く。
さらに小さな子どもが愛用の人形を抱きしめるように、力強く自分の方に引き寄せた。
(ぐぉっ! アリア並みのやわらかい感触が!!)
僕は背中に密着した感触に戸惑う一方で、フィオナは鋭い視線をアリアに向ける。
「やはりルヴィン様には、おらの膝が1番いいだ」
「なにおー、フィオナ。ボクがどれだけルヴィンくんの膝枕として役に立っているか知らないようだね」
「あらあら、アリア女王陛下ともあろうものが何を言っておるだ。ルヴィン様の膝枕とはこのフィオナ・ハートウッド以外にありえないだ! ルヴィン様がまだこーんな小さな頃から膝枕だっただ」
「知らないのかい。古い枕をずっと使っていると出世できないんだ。昔は君がルヴィンくんの膝枕だったかもしれないけど、今はボクがルヴィンくんの新しい膝枕なんだからね」
「ルヴィン様がそんな筋肉でカチカチになった膝枕なんて所望するわけないだ」
「筋肉でカチカチだって? 君にだけは言われたくないね!」
『ぬぬぬぬぬぬ……』
2人は揺れる客車の中で立ち上がり、そのまま睨み合った。
毎度のことだけど、いつになったらこの2人は仲直りしてくれるのだろうか。
それにしても世の中には色々な喧嘩があるのだろうけど、「膝枕」って単語が飛び交った回数では、たぶん世界一だろう。
パチッ!
馬車の上で睨み合う2人の間に破裂音が響く。
圧縮した空気を、2人の目の前に破裂させたのだ。
そんな魔法をやってのけたのは、騒がしい客車の中でずっと書類を読んでいたマルセラさんだった。アリアの幼馴染みで、優秀な秘書だ。
「マルセラ……。何をするんだよ」
「それはこっちの台詞です。もうすぐ目的の場所に到着する頃です。そろそろらしくしてください、女王陛下」
「え? もうそんな時間?」
「そろそろ見える頃ですよ、皇宮が」
マルセラの言葉に、アリアはいち早く反応する。
客車の窓を開けると、顔を出した。
銀髪を激しく靡かせながら、表情を輝かせる。
「ルヴィンくん、ご覧……!」
アリアは興奮を隠せず、僕を手招きする。
請われるまま窓から顔を出した瞬間、眼前の光景に圧倒された。
白い外壁と、青く光る屋根……。
初夏の空を映し取ったように城は聳えていた。
空を刺すような高い尖塔。周囲を囲う堅牢な城壁。
近代建築の粋を集めた建築様式の数々は、機能的であり、かつ芸術性が高かった。
城壁の上に、ドスンと置かれたような城はそれこそ空に浮いているようにさえ見える。
「あれがヴァルガルド帝国の帝都なんですね」
「そっか。ルヴィンくん、初めてなんだね」
「はい」
僕が生まれた国――セリディア王国では、王族は成人しなければ国外に出ることは許されない。1つ例外があるとすれば、許嫁を持つことなのだけど、それも12歳からと定められている。それはセリディア王家が、ギフトという特殊な力を持っている故だ。僕は6歳の時にセリディア王国を出たから、本当に例外中の例外だったのだ。
それにしても、かつての乱世でセリディア王国と最後まで大陸の覇を競ったヴァルガルド帝国に、僕が招待されるなんて。父上が聞いたら、どう思うだろうか。
「料理長、どうしたんですかい?」
窓から顔を出した僕に話しかけたのは、黒熊族のバラガスさんだ。
馬も馬車も苦手だといって、自分の足で走っている。
これがなかなか速くて、速度を調節しないと、うっかり抜かしてしまう。
体力もあって、馬と同じ距離を走ってもバラガスさんの額には汗1つ掻いていなかった。
「もしかして王宮の厨房のことが気になってます? 大丈夫です。ジャスパーとフィンは見た目ああですけど、やる時はやる奴なんで」
「そ、そうだね」
「それにしても楽しみだなあ。皇宮の料理ってどんなものが出るんだろう」
バラガスさんは走りながら垂れてきた涎を吸い上げる。
思わず笑ってしまった。
「我が輩は騎士団の方々に会うのが楽しみですな」
高度を下げて、僕とバラガスさんの間に入ったのはエストリア騎士団の団長リースさんだ。風見鶏族の真っ白な翼を伸ばした火蜥蜴族は、重そうな戦斧を軽々と振り回す。
「お知り合いがいるんですか?」
「むっ? いえ。初対面の方ばかりです」
首を傾げるリースさんを見て、バラガスさんはやれやれと首を振った。
「馬鹿。お前、何度も会ってるぞ。また忘れてるのか?」
「そんな馬鹿な。我が輩は帝国に来ることすら初めて――」
『何度も来てるわ!!』
バラガスさんをはじめ、会話を聞いていた獣人全員から突っ込まれる。
相変わらず、鳥頭だなリースさん。
「リース、まさか我々が帝国にやってきた理由まで忘れてないよね」
「あはははは……。女王陛下、それぐらいは覚えておりますよ。合同訓練ですな」
「違うよ! セオルドの誕生パーティーに出席するためだよ。いいかい。君は今回ルヴィンくんを守る騎士なんだからしっかりしてよ。バラガスも」
「お任せあれ、女王陛下。必ずや陛下を守りしてみせます」
「もう忘れてるじゃないか!」
「お嬢。大丈夫です。料理長のことはあっしに任せてくだせぇ」
バラガスさんがポンと自分の胸を打つ。
最初のアリアとフィオナの喧嘩に始まって、リースさんの鳥頭。
側にはバラガスさんがいる。
帝国にやってきても、なんだかエストリア王国の王宮にいるみたいだ。
そう言えば、こうやってエストリア王国のみんなと一緒に外出するのが初めてだな。目的はセオルド皇帝陛下の誕生祝いだけど、みんなで楽しい思い出を作れればいいな。
そして馬車はいよいよ門をくぐり、帝都に入っていった。
頑張って更新します!




