第19話 大陸に響く声
次回エピローグです。
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◆◇◆◇◆ 約1カ月後 セリディア王国 ◆◇◆◇◆
「セオルド・ヴィトール・ヴァルガルド皇帝陛下、ご入来!」
セリディア王国の謁見の広間に衛士の声が響く。
扉が開き、現れたのは白い正装に真っ黒な髪を揺らした青年だった。
真っ直ぐによどみなく玉座へと続く絨毯の上を歩いていく。
迎えた家臣たちは頭を垂れ、忠義の姿勢を見せる。セリディアは独立国なれど、それはヴァルガルド大陸を制した皇帝の下で認められたものだ。ヴァルガルド帝国とセリディア王国は、大陸で1、2を争う大国だが、その根本は主従の関係であった。
家臣たちが緊張する理由は、他にもある。
皇帝陛下が何の脈絡も、アポもなしに突然今日現れたからだ。
それはよく知られている悪癖であったが、前もって連絡のない時には、皇帝には何らかの思惑があることが常であった。
セリディアの家臣たちは、その思惑の意図をすぐ知ることとなる。
皇帝陛下には連れがいた。ただし見目麗しい夫人でも、屈強な騎士でもない。
強いて言うなら犬であった。棘のついた首輪に、尻尾と耳。ここまで書けば、皇帝が自分の愛犬を見せびらかしに来たのだと思われるだろうが、そうではない。
動物の毛皮を着た人。人族が四つん這いになって、皇帝とともに玉座に向かって進んでいたのである。
しかも、その人間はセリディア王国の人間ならよく知る人物だった。
「カイン王子……」
つい1カ月ほど前。1000名の外交使節団を連れ、エストリア王国に向かった王子が犬の恰好をして現れたのだ。
カイン王子は口を塞がれ、恥辱に耐えながら犬のように四つん這いになって進む。一方、鎖を握ったセオルドは何もなかったかのように絨毯の上を歩き続けた。ついにガリウス国王陛下が座る玉座に辿り着くと、冷たい眼差しを浴びせる。
「どうした、ガリウス? どけ」
小さく悲鳴を上げながら、ガリウスは慌てて立ち上がり、セオルドに玉座を譲る。
セオルドは大陸の覇者である。たとえ、大陸2位の国力を持つセリディア王国の国王でも、セオルドに逆らうことは許されない。昔からセリディア王家が守ってきた土地でも、今はヴァルガルド帝国から借り受け、統治されていることを許されているに過ぎない。
本来、玉座に座るべきは、セオルドなのである。
ガリウスは下がり、他の家臣同様に頭を垂れる。
それを下に見ながら、セオルドは長い足を組み、頬杖を突いた。
奇襲とも呼べる急な来訪に、鎖に繋がれた上に犬の真似をさせられている自国の王子。さらに君主に対する敬意の欠片もない振る舞い。古い家臣たちはこぞって顔を顰めたが、何より怒り心頭であったのは、ガリウスだった。今にも斬りかかりたい気持ちをグッと堪え、ガリウスは質問する。その唇は微かに震えていた。
「陛下、急の来訪。どういったご用件でしょうか?」
「これを見て、何も思わぬのか?」
セオルドはカイン王子の首輪から伸びた鎖を引き上げる。
「質問を変えましょう。では、どのような理由があって、我が国の王族をそんな破廉恥な姿にしているのでしょうか?」
「これはこいつの趣味だ」
「趣味ですと?」
ガリウスはカイン王子を睨む。犬となった王子は、涙を流しながら、目で「違う」と訴える。茶番を見ていたセオルドはフッと笑った。セオルドの悪趣味な冗談だと気づくと、ガリウスは顔を赤らめた。
「冗談にしては趣味が悪すぎますな」
「うまく返すではないか、ガリウス」
「この1カ月……。我が国がカインの安否をどれほど案じたか」
カイン王子が向かったエストリア王国で何が起こったのか、ガリウスが知ることは少ない。カイン王子がエストリア王国で問題行動を起こしたこと。1000名の外交使節団はすでに国に帰ったこと。最後にカイン王子の身柄は、セオルド皇帝陛下に預けられたこと。確定していることはこれぐらいで、あとの情報は憶測の範囲内だった。
「その程度か。お前たちの諜報能力は、クレイヴ伯爵家によって弱体化したというのは、デマではなかったようだな」
セオルドの言葉に、ガリウスは奥歯を噛みしめる。セオルドからすれば、カマをかけただけなのだが、どうやら本当のことだったらしい。
「ならば優しい我が教えてやろう」
指を鳴らし、部下を謁見の間に呼び込む。
数枚に渡って書かれた報告書を、ガリウスをはじめとした上級家臣たちに渡した。
質のいい紙を見て、帝国の技術に驚く者も少なくなかったが、ガリウスたちが注目したのは、やはりその信じがたい内容だ。
くどくどと、さらに嫌みったらしく書かれた報告書の内容を要約すればこうだ。
『お前の家のどら息子が、ギフトを使って1000名の外交使節団とエストリア王国の女王以下家臣たちを殺そうとしたが、お前たちはどう責任を取るつもりだ?』
それを見て、最初に紙をクシャクシャにしたのは、ガリウスだった。
先ほどまでセオルドに向けていた怒りの矛先は、犬となった実の息子に向けられる。悪鬼すら退散せしめん眼差しで、ヤンチャな王子を怒鳴り付けた。
「馬鹿者! あれほどギフトは使うなと忠告しただろう!!」
ガリウスの喉はおろか王宮ですら張り裂けんばかりの声を上げる。
どちらかと言えば、物静かで泰然としていることが多いガリウスの怒りに、家臣たちは驚きを超えて、恐怖すら感じていた。臣下の動揺に目もくれず、ガリウスはまくし立てる。
「皇帝陛下、この度のことはカインが独断でやったこと。我が国はなんら関知するところにございません。どうか寛大なご処置を」
「息子がやったことなのに親であり、国王であるお前が何も責を負わないと?」
「カインは分別のつかぬ子どもではありません。また先ほど申し上げた通り、我らはカインの企みを知りませんでした」
「ほう。お前の息子は『父は承知していた』と答えたぞ」
セオルドが鎖を引っ張ると、カイン王子は何度も頷く。
「使節団の中にはも同じ証言をする者もいた。そもそも1000名の国の代表者を連れ、君主も国も関係ないというのは、いささか無理がないか、ガリウスよ」
「皇帝陛下、誓って……、誓って、私は関係しておりません」
「いいのだな?」
「はい?」
「仮に本格的に捜査を進め、お前が関与した物証が出てきた時、お前への罰はこんなものではなくなるぞ」
セオルドは再びカイン王子の鎖を引っ張る。
仮に国王が主導したことが見つかったとすれば、それは大変なスキャンダルとなる。国際問題に発展し、多くの国がセリディア王国に疑惑の目を向けることになるだろう。多額の賠償金を払い、領地の一部がいずれかの国に割譲される可能性もある。拒否すれば、即刻戦争だ。しかし今回の敵はヴァルガルド帝国単体ではない。最悪、セリディア王国以外の国や領地と一戦交えることになるかもしれない。
いくらセリディア王国が大国だからといって、君主として負けるとわかっている賽を投げるわけにはいかなかった。
「理解したか、ガリウス。これは是非の問題ではない。お前が罪を認めるか、大陸すべてを相手にするか選択の話なのだ」
この時、ガリウスは人生において5本の指に入るほど、激しく頭を回らせた。
10秒はかかっただろうか。ようやく重い口を開いた。
「罪を認めます。どうか皇帝陛下、寛大なご処置をお願い申し上げます」
膝を突き、ガリウスは頭を垂れた。
それは戦わずして押し付けられた事実上の敗北宣言であった。
セオルドは続けて、寛大なご処置を申し渡す。
まず外交使節団の大使および代表者とその国に対し、即時の謝罪と賠償金の支払いを命じた。ただ使節団の中には、カイン王子の企てを知る者も多数いて、その国に対しては適応されないという。
直接的に被害を受けたのは大使とその数名の家臣とはいえ、賠償金の額は個人では最高額となり、セリディア王国はそれだけで国家予算の半分を浪費することとなった。そのお金はセリディア王家の財産から払うように言い渡され、ガリウスはさらに肩を落とす。
「さて、1番の被害者であるエストリア王国から、王宮の修理費ともう1つ条件が提示された」
「如何様な条件でございましょうか?」
「ルヴィン・ルト・セリディアをエストリア王国に留学させる」
「お待ちください、陛下。ルヴィンは我が国の王族。すでに何度も説明申し上げた通り、私は子を奪われた被害者なのですぞ」
「その子どもを放逐したのは、貴様ではないか? 被害者ぶるのは結構だが、ならば何故ルヴィンはそなたの下に戻りたいと言わぬ。そもそもそなたが本気になれば、取り返すことなど容易であったはずだ。違うか?」
「それは……」
「いい加減、子どもを外交カードにした内政干渉はやめるのだな。今までは大目に見てきたが、今回のことで我も学習した。我の目が黒いうちは、厳しく取り締まるゆえ、身を引き締めよ」
御意、とガリウスを含めて、以下家臣たちが声を揃える。
これで終わりかと思ったが、セオルドはまだ玉座に座っていた。
足を組んだ姿勢は崩さず、自分の足元に平伏する者たちを眺めている。
「では、最後に皇帝としてセリディア王国にペナルティを言い渡す」
「子を名目上とはいえ他国に差し出し、多額の賠償金を払わされた我々に、陛下はまだ罰を科すのですか?」
「我が治めるこの大陸を混乱させた罪は重い。よってセリディア王国北方の領地の一部取り上げることとし、エストリア王国の領土とする」
セリディア王国の北方――ちょうどエストリア王国との国境の境には、肥沃な平原が広がっている。昔からそこは獣人とのいざこざが絶えず、未開発だった。
「セオルド! 余の国の領土をあの野蛮人に明け渡せというのか!?」
「お前の国であっても、土地はお前のものではない。我のものだ」
「黙って聞いていればいい気になりおって。もう化かし合いはやめだ。ここで貴様を――――ッ!!」
『うぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉおおおおおおおお!!!!』
王宮が震えるほど力強く、長い遠吠えだった。
セリディア王国はおろか、大陸全土にすら響いているのではないかと思う程の声に、人々は悲鳴を上げる。知っている者であれば、その脳裏にある大狼の姿を思い浮かべたであろう。事実として平民は道ばたに蹲り、司祭は神の助力を求め、貴族は天蓋のベッドの下に潜り込んだ。
ガリウスもその1人だ。鬱憤を晴らすかのように怒髪衝天とした国王の顔が引きつり、青くなっていく。立っていられなくなり、その場に蹲ってしまった。
それは7年前――セリディア王国の国民の多くに、恥辱という文字を与えた遠吠えであった。
「ガリウスよ。ここで我と一戦交えてみるか?」
「い、いいえ。……申し訳ありません。皇帝陛下の指示に従います」
セリディア国王の判断を聞いて、セオルドはようやく玉座から立ち上がる。
ついに鎖から解き放たれたカイン王子も、すでに反抗の意を示すことなく、あの遠吠えの前に子どものように震えていた。
皆が頭を垂れる中、セオルドはふと立ち止まる。
「これからエストリア王国へと向かう。何か伝えておきたいことはあるか、ガリウスよ」
「……た、大変申し訳なかった、と。女王にお伝えください」
「そこは父親として『息子がお世話になる』であろう」
「…………っ!」
「やはりルヴィンの判断は正しかったようだな」
捨て台詞を言い残し、セオルドは謁見の間を後にするのだった。
ざまぁ、と思っていただいた方は、是非ブックマークと、後書き下部の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると嬉しいです。いよいよ明日はラストです。ここまでお読みいただきありがとうございました。




