第18.5話 世界一強い女王陛下(後編)
「なにそれ……。つまんな」
一陣の銀風が僕の目の前を横切っていく。
まるで巨大な獣に噛みつかれたかのように、カイン兄様は突風に吹き飛ばされ、いつの間に僕は赤ちゃんみたいに抱きかかえられていた。側に見えたのは、綺麗な銀髪と耳……。真っ直ぐ僕を見つめる赤い目は、少し潤みを帯びている。
「アリア……」
「遅くなってごめんね、ルヴィンくん」
「ううん。アリアなら来てくれると信じてた。でも、ちょっと心細かった」
身内の激しい憎悪……。死を前にした言いしれぬ恐怖……。
何もできなかった無力感……。
アリアの顔を見た瞬間、心の底でずっと蓋をしていたものが一気に溢れ出す。
涙はおろか、声すら止められず、僕の森の真ん中で大泣きした。
幾重にも伝う涙を、アリアはそっと舌で拭う。
まるでキスをされたみたいで、びっくりして泣き止んでしまった。
「ごめん。つい……。獣人の習性なんだ。手が塞がってたし。驚いた?」
僕は頷くと、アリアから思わず目を背けてしまった。
どうしてだろう。アリアの顔をまともに見られない。
何故か、身体が火照ってくる。
「くくく……。あははははははははははははは!!」
森の中で突如笑い声が響く。
木に叩きつけられ、片腕と片足を打たれたカイン兄様が立ち上がる。目に見えて満身創痍なのに、カイン兄様から漂う雰囲気は依然として変わらない。まだ何か企んでいるように見えた。
「計画通りだ」
「なんだって?」
「ルヴィンはあくまで餌だ。オレの狙いは最初からお前だよ、アリア女王」
「はあ? ボク??」
アリアの命を狙っていた――そんな風な発言したカイン兄様は持っていた剣を手放す。降参した? いや、そんなわけはない。カイン兄様は今も不敵に笑っている。歪んだ顔は悪魔そのものだ。
直後アリアは鼻を動かす。何かに気づいたらしく、抱き上げていた僕を、そっと木の陰に下ろした。笑顔が絶えないアリアが、少し苦しそうに眉間に皺を寄せる。
「どうしたの、アリア?」
「この辺りは昔、人族と獣人の衝突が絶えなかったところなんだ」
直後、カイン兄様は【血の饗宴】を発動させる。
地面にギフトの力を叩きつけた。禍々しい光は円環状に走り、広がっていく。やがて木の幹や梢が震えると、次々と地面が隆起し始めた。土を払い、現れたのは人の手、あるいは背骨だ。動く骨が続々と地中から出現し、人の形をなして立ち上がる。悪夢のような光景に、僕は一瞬腰が抜けそうになった。
その中でカイン兄様はまたしても笑っている。
多くのスケルトンに囲まれながら、嬉しくて嬉しくて仕方ないらしい。
身体をくの字に曲げ、踊っているようにすら見える。
「1000? 2000はいるな。まだだ。もっと出てくるぞ!」
「ああ。そうだね。すごいすごい」
「強がるなよ、女王様。昔お前が相手にした腰抜けどもとは訳が違うぞ。死ぬまで戦う〝死の戦士〟だ。いくらお前でも……」
「遺言はそれぐらいでいいかい?」
「あ?」
アリアは腰を落とし、そして拳を握りしめた。
普通の構えだ。その体勢から正面へ向かって拳を突き出す。
そう。アリアがやったことは、そんな普通のことだった。
ごふっ!!
再び暴風が荒れ狂う。
錐揉み上になった風が森を横切り、スケルトンを飲み込んでいく。
強烈な暴風を伴った風はスケルトンをバラバラにし、麦粒よりも小さくしてしまった。
かなり数を減らしたけど、スケルトンは続々と地中から這い上がってくる。
アリアの足元からも現れると、あっという間に囲まれてしまった。アリアは動じない。襲いかかってくるスケルトンを丁寧に壊していく。四方から迫られても、驚異的なスピードで拳を撃ち抜き、あるいは蹴り上げた。
距離を取れたかと思えば、あの暴風の一撃を繰り出す。
3000はいただろうスケルトンは、みるみる数を減らしてった。
「すごい……。スケルトンを敵になっていない」
「当たり前だ。あんなヤツら、お嬢の敵にもならねぇよ」
「バラガスさん!!」
襲撃を受けたと兄様から聞いたけど、元気そうだ。
ただ何かいつもよりムスッとしているように見える。
誰かと喧嘩でもしたのだろうか。
「バラガスさん、アリアを助けてあげて」
「その必要はありませんぞ、ルヴィン殿」
リースさんも遅れて現れる。
ハーピー族のサファイアさんも木の枝に止まっていた。
「皆の言う通りですよ、ルヴィン王子」
「マルセラさんまで」
ということは、王宮で暴れているスケルトンを倒してきたってこと?
「ええ。全部アリアが倒してしまいました」
「ホントはあっしらにもちょっと残して欲しかったぜ。久しぶりに全力で暴れられると思ったのによ」
「スケルトンの弱点は肉がなく脆いところです」
「魔獣だった時の方がよっぽど手強い相手やわ」
「雑魚が2000、3000に増えたところで結果変わりません。我が国の女王陛下は――――」
世界一強いですから……。
最後の1匹がカタカタと頭蓋を動かしていた。すでに手もなく、足も胴体もない。それでも左右に震えている様は、何かに怯えているように見える。その最後の1匹をアリアは踏みつぶす。暴風が吹き荒れ、時には強烈な打撃音が響く森はすっかり静かになっていた。
空に満月が浮かんでいる。
その光は蒼白となったカイン兄様の顔を暴き出した。
「馬鹿な……」
「あのね、王子様。ボクはこれでも君に感謝していた。君がどんなに無理難題を課そうとも、獣人の悪口を言おうとも、君が1000名の使節団を連れてきてくれた。そのことには感謝してもしにきれないぐらい感謝している」
「あ、ああ……。あああああああ……」
アリアの姿が変わっていく。まるで木の幹が急速に成長していくように。
大きな尻尾はさらに太く、長く。月光に溶かした銀毛が伸び上がり、獰猛な牙とともに狼らしい顔へと変貌していく。大きな音を立てて、四足で踏ん張ると、そこには美しく、かつ冷ややかな殺意を帯びた大狼が立っていた。
その存在感は、スケルトンに囲まれた以上に圧倒的であった。
「でも、ボクだって獣人である前に人間なんだ。笑いもすれば、怒りもする。王子、君はルヴィンくんだけじゃない。君が連れてきた使節団ですら手にかけようとしていた」
「ま、待ってくれ!! お、オレはただお前たちからルヴィンを取り返そうと」
「そうでしょうか?」
王子に鋭い視線を向けたのは、マルセラさんだった。
「外交使節団が来ているところに騒ぎを起こす。死傷者が出れば、すべて我々に罪をなすりつけるつもりだったのでは?」
「ふざけんな! そんなこと……」
「考えていたようだね」
大狼となったアリアは目を細める。
アリアたちは耳がいい。微妙な心拍数の違いで、感情を理解できる。
つまり、アリアが引き下がらないということは、カイン兄様は本気で使節団の誰かを殺して、エストリア王国を悪者にしようとしていたのだ。
「や、やめてくれ。……お、オレは親父に言われただけで」
「それも嘘だ。いや、嘘ではないか。命令されたのは本当で、使節団のことは君のアドリブだった。そんなところだろう」
「ちがっ……」
「ボクの国の獣人だけならまだしも、君は使節団を襲撃しようとした。殺されたって、文句は言えないよね」
アリアの大きく口を開ける。
その牙はゆっくりとカイン兄様に近づいていった。
カイン兄様はパニックになりながら、言い訳を繰り返す。どれも自分勝手で、他人のせいにするだけの罵詈雑言に近いものだった。第3王子の面影はなく、為政者としての威厳すらない。泣き喚き、ひたすら神に祈るように命乞いをした。
「アリ――――」
カツッ! と顎を鳴らす音が響く。
直後、側で倒れたのは白目を剥いたカイン兄様だった。
片腕と片足をやられ、加えて失禁までしている。無様という以外に言葉が浮かばなかった。
「生かしておくだか、女王陛下?」
そう尋ねたのは、遅れてやってきたフィオルだ。
彼女も無事だったらしく、僕の顔を見てニコリと微笑む。
「この者は罪人で、どうしようもないクズだけど、ルヴィンくんのお兄さんであることには代わりはないからね」
「ありがとう、アリア」
僕は大きくなったアリアの鼻を撫でる。
大狼となったアリアはペロリと大きな舌で舐めてくれた。
くすぐったい。それに銀毛がやわらかくて、暖かい。
ぬるま湯に手を入れてるみたいだった。
「それで、アリア。カイン王子をどうするつもりですか? まさかこのままセリディアに返すというわけじゃないですよね」
マルセラさんは薄い水色の瞳を光らせる。
バラガスさんたちもカイン兄様をそのままセリディアに返すことには反対らしい。確かに兄様はやりすぎた。あの時、あの瞬間、アリアに殺されていてもおかしくなかったはずだ。だけどカイン兄様は生き残った。生きているからこそ、ふさわしい罰を与えなければならない。
「落ち着きなって。ボクもそこまでお人好しじゃないよ」
「では、どうするだか?」
「ボクたちはエストリア王国の獣人であり、忠実な『番犬』でもある。その番犬の手を噛んだ人間が現れたんだ。まずはボクたちの飼い主にお伺いを立てるのが筋だろ?」
ニッとアリアは笑う。
アリアの飼い主って、まさか――――。
飼い主って、一体誰だ?!
ここまでお読みいただきほんっっっっっっっっっっっっとうにありがとうございます。
「面白い!」「更新はよ!」「続きを読みたい」と思っていただけたら、
ブックマークと、下欄にある評価を☆☆☆☆☆から★★★★★にしていただけると嬉しいです。
小生、単純な人間ですのでポイントが上がると、すごくテンションが上がります。
是非よろしくお願いします。




