第17.5話 晩餐会(後編)
男爵は振り上げた拳を下げる。
ようやく理解してくれたらしいけど、顔には悔しさが滲み出ていた。
晩餐の席が最高に盛り上がる中、水を差したのはカイン兄様だ。
わざとグラスを落として、自分に注目を向けると、冷ややかな声を上げた。
「さすがは我が弟! でも次はメインだ。わかってるだろうな、ルヴィン」
「ご心配なく、お兄様。人数分のオーバル海老――ご用意させていただいております」
カイン兄様の眉宇が動く。
バラガスさんは手を叩いて合図すると、勢いよく扉が開いた。
一斉に配膳車を押して給仕たちが、部屋の中に入ってくる。
銀蓋されたメインの料理が、1000名の使節団の前に並べられていった。
晩餐の席が静まり返る。
蓋をしていても、鼻をくすぐる香り。
鼻腔だけじゃない。香りはするりと鼻から喉へ、喉からお腹へと降りていった。
ここにいる人たちは、ただの人じゃない。それぞれ国を代表し、それなりの高給をもらって働いている。必然として、舌も肥えた人だ。
そんな人たちの期待を感じる。
これは絶対おいしいだろう……と――――。
「どうぞ開けてください」
満を持して蓋は開かれた。
銀蓋の隙間から薫っていた香ばしさが一段と強くなる。
次に刺激したのは、視覚だ。如何にも黒い武骨な陶器の皿に、香ばしく焼けた桜色の殻。黒の陶器と対極にある色は、溶けたバターをかけ回しながら火を入れた真っ白なオーバル海老の身だ。その周りに周辺国からの特産品である人参などの香味野菜を添え、彩りを添えている。
これもまた海と畑の調和だ。
「美しい……」
使節団の1人が吐息を漏らし、宝石でも見るかのように目は輝かせた。
みんなが驚いていたのは、オーバル海老の大きさだろう。川海老というイメージがあるオーバル海老は本来であれば、大人の人差し指もない。だからこそ2尾使うのが料理を作る上での慣習になっているのだけど、そのオーバル海老は大人の手よりも大きく、何よりもワイルドだった。
「エストリア王国のオーバル海老です。どうぞご賞味ください」
僕の合図に、晩餐の席をともにする全員がハッと顔を上げた。
使節団の方々と一緒に食事していたアリアですら、一瞬食べることを忘れたらしい。たった今、会場が晩餐の席だと思い出したかのように、皆がフォークを取る。その先が向かったのは、当然オーバル海老の白い身だ。
微かに食器が触れる音がする。
次の瞬間、晩餐の席は滝の流れが止まったように静かになった。
続けて堰を切ったように称賛の声に会場は満たされていく。
「うまい」
「おいしい!!」
「うぉおおおおぉぉぉおおぉぉおおおぉぉおおお!!」
ついにはアリアの遠吠えが会場に響き渡る。
でも、女王の叫びが気にならないぐらい周囲は一時騒然となった。
「プリプリした海老の身がたまらん」
「バターの匂い付けも良い。これは黄金コンビだな」
「身が喉を奥へと消えていくと、スッとハーブの爽やかな後味が上ってくる」
「周りの野菜も飾りじゃないぞ。甘みが強く、何よりやわらかい。しっとりして、まるでクリームだ」
オーバル海老だけじゃなく、周りの野菜にも高評価が与えられる。
それには秘密があった。
「野菜は低温調理してあります」
「低温調理?」
「85℃ほどの温度で、じっくり火を通す調理方法です」
「そんな調理法が……。貴国の料理技術は一体どこまで進んでいるのだ?」
低温調理は【料理】から教えてもらったものだ。
芋類をクリームみたいにやわらかくし、しかも煮崩れしにくい上、旨みや風味が強まる。知らない人からすれば、魔法みたいに思えるかもしれない。
「この調理法を教えていただけませんか、料理長。是非我が国に広めたい」
「私はこのオーバル海老を使った料理を教えていただきたいものですな」
1人の質問をきっかけに続々と僕の周りに人が集まってくる。
「えっと……。どうなってるの、バラガスさん?」
「料理長の料理がそれだけおいしかったってことっすよ」
キリッと親指を立てる。
いや、親指を立てていないで、助けて欲しいんだけど。
「こら~。ルヴィンくんはボクの料理番だからね」
今度はアリアまでやってきて、僕を抱き寄せる。
どうやらスカウトしようとした貴族に見かねて、入ってきたらしい。
ホストが動くのはマナー違反だって、アリア。
僕は揉みくちゃになりながら、晩餐会を出ていくカイン兄様を見つける。
まだデザートもあるし、まだまだ食べてもらいたいものはたくさんあるのに、どこへ行ったのだろう。かなりお酒を飲んでいたからな。もしかしたら気分が悪くなったのかもしれないけど……。
「ルヴィン様、素晴らしい料理でした」
手を差し出したのは、使節団の団長だ。
「正直、子どもが饗応役と聞いて、当初は落胆しておりました。しかし、気球という最新技術に、余所の国の文化を取り入れるという懐の深さ、そして料理――見事に裏切ってくれた。素晴らしいホスピタリティでした」
「ありがとうございます」
笑顔で僕は応じると、使節団の団長は急に声を潜めた。
「ここだけの話ですが、我々使節団の半数はあなた方と取引したいと思っています」
「よろしいのですか? その……」
「ご自身のお国のことを心配しているのですね。ご心配なく。参加者のほとんどが皇帝陛下の庇護下にあります。我々の盟主はセリディア王国ではありません」
「じゃあ、本気で……」
「もっと早く伝えるべきだった。どうぞよろしくお願いします」
使節団の団長と僕の手に、アリアの手が重なった。
「こちらこそよろしく頼むよ」
さらに多くの貴族が手を取り、使節団の団長の考えに同意する。
こうして1000名の使節団を迎えた晩餐会は、大成功のまま終幕した。
…………はずだった。
轟音とともに晩餐会が行われた大広間が震えた。
王宮全体がぐらついたかのような震動に、外交使節団の方々はどよめく。一方、会場にいる獣人たちは耳や鼻を動かして、状況を探る。しかし、意思疎通がまだ叶わない中、1発目の轟音の5秒後、大広間の壁が吹き飛んだ。
咄嗟に魔術で風の壁を作り、使節団の者たちを守ったのはマルセラだ。風の魔術が得意な彼女は、降って沸いたような爆風を制御し、外へと逃がす。その際、壁の一部が壊れたが、幸いにも人的被害は免れた。
濛々と砂煙が上がる中、それは乾いた音を立てて現れる。
馬――。正確に言うならば、馬の形をした骨だ。
「なんだ、こりゃ? スケルトンか?」
バラガスは自分が見たものが信じられず、数度瞬きを繰り返す。
スケルトンとは魔獣の一種だ。濃い魔素の影響を受けた動物や人の骨が、まるで生命のように活動する〝動く死体〟である。ただ骨や肉などを分解する微生物が少ない、毒沼や荒れ地、ダンジョンの中に現れることが多い。肥沃な森が広がるエストリア王国では滅多に現れない魔獣であった。
「マルセラ、ただのスケルトンじゃないよ」
「馬の割には身体が大きすぎますね」
アリアもマルセラと一緒に前面に出てきて、対処に当たる。
他方バラガスは馬の頭についた角を見て、スケルトンの正体に気づいた。
「ブラドコーン! いつかリースと料理長が獲物で取った。あっ……!」
「バラガス、何か思い当たることでもあるのかい?」
「料理長が出汁に使うかもって、倉庫に保管していた奴ですよ」
「なるほど。その骨か――ってことは……」
再び側で轟音が響く。王宮の分厚い壁が破り、高い天井すら破壊しながら大広間に入ってきたのは、これもまたスケルトンだった。その体躯は小山のように大きく、さらに猪に似た形をしている。突き出た顎の部分には、曲がった牙が上に伸び、禍々しく光っていた。
「これってもしやトロイントか……」
「こりゃちょっとヤバいかな」
トロイントは、アリアですら苦戦する「王」と呼ばれる魔獣の1匹である。
それがスケルトンとなって現れた。骨だけとなった姿は脆そうに見えるが、痛みを感じないぶん、タフで手強い。脳も筋肉もないので、純粋に魔力で動くそれは、魔獣であった時よりも容赦がなかった。
「なんでうちにスケルトンが……! 保管していただけなのに」
「誰かの手引きがあったんだろうね」
「まさか王子の……! お嬢! なら目的は――――!」
「あ! しまった!!」
アリアは振り返る。そこには1000名の使節団たちが固まって立っていた。さすがに全員無事なのか点呼でもしないとわからないが、1つ言えることがある。
カイン王子と数人の取り巻きがいないこと。そして最悪なのは――――。
「ルヴィンくんがいない」
ルヴィン・ルト・セリディアが忽然と会場から消えていたことだった。
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