第16話 逆襲の王子
「お待ちしておりました、カイン王子。そして使節団の皆様」
城門で出迎えたのは、エストリア王国女王のアリアだった。
その姿はいつもとは違う。銀色のドレスを身に纏い、頭にダイヤをあつらえたティアラを被っている。綺麗な銀髪の上で輝くティアラは美しかったけど、それ以上に使節団の目を奪ったのはアリアの所作だろう。笑顔までバッチリだ。
洗練された淑女の動きに、使節団だけでなく、カイン兄様まで心を奪われていた。
出会った時はテーブルマナーも満足にこなせなかったアリアだけど、フィオナとの猛特訓の末、以前とは見違えるほど淑女らしい所作を身に着けていた。フィオナの特訓は厳しく、アリアが音を上げるほどだった。けれども、おかげで使節団の人たちがあがってしまうほど、今日のアリアの動きは正確で、何より美しかった。
(フィオナ、グッジョブ!)
アリアと同じく外交使節団を出迎えたフィオアに親指を立てる。
本人は楚々として表情を変えなかったが、僕に目配せした。
変わったのはアリアだけじゃない。
綺麗にクリーニングされた廊下の絨毯。埃1つない窓枠。そこかしこに置かれた調度品は決して高価ではないものの、王宮や外に見える森とマッチしたものが選ばれている。窓から廊下に差す木漏れ日は優しく、葉の陰にすら芸術性を感じられた。
王宮の雰囲気は使節団が来ると決まった後と、前では随分と変わった。
フィオナによる徹底した整理・整頓・清掃のおかげで、傭兵の根城みたいだった城は他国に負けない美しく、清潔な王宮に変貌する。
「ほう。綺麗だ」
「外見も美しく良い城だが、中身も悪くないですな」
使節団の人たちも感心していた。
しかし、カイン兄様は違う。気球に乗ってから、いや乗る前からイライラしていた兄様は、腹に溜まった憤りを後ろに控えた僕にぶつけた。
「調子に乗るな、ルヴィン。……例のものは用意できているんだろうな!」
「川のことですね。もちろんです」
「先ほどは許したが、次はないぞ。要望通りのものでなければ、我々は即刻帰らせてもらう。良いな!」
「ご心配なく。自信作ですから」
「ふん! 魔術でチョロチョロと水を流すようでは、認めぬからな」
カイン兄様は大股で廊下を歩く。
僕とアリアは特別に作った大広間に使節団をお通しする。
たくさんの陽光が降り注ぐ広間の奥は、王宮の中庭へと続いている。
広間から見える中庭の光景を見て、再び使節団の方々から感嘆の声が漏れた。
気になったカイン兄様は、使節団の人たちを押しのけ、中庭を眺める。
「なんだ、これは? 砂が広がっているだけで、川などないではないか。くははははは! 約束を違えたな、ルヴィン!」
カイン兄様は「川だ」「川を出せ」とわめき散らす。
でも、僕は決して約束を破ってはいない。ちゃんと目の前に川を用意した。
何故なら、カイン兄様以外の使節団の人たちは、眼前に広がる大河に気づいていたからだ。
喚き散らすカイン兄様の肩をそっと叩いたのは、ターバンを巻いた使節団の人だった。西国スカラムの出身の方だろう。ヴァルガルド大陸において、もっとも降水量が少なく、国土の7割が砂漠におおわれている国だ。資源は乏しく、スカラムにはきめ細かなパウダー状の砂ぐらいしかない、と揶揄する人もいる。
初老にさしかかろうというスカラムの方は、にこやかな表情でカイン兄様に声をかけた。
「少しよろしいですかな、カイン様」
「これはスカラムの大使殿。どうなされた?」
「ルヴィン王子は何も嘘を仰っておりません。よく見なされ」
言われるままカイン兄様は目をこらす。
中庭に敷き詰められた砂には、模様が描かれていた。
何重にも重なった円。あるいは波模様。それは庭を横切る小川のように見える。
「サンドリバーと申しましてな。水が貴重な我が国では、こうして川に模様を描いて、お客様を出迎えるのが習わしなのです」
「さ、サンドリバー……だと……」
「よもや我が国伝統のサンドリバーをここで見るとは……」
当初はここに川を引く予定だったけれど、工期は遅れに遅れて、それどころではなかった。そこで思い出したのが、スカラムのサンドリバーだ。ただし砂ではなく、こちらでは川辺の砂利を使って、川を表現している。
サンドリバーを思い出せたのは、以前スカラムの大使とお目にかかったことがあったからだ。
「ルヴィン王子、お久しぶりですな」
「大使、覚えていてくれたのですね。お元気そうで何よりです」
「それはこちらの台詞です。王子がご壮健で大変嬉しく思います」
大使は僕が【万能】を失ってからも、手紙を送ってきたり、手作りの珍重品を贈ってくださったりと、何かと気にかけてくれた数少ない理解者だ。使節団の中に名前を見つけた時は驚いたけど、わざわざ僕に会いに来てくれたらしい。
「大使、実はこれはただのサンドリバーではありません」
「ほう? まだ仕掛けがあるのですな」
「では、お耳を拝借。使節団の皆様もどうか今しばらくご静聴ください」
僕の指示で、スカラムの大使も他の使節団の方々も耳に手を当てる。
皆が同じような姿勢を取るのを見て、渋々カイン兄様も僕の指示に従った。
しん、と大広間は静寂に包まれる。風が吹き、梢が揺れる。その音が爽やかな沢の音を想起させた。
「なんと涼やかな……。サンドリバーが本当の川になった」
スカラムの大使からほろりと涙が落ちる。
その心地良い音に、他の使節団のうっとりとして聞き入っていた。
「砂の川に本物の川音を聞かせるとは……。実に風流ですな、カイン王子」
「はっ? そ、そうであるな。風流……確かに風流……」
口の端を振るわせながら、カイン兄様は何度も頷く。
さっきまで「川を出せ」と異常な執着を見せていた兄様も、満足したらしい。
「それでは晩餐の席までどうかおくつろぎください」
この後の予定は、マルセラさんに引き継ぎ、アリアと僕は中座する。
大広間の扉が閉まった瞬間、僕たちはホッと息を吐いた。
「一時はどうなることかと思ったけど、喜んでもらえて良かったね、ルヴィンくん」
「気球の用意も、サンドリバーもギリギリだったからね」
「ありがとう、ルヴィンくん。この後の会談は有利に進められそうだよ」
この後アリアは、カイン兄様と使節団の代表数名との会談に出席する。
今後の各国との関係を占う会議で、アリアだけではなく、アドバイザーとしてクレイヴ伯爵にも出席してもらう予定だ。エストリア王国は未だにどこの国とも国交を開いていない。人の行き来はすべてクレイヴ家を介して行われている。しかし、今回の会談がうまくいけば、国交を開き、直接人の行き来が可能になる。獣人たちが他国に旅行することも、遠くないだろう。
「僕も料理を頑張らなくちゃ」
「大丈夫。ルヴィンくんならできるさ」
アリアは僕を抱きしめる。いつも通り、僕の頭が豊かな胸に埋まってしまった。
何故かいつも癒やされる。アリアが持つパワーが注入されている感じだ。1つ弱点があるとすれば、ちょっと恥ずかしいことぐらいだろう。子どもの僕とアリアではまだまだ身長差がありすぎて、どうしても僕の頭はアリアの胸の中に埋まってしまう。早く大きくなりたい。そうすれば、もっとアリアを逆に抱きしめることだって……。
「アリア……。ドレスが皺になっちゃうよ」
「あ。そうだった。じゃあ、また後で。料理楽しみにしてるよ」
「うん。任せて」
僕は手を振ると、それぞれ別の方向へと走っていった。
◆◇◆◇◆ カイン王子 ◆◇◆◇◆
使節団の多くが大広間に留まり、雄大なサンドリバーと自然の音に癒やされる中、カイン王子はお供を連れて、あてがわれた個室で寛いでいた。高級な宿場のスイートルームほどの大きさがある部屋には、寝具ともかくとしてソファや執務机、果ては1人用の浴場や炊事場まで完備されている。
いざという時の回復薬なども常備され、その高いホスピタリティにお供たちが圧倒されていた。王族を迎えるのにふさわしい待遇であることは間違いない。しかし、何が気に食わないのか、カイン王子は荒れていた。部屋にあった高級ワインを一気に呷ると、グラスを扉に向かって投げつける。
乾いた音に、王子の荒い息が重なった。
これから会談なのに、さらに酒を飲もうとするカイン王子をお供たちは止めるも、まるで言うことを聞かない。それどころかお供全員を部屋から追い出してしまった。
「何がルヴィンだ……」
自分しかいない部屋の中で、カイン王子は呟く。
ルヴィンとカイン王子には兄弟という以外に、1つ因縁めいたものがあった。
セリディア王家の一員として生まれたカイン王子にも、生来生まれ持ったギフトが存在する。その数はたったの1つ。7つ持って生まれたルヴィンとは雲泥の差だ。しかも、そのギフトはとても厄介な代物で、父であるガリウス国王陛下からその使用を固く禁じられていた。
使うことも許されないたった1つのギフト。さらに生来の気性の荒さ。
カイン王子もまた王宮ではルヴィンと同じく鼻つまみ者だったのだ。
同じ境遇の者同士、気が合ったかといえば、まるで反対だった。
当初、カイン王子はルヴィンに対して対抗心を燃やしていた。
7つある、それも優秀なギフト。周りから愛される性格と見た目。
自分にないものを、ルヴィンは持っていた。
そんなルヴィンが呪いを受けたと聞いた時、心底嬉しくて1日中笑っていたのを今でも覚えている。
このままルヴィンは自分と同じく落ちこぼれとなるのだろう。
誰からも愛されるどころか、誰からも相手にされず、水を失った野花のように枯れて死んでいくのだと思っていた。だが、エストリア王国で見た弟王子は、【万能】のギフトを持っていたルヴィン・ルト・セリディアのようだった。
「くそっ!」
悪態を吐きながら、カイン王子は酒を探す。
気が付けば、部屋にあるぶんの酒は全部飲み干していた。
声をかけたが、返事はない。仕方なく自ら部屋を出て、酒を探し始めた。
当然エストリア王国の王宮の構造に明るいわけではない。だが、酒の貯蔵庫など地下にあるのが定番だ。千鳥足で廊下を進み、階段を下りる。冷ややかな空気を感じて、開いていた部屋に入ってみた。かなり寒かったが、酒が入ったせいでさして気にならなかった。
「なんだ、これは……」
倉庫の中にあった巨大なものを見て、驚く。
微かに魔力を感じた時、カイン王子の口角が上がる。
「見てろ、ルヴィン。お前のその能天気なツラをギタギタにしてやる!」
カイン王子の瞳は、暗い倉庫の中で光るのだった。
◆◇◆◇◆ ルヴィン ◆◇◆◇◆
炊事場に戻ってきた僕は、バラガスさんからとんでもない報告を受ける。
何と用意していたオーバル海老が、突如として生け簀からいなくなったのだ。
最後の文章を見て、あのシーンでは? と思った勘のいい読者の方は、ブックマークの登録と、後書き下部の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると嬉しいです。
クライマックスへの気合いが入ります。よろしくお願いします。




