第13話 朝と夜の境界(前編)
◆◇◆◇◆ 獣人の集落 ◆◇◆◇◆
フェリクスがエストリア王国に来て、1週間が経った。
ルヴィンとともに毎日村に出かけ、精力的に食生活の指導を行っている。最近では王宮内でも試食会を開催して、好評を博していた。こうしてフェリクスの評判も上がり、村落で開かれる祭りに招待されるほど馴染んでいた。
「なんでわしがこんなことを……」
しかし、評判が上がれば上がるほど、フェリクスのイライラは募るばかりだ。彼本来の仕事は、ルヴィン王子と獣人の対立を煽ること。それとともに、エストリア王国の悪評を流すことである。なのに、やっていることといえば、村落の外れにある古い水車の修理だ。最近は獣人の子どもを集めて、読み書きまで教えるようになてしまった。
今日も止まった水車の修理を請け負い、緩んでいた螺子を締めている。
「いっそこのまま放り出すのも……」
「フェリクスさん、水車の修理はいかがですか?」
猫人族の獣人がひょこっと顔を出す。
手にはコロッケが並んだ皿を持っていた。
おそらく自宅で揚げたのだろう。若干揚げすぎていて、焦げていた。
ルヴィンではこうならない。
「お一つどうぞ」
「いや、わしは……」
「遠慮なさらずに」
断るも、猫人族は無理矢理フェリクスの口にねじ込む。
木のフォークを喉の奥にツッコんだまま、猫人族は話を続けた。
「随分と獣人と親しげですが、これも作戦ですか、司祭?」
猫人族の様子は、一変する。フェリクスの鼻を突いたのは泥臭い獣人の匂いではなく、自分と同じスパイの香りだった。自らフォークを掴み、まるで何事もなかったかのようにフェリックスはコロッケを咀嚼し始める。周囲に目を配りつつ、目の前の猫人族に話しかけた。
「獣人とルヴィン王子の仲を裂くためには、獣人に取り入る必要がある」
「種を蒔いている最中だと? それにしても時間がかかりすぎてはおられませんか。よろしければ私が――――」
「これはわしが国王から与えられた任務だ。何者の力も借りん。特に同業者にはな」
「承知しました。ですが、猫の手を借りたくなったらいつでも」
「待て」
フェリクスから離れようとした猫人族を呼び止める。
「獣人どもの嗅覚は異常だ。香水で誤魔化してるようだが、長居すると痛い目に遭うぞ」
「……ご忠告どうも」
会釈した後、猫人族は風景の中に溶け込むように消える。
見送ったフェリクスは、少し安心したのか肩で息を吐いた。
エストリア王国で過ごす中で、1度下がった目尻に力を入れる。
「わしは一体何をしておるんじゃろうな」
樹木の間に広がる空に、雨雲が立ちこめ始めていた。
◆◇◆◇◆
「わぁおおおおんんんんんん!!」
アリアが吠えたのは、晩餐の席だった。
食べていたのは、つくねがたくさん入った野菜スープだ。
つくねの他にも、玉葱、セロリ、アリアが嫌いな人参も入っている。
彩色豊かなスープは美しく、スープも澄み切っていて、底に沈んだ野菜まではっきりと見えている。
そしてなんと言っても、大豆で作ったつくねと肉で出汁とったスープがアリアたちのお腹を満足させた。前者は大豆ミートといって、砕いた大豆に小麦粉と調味料を混ぜて、肉そっくりの味にしている。所謂偽のお肉なんだけど、どうやらアリアたちに食べさせても問題なさそうだ。
後者はボーンブロススープといって、骨付きの肉からとった出汁を使っている。数種類の香味野菜を使って、肉の臭みを消しつつ、芳醇な香りと旨みを楽しめるように調理した。
野菜尽くしのスープをモリモリと食べているのが、野菜嫌いだったアリアだ。
よほど気に入ったらしく、テーブルマナーも忘れて、猛烈な勢いでスープの味がしみ込んだ野菜を掻き込んでいる。
絶賛したのはアリアだけじゃない。
晩餐にはマルセラさんやリースさん、バルガスさんも同席してもらった。さらにオブザーバーとしてフィオナも席についている。こっちはちょっと緊張気味だ。
今日は通常の晩餐とは違って、試食会という趣向で進めていた。議題は王宮料理にふさわしい野菜料理という名目なのだけど、僕には別の目的があった。
「信じられない。こんなにおいしいのに、お肉を使ってないなんて」
「なるほど。肉を茹でた汁はうめぇしな」
「野菜は肉の臭みを消すのにも役立つのですね。勉強になりました」
バラガスさんが唇についたスープを舌でペロリと舐め取れば、隣に座ったマルセラさんは、興味深そうに頷く。みんなが野菜に興味を持ち始めたのは、いい傾向だ。僕がエストリア王国に来る前から野菜料理はあったけど、生やただ炒めたり、茹でたりする料理ばかりだった。
野菜はただ調理するだけではそのおいしさは引き立たない。
面倒でもきちんと下拵えと、時間をかければ、肉よりおいしい食材になる。
僕はそのことを、みんなに理解してほしかったのだ。
「わかったよ、ルヴィンくん」
「わかってくれた、アリア」
「うん。だから、もっとおいしい料理ぷりーず!」
「その代わり、1週間肉禁止ね」
「えっ……。それはちょっと……」
アリアは1度ピンと立てた尻尾を、力なく垂れる。
シュンと項垂れた女王を見て、部屋は笑い声に包まれた。
晩餐が終わろうという時、ハーピー族のサファイアさんが入ってくる。
「ルヴィン料理長、君に手紙だよ」
「ボクに? 誰だろ?」
「この香水の匂いは間違いなく女だね」
ニヤリとサファイアさんが笑う。
すると、目の色を変えたのは、僕ではなく、アリアとフィオナだった。
「ルヴィンくん、ボクというものがありながら、何なんだいその手紙は」
「ルヴィン様には、まだ恋の文通は早いだよ!」
「落ち着いて!! というか、なんで怒ってるの?」
本当に変な2人だ。それにしても差出人は誰だろう。
「エリザからだ」
「あの雌猫か!」
「敵だや!」
まったくもう……。エリザは雌猫でも、敵でもないよ。
お世話になっているクレイヴ家のお嬢様じゃないか。
アリアはともかく、フィオナまでエリザのことになると過剰に反応するんだから。
エリザとはあれから何度か文を交わしている。
恋文なんてそんな甘酸っぱいものではなく、主に互いの近況だ。
でもおかしいな。最近手紙を送ったばかりなのに、返事が早すぎる。
僕は早速、エリザの手紙に目を通した。
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拝啓 若草が萌えたち春も深まってまいりました。
ルヴィンはいかがお過ごしでしょうか?
さてこの度は危急のこともあり、短めのお手紙となります。
端的に申し上げますと、エストリア王国の豚肉を食べた者の中に、死亡者が出ました。
家のものが調査したところ大陸のあちこちで起きていて、亡くなった方はいずれも毒が入った豚肉を食していたそうです。
父の話では、何者かがエストリア王国の豚肉を貶めるために、肉に毒を盛った可能性が高いとのことでした。実はわたしもそう思います。
今、父が風評被害対策として各取引先を回り、説明しているところですので、じきに悪評も収まると思います。
ルヴィンには頼もしいナイトがいらっしゃるので、大丈夫かと思いますが、くれぐれもお気を付けください。 エリザ
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「わぁおおおおおんんん! 許せないよ! 100歩譲ってボクらに迷惑をかけるのはいいけど、ボクたちを信じてくれたクレイヴ家にまで迷惑をかけるなんて」
アリアは「う~」と唸りを上げて、尻尾を逆立てる。
他の獣人たちも、怒りというより少し呆れたように首を振った。
「噂の広がり方から考えるに、ただ個人が恨みでやった者とは思えませんね」
「セリディア王国め! なんと卑怯な!!」
「あっしらが嫌いな国はごまんといるんだ。セリディアとは限らないさ。料理長、気にする必要はねぇぞ」
最後にバルガスさんが、僕の背中をポンと叩く。
それでも下を向く僕を、アリアは力強く抱きしめた。
「ルヴィンくん、大丈夫。ボクが君を守るよ」
「アリア……。ありがとう」
「うん!」
アリアはいつも元気で無邪気だ。
この屈託のない笑顔に、何度僕は救われただろう。
「そろそろ食器を下げます。バラガスさん、手伝って」
「はいよ」
バラガスさんと一緒に後片付けを始める。
晩餐はお開きとなる中、僕は手紙を届けてくれたサファイアさんを呼び止めた。
「サファイアさん、ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど」
◆◇◆◇◆
空の皿をのせて、ルヴィンは食堂を後にする。
それを見送った後に、フィオナはアリアに耳打ちした。
さらに出ていこうとしたマルセラとリースも残るように声をかける。
「それでボクたちに何の用だい。ちなみにルヴィンくんは渡さないよ」
「ルヴィン様は誰のものでもないですだ。……今日はそういう話をしたいのではないですだ」
マルセラさんは鋭い視線をフィオナに走らせる。
「毒の出所ですね」
「大陸のあちこちで被害者が出ているということは、直前に誰かが盛ったとは考えにくいですだ」
「取引先に到着する前に付着していた可能性が高いですね。ならば流通経路にて混入した可能性が……」
「それも低いだよ。クレイヴ伯爵家は大陸有数の流通網を持つだ。そこに至ったのは、1にも2にも信頼ですだ。噂では他の運送業者よりも何倍もの経費を使って、確実に物品を届けてるって話だよ。クレイヴ家が使っている加工会社も同様ですだ」
「流通経路でも、加工会社でもないとすると……」
皆が一斉にアリアの方を向く。
「え? ボク?」
「違います。エストリア国内で毒が塗られた可能性が高い――ということですよ」
「一体誰がそんなことを……」
「同族の犯行ではないでしょう。獣人はこんな手が込んだやり方を好みません」
「じゃあ……」
アリアは控えていたリースにも声をかける。
「リース、しばらくフェリクス司祭に誰かをつけて。気取られないようにね」
「御意!」
リースは早速食堂から出ていく。
「はーあ……。ルヴィンくん、悲しむだろうな」
アリアは背もたれに身体を預けながら、寂しそうにため息を吐くのだった。
最近更新してて思うんですけど、使えるフォントを増やしてほしいですね。
レシピのところを、もっとレシピっぽくできれば、
もうちょっと読みやすくできるのですが……。




