第842話 潜入⑥ドラゴンの願い
わたしがドラゴンを殺した。わたしは悪い子だ。
違う。わたしは悪い子じゃない。
だって魔物を殺すのは当たり前のこと。
だって、瘴気を減らすために生まれた存在なのだから。
人と魔物は共存できない。殺らなければ殺られるだけ。
魔物を屠るのは当然なのだから。
瘴気を減らすために生まれたのが魔物なのだから。
ーー誰のために瘴気を減らそうとしたの?
瘴気が蔓延すれば、多くの生き物が死んでしまうから。
ーー誰がなんのために、瘴気を減らす存在を作ったの?
それは…………。
ーーそれはね。神が世界を壊せるものを作っちゃったから、壊すのをゆっくりにできる処置をとったんだよ
そんなの知らない!
ーー知らないことにしたいの? 知ってるじゃない。聞いたんだから
知ったふうなこと言わないで! あんた誰?
ーーあんたの中のあんたよ。あんたが押さえ込んできたことも何もかも知ってる。わたしはあんたなんだから
!
ーーホントこの世界の成り立ちは酷いわよね。そのうえ禁忌の創世記はことさら酷かったわね。子供が旅立つ日に母親である女神が、他の神とイチャイチャして遅刻。子供たちへの祝福が足りなくてその1つが瘴気になった
やめて!
ーーさらに笑っちゃうわよね。イチャついてた男神は時の河を永遠に流されるんだっけ? 他の女神たちは団体責任で封印。名を剥奪された女神は瘴気をどうにかする命を負った。けれど、地上に干渉することはタブー。
だから女神は魔物を作り出した。瘴気を蓄えることのできる魔物を。魔物が地に還る時、瘴気も消滅するように。そんな世界を救ってくれてる救世主の魔物を、人々は恐れながらも屠る
うるさい!
ーー馬鹿ねぇー。埒が明かないと考えようが考えまいが、事実はなにも変わらないのに
うるさい!!
ーー強くありたくて、相手より強いかどうかで何もかも決める。魔物の方がよっぽど潔いわよねー。考えあぐねて、自分は悪くないって思おうとする在り方ほど、醜悪な者はないわー。
いいじゃない。魔物は強いかどうかで挑んでくる。殺されたくなかったら、先に屠るのが道理なんじゃない?
冷たいわたしの声が頭に響く。わたしの中のわたしは容赦がない。
深く考えないようにしていた。
事実の表側だけを映像のようにとらえて、決して奥を覗き込まないようにしていた。
それをわたしの中のわたしに突きつけられる。
身に瘴気を取り込み、死ぬことで瘴気を消滅させる存在。
……わたしがドラゴンを殺した。
そのために生み出された存在。
……わたしがドラゴンを殺した。
生まれて死ぬことを望まれた存在。
そんなのおかしい。そんなの嫌だ。
……そんなドラゴンをわたしが殺した。
そんなの嫌ーーーーーーーーーーーーー!
ハッと心臓が跳ねる。痛みに胸を押さえ、目を開ける。
みんなに覗き込まれていた。
あれ、わたし……。
『気がついたか?』
『気を失った!』
「大丈夫でちか?」
もふもふぬいたちが顔をぺたぺた触ってきた。
「気分はどうだい?」
イザークが木製のコップを差し出してくれた。水が入っている。
喉がいがらっぽかったので、上半身を起こして一気にあおった。
「見てはダメだと警告して、君は気を失った」
フランツに言われる。
見てはダメ? 気を失った?
「ひょっとして何かを思い出したんじゃない?」
あれ、アダムだ。
もふもふも、もふもふぬいたちも、心配そうにわたしを見ている。
「……頭が痛かったことは覚えているけど、見ちゃダメってわたしが言ったの?」
「ああ、怖いと。ここにきたことがある、と」
ここに?
わたしは目の前の小部屋を見据える。
水が流れてくる先。
「……そんな気もするような、しないような」
「気分は? 頭がもやもやしていたりしないかい?」
あれ、ロサもいる。
「大丈夫だと思う」
言葉を発っしなかったけど、もふもふが安堵の息を吐き出した。
銀色の扉を入ってから、わたしの様子がおかしくなったという。
来たことがある、怖い、見ちゃだめ、そんな言葉を繰り返し、ふと意識を失った。背後でガードしてくれてたシモーネともふもふが気づいて、わたしを地におろしたようだ。
ロサたちは上から制圧してきて、もう地下まできたんだって。
フランツ、イザーク、ガーシが倒してきた人たちも、拘束してきたという。
わたしは、何となく胸が苦しくなったことは覚えているけれど、その他に特に覚えていることはなかった。もふもふに乗せてもらって地下に来た記憶はある。
本当に大丈夫かと再度確かめられ、わたしは頷く。
この先は、意識を失う前のわたしが警告をしていたエリア。
心していこうと、確認しあう。
そうして奥の小部屋に足を踏み入れた。
『なっ!』
『……これは』
「なんて酷い……」
壁に打ち付けられた、赤い肉片。
いや、これは魔物の胴体?
四肢は切り落とされ、尚且つ、至る所に剣が突き刺さっている。
両目にも短剣が刺さっていて、口においては上下から互い違いに剣を刺し、開かないようにしている。
生命力と治癒力の高い高位種族の魔物でなかったらとっくに命を落としている。目の前の塊からは糸のように細い血が下へと伝わり、プールに落ちるようになっていた。
長い年月、ギリギリ死なない範囲までいためつけ、生きながらえさせてきたと推測できた。喉に穴が開いているのか、静かな小さい呼吸をするたびに、ゴゴーッっと響くような音がする。
低音に聞こえてきていたのは、この音だったんだ。
恐ろしかった。
ドラゴンが、ではなく。
同じ生き物にこんな残酷な仕打ちをする者がいることが。
茫然とした。
みんな言いたいことはあるが、目の前のものに意識を奪われる。
ぬいたちは一様にショックを受けている。
『おい、お前はマルシェドラゴンか? 私は海の王者シードラゴンのレオだ。なぜこんなありさまに……?』
レオの声が震えている。
レオはシードラゴン? ってことは魔物?
『……ズゴー……シー……ドラゴン。ひさしく……聞かなかった名だ』
声じゃない。頭に響いてくる音だ。
アオがフランツたちに通訳している。
『……この気配は……娘か……奴に……連れて……行かれたが……無事だったか……。我を助けに……来……た……のだな』
アオが訳すと、みんなが一斉にわたしを見た。
『この者は、ここに来たのか?』
もふもふが尋ねる。
『我……の……加護が……ある。気配で……そう……思ったが……違う……か?』
『記憶を失っているんだ』
もふもふが答える。
「この者はあなたを助けると言ったのですか?」
ロサが尋ねた。
『……奴に……見つかり……ショウキ……を……浴びせられて……いた……』
マルシェドラゴンはロサの問いには答えず、何があったかを教えてくれた。
まず〝わたし〟がここに迷い込み、そしてドラゴンと会った。
〝奴〟が追いかけてきて〝わたし〟と言い合いをした。
〝わたし〟はドラゴンを助け、〝奴〟を世界議会とかいうところに突き出し、組織を壊滅し罪を償ってもらうと言ったらしい。
〝奴〟は高位の何かが憑いているそうだ。
フランツ、ロサ、アダム、イザークが何を言い争っていたのか質問を重ねていく。アオの通訳で会話が成り立っている。
・〝奴〟は加護の力を魔石に封じたいらしく、〝わたし〟はそれに抗っていた
・〝奴〟は〝わたし〟を精神的にいたぶろうとしていた
・〝奴〟はドラゴンを屠ろうとし、ドラゴンもそれを望んでいたが、〝わたし〟を痛めつけるためにそう言って、パフォーマンスを大仰に繰り返していただけで、結局屠られなかった
ということらしい。
話を聞き、きっと弁護人だと、フランツたちは殺気だった。
捕らえたものの中には、その探していたとかいう弁護人はいなかったようだ。
『……人族……よ……我を……屠って……く……れ』
ドラゴンは聞かれたことに答えたのだから、今度は自分の望みを叶えてくれと繰り返す。
『その……ものにも……頼んだ……我は……生き……る……ことが……苦痛で……しか……ない』
アオの通訳でみな顔をしかめる。
「光魔法で治癒をさせます」
ロサがキッパリと言う。
『……我は……もう……無理だ……もし……生き……ながらえた……としても……人を……憎んで……いる……から……きっと……人族……を……滅ぼそう……とする……だろう……今……お前たち……を……殺さない……のは……杭で……動けなく……されて……いる……からだ……このまま……朽ち果て……させて……くれ……これから……人を……憎む……生を……送る……のは……辛すぎる……』




