第806話 笑うことを忘れた少女⑤心の整理
「マトンのこと、気がかりだよね?」
もふもふを撫でながら、後ろのみんなに聞いてみる。
「だったらどうすんだよ。蒸し返すなよ。あいつは俺らを売ったんだ。どうしようもねー。戻ったらみんなまとめて売られるだけだ!」
振り返れば、エダとミミは唇を噛み締めていた。
やっぱりみんなも〝売った〟と思ったんだ。
「わたしはマトンに聞きたい」
「聞きたい、何を? 何で俺たちを売ったかって? そんなの自分が助かるために決まってる」
「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない」
「どういうこと?」
ミミが心配げな声を出す。
「わたしはさ、マトンがあの時、看守にすがって自分を助けてくれる交換条件にわたしたちの計画を話したんじゃないかと思った」
みんなわたしと目が合うと逸らした。
恐らく同じ思いだろう。
「手洗いに行く途中で見つかって、殴られて話すことになったのかもしれないのにさ」
ハッとした表情になるみんな。
「だからマトンに聞きたいと思ったんだ。どうして話すことになったのか。その結果、やっぱり最初からわたしたちのことを売ったのかもしれないけど。
……そうしたら一発殴る。
もし捕らえられて、仕方なく話したのだとしたら謝らないといけない。勘違いしたから」
「お……前。って、扉だって閉まってるし、そんな中どうやってマトンに会うんだよ? 俺らだって探されてるんだぞ? どうしようもない!」
「どうしようもなくなかったら?」
3人は顔を上げる。
「マトンに会うことができたら?」
「ぶん殴ってやる。……それで一緒に逃げる」
「どういう成り行きだったとしても、きっと今ごろとんでもないことしたって泣いてる」
エダは同情的だ。
「マトンも一緒がいい」
ミミの素直な呟きが、ストンと胸に落ちる。
御託はいい。結局そういうことだ。
マトンはさ、お調子者だった。
辛い日々の中、みんなの心が暗闇に閉じ込められないように、馬鹿なことばかり言っていた。
わたしに対してもそうだった。面白さも、何を言いたいのかよくわからなかったので、毎回スルーしたようになっていたけれど。
今思えば励ましであり、エダがいうように彼は怖がりで、みんなが黙ってしまったり、嫌な空気になるのが怖くて、いつも軽口を叩いていたのかもしれなかった。
そういうこと=わたしたちは……マトンと一緒に逃げたいということだ。
「マトンを助け出そう」
「「「は?」」」
「お前、状況わかってる? 俺たちは逃げてきたところだし、マトンはあのアリの巣にいるんだぞ?」
「それはわかってるけど、今は関係ない。みんながどうしたいかが大事なだけ」
「そりゃ、あいつも引っ張ってきたいよ。でも現実を見ろ。穴に戻ったらみんなで売られるだけだ」
「そうだよ」
わたしは肯定した。
「現実はいつだってみることができる。でも、生きていくには、いつだって今までの思いを抱えていくことになる。マトンのことが心残りになったら、生きていくのが辛くなる」
わたしみたいに今までを忘れてしまうことがあれば、心残りを感じることもないだろうけど。
「そんなのはわかってるよ。でも、できることとできないことがある。俺たちは4人。向こうは大人がいっぱい。俺たちは魔力もない。あっちは魔力もある。最初から持ってるものが違うんだ」
「ジン、ちょっと待って。
トスカはマトンを助け出す方法を思いついたの?」
エダがわたしに確かめた。
わたしは頷く。
「お……前、そうならそうと最初から言えよ」
「確かではない」
「それにしたって」
ジンの顔が引きつっている。
「トスカがこれだけいっぱい話していることだって奇跡だよ。今までほとんど話さなかった」
エダがいうと、3人は揃ってわたしを見た。
「そういえば、めちゃめちゃ話すな」
「話せるんだよ。話す順番違うけど」
「それは仕方ないよ。今まであんまり話してこなかったんだから、話し方がわからないんだよ」
わたしは今、ミミに貶されたのだろうか?
ワン!
もふもふが吠えた。我に返る。
わたしたちは話が脱線していたことに気づく。
「大事なのは気持ち。マトンは裏切った、かもしれない。みんなそれを許すことができるのかが大事だと思う。許したいのなら、あとはいっぱい考えて助け出すだけ」
「……朝と、上層部が外に出る時しか扉は開かないぞ」
「それに探されてるよね。入れたとして、マトンのいる場所を探すのは、かなり難しいと思う」
「マトンがいるのは多分最下層。わたしたちのいた檻だと思う」
確信に近くそう思った。
「見張りとかいるだろ」
わたしは首を横に振る。
「いないと思う。逃げないと思ってると思う。見張りがいたとしても、いなくなれば問題ない」
「アリの巣には人がいっぱいいるんだぞ。運よく入れたとして、日中に誰にもあわず、最下層まで行くのは無理だ」
「そりゃ人がいたら無理だけど……入れないんだったら出せばいいんだ」
「出すってお前……」
「わたし煙玉作る」
「けむりだま?」
わたしは頷く。
「毒虫にやられた人には煙をあてる。毒を入れられただけでなく、卵産みつけられてたら大変なことになるから、煙で孵化する動きを止めるんだ。その間に薬で退治する。
煙玉は下に置いて煙を上に燻す。煙は上にのぼっていく性質がある、軽いから。だけど作る時に失敗すると下に沈んでいく。不純物、動物の毛とかが入るとね」
「お前、薬師見習いか? 何か思い出したのか?」
わたしは首を傾いだ。
「記憶はない。けど、知識はあるみたい」
知識だから、関連することからしか探れないけど、わたしは薬を作ることにおいて多少知識があるようだ。
「その煙でどうするんだ?」
「わかった! 穴の中に入れるんじゃない? 失敗作だったら、煙は下に下がっていくっていったもの」
ミミ、100点!
「穴の中で煙が出たら、みんな火事だと思うと思う」
穴の中で一番怖いことは火事だ。煙を見て、火事だって声を聞いたら、みんな我先にと出てくるんじゃないかな?
「作れるのか、煙玉?」
わたしは頷いた。
「シナドラの花、ホウズイの根、粘土質の土、動物の毛、それから火と水があればできる」
わたしたちは計画を立てた。計画と呼べるようなものではないけれど。
煙玉を通気口から穴の中に落とす。煙が下に降りていく。
火事かと思って人を出させるのが目的だから、とにかく何人かに煙を見てもらえれば成功だ。あとは口コミで広がるはず。
扉が開いたら、隙を見てわたしたちが入り、ゴミ部屋で少しの間隠れている。ある程度の人が出て行ったら、最下層まで降りていきマトンを救出。
穴の中で火事と同じように怖いのは水だ。
水を溜め込んだ水玉は食糧庫にも保管されている。それを持っていき、誰かが様子を見にきたタイミングで水玉をいくつか発動させる。
火が出たから水で消そうとした。でも地下の穴の中ではその対処法は最悪だ。
少量なら問題ないが、穴の中では火と同じく水も流れていく場所がない。流れていかなければ溜まっていく。水から逃げるにも上へ上へとのぼり、穴から出るのが有効だ。
大量の水であったら大変だ。水の圧力で巣が崩壊する。
少々頭があれば穴一帯の崩落を恐れ、アリの巣から距離をとるはず。その混乱に生じてわたしたちも外に出る。
そんなうまくことが運ぶとは思っていない。だからやっぱりみんなマトンをどうにか助けたかったんだと思う。わたしたちは祈り信じた。マトンを助けられることを。




