第803話 笑うことを忘れた少女②トスカ
わたしはトスカ。12歳、だそうだ。
はっきり言い切らないのは、今までの記憶がないから。
聞いた通りのことしか言えない。
胸にぶら下がる小さな魔石を片手で握りしめる。覚えていないけど、親がわたしに唯一残したものらしい。組織で働いているのが嫌になって、組織のお金を盗んみ、自分たちだけ逃げたのが〝親〟といえるのかは知らないけど。
そのことを考えても、憤りも親愛の情も何も浮かんでこない。
組織の〝独房〟で目が覚める前までの、いいことも悪いことも、わたしは覚えていないからだろう。何ひとつ。
初めの記憶は、生成色の粗末なワンピースを着せられ、独房で横たわっている自分だ。
石造りの床は体が痛くなり、今の季節、ひんやりしているところだけは好感が持てた。
知らない偉そうな態度の大人がやってきて、石に魔法を込めろと言われたけど、それこそ?????と頭の中は疑問符だらけだ。魔法って何さ。
あまりにも意味がわからず茫然としていたところ、わたしのプロフィールには頭が不自由というレッテルまで貼られた。別にいいけど。
後で魔法を使っているところを見て、〝ああ、魔法って魔法か〟とよくわからない思い出し方をした。
記憶はなくてもそういう常識とかって覚えているものかなって思うんだけど。
自分のわかることと、わからないことのカテゴリの違いがよくわからない。
でもそんなことは、わたし以外の人に興味のないことだと思うので、それも黙っていた。
独房は狭い空間だけど人があまりこないし、横になるぶんにはどこでも変わらなそうだから全くもって問題なかった。ただ石の上で横になると身体中が痛い。
生成色のワンピースは薄地で暑くはないけれど、きたきり雀なのは勘弁して欲しい。親がいたときは服の替えがあったり、石の上ではなくてベッドで寝ていたのだろうか? これが〝普通〟なら、こんなに不快には感じないだろう。
なぜかいちいち違和感がつきまとう。
頭が痒い。髪はベリーショートだ。抜けた髪から薄いブロンドのような気がする。
わたしは全てがひどくめんどくさくて、とにかく寝ていたと思う。
っていっても本当に寝ていたわけではなくて、横になって寝ているフリをしていただけだ。
身体が痛いし、とてもよく眠れる状態ではなかったから。
それに起き上がり目を開けていれば、見にきた看守に絡まれる。
自分が誰だかも、ここがどこだかもわからなかったけど、だからって悲壮感があったわけでもない。わたしは神経が図太いのだなと思った。
そのうちこの地下迷宮のような〝アリの巣〟に送られた。
ここにきても、しばらくは独房に入れられてた。
食事を取らなかったら、最下層の子供たちの檻に一緒に入れられることになった。
組織は役に立たないと消されるのがルールだそうだ。班の中で脱落者が出ると、団体責任で罰せられる。だからわたしが放り込まれた班の子供たちはわたしの面倒をみた。
看守が子供たちに説明した。
親が盗んだお金はわたしが返さないといけないらしく、生かしてやってるというわけだ。最初は1、2年したらわたしを商館にでも売るつもりらしかったが、面倒になったそうで、早々に奴隷商人に売ると言われた。
この班の子供たちは、わたしと同じで魔力のない子の集まりのようだ。
組織は魔石に魔法を入れ込み、それを犯罪計画と一緒に売ることをしているらしい。
だから魔力のない人間は組織の子供の中でも最下位で、わたしたちは各所のゴミ集めや掃除要員だ。その他、みんなが嫌がること。朝イチの食糧の受け取りとか。それが仕事だった。
わたしは親が逃げたからか、看守から目をつけられているのを感じた。目立たたず、何もかもわからないかのように、ぼーっとしていた。同じ班の子に言われるままに行動するだけ。
班はわたしを入れて5人の子供たちがいた。
年齢は10歳前後。けれどみんなわたしより体は大きい。
班のリーダーは黒っぽい髪のジン。口は悪いけれど、面倒見は悪くない。
のっぽでおとなしい属性のエダ。目が細い。
お調子者属性のマトン。2人は茶色い髪に茶色い目をしている。
わたしの世話を焼くミミ。青い髪で茶色い瞳。
魔力がないことで肩身が狭い思いをしてきたようで、この班の子たちはお互いを思いやる心を持っている。
班に入れられて5日。記憶がとんでいるところから10日は経ったかな。
毎日同じことを繰り返す。
朝は5時に起きて、食糧の搬送を手伝う。
ちょろまかすなよと毎回釘を刺され、同じセリフで飽きないのかと思う。
同時にゴミを外のゴミ置き場に出しに行く。
「おい、お前、親に捨てられたんだって?」
食料を届けにくる、えらく体格のいい男に言われる。これも割とマストだ。
わたしは普段通りに無視をした。
それは彼に限ったことでなく、わたしはここで言葉を発したことはほとんどない。答えろと頬を殴られたことも何度もあったけど、めんどくさいから無視していたら、向こうが根負けした。
それに最初の一回は、なぜかみんな空ぶる。
わたしに危害を加えようとすると、最初の一回だけなぜか阻まれるのだ。というか、それがその人自身にはね返る。
そいつはわたしの短い髪をつかみ上げる。
それでも無言を貫く。
暴力的な奴が多く、気に入らなかったり機嫌が悪いと、わたしたちは殴られる標的だった。
そのあとはひたすらゴミ集めだ。層によって人のいない時間帯が違うので、そのいない時にゴミを集める。最後にまとめて、出入り口に近いゴミ置き場に置きに行く。
毎日判を押したようなサイクルを繰り返す。
みんな奴隷商人に売られると聞いた日も、他は変わったことはなくゴミ集めをこなした。
ただ違った点といえば、消灯の後、暗闇の中でジンに尋ねられた。
「お前、逃げる気か?」
「あんたたちはどうする?」
わたしは逆に尋ねた。
4人は口を閉ざす。
「わたしは奴隷に売られるのは嫌だ。だから、逃げる」
「ど、どうやって?」
普段おとなしいエダが身を乗り出した。
「あんたたちだってゴミ集めをしながら、この迷路の巣の中を探っていたじゃないか」
「でももし逃げて見つかったら、売られるどころじゃなくて、その場で殺されるんじゃないか?」
「……奴隷になっても、いずれ死ぬ」
「っていうか、鈍臭いお前が逃げられるわけないだろ?」
確かにわたしは鈍臭い。
歩くのも遅いし、力もあまりない。関係ないかもしれないけど、体が一番小さい。だから9歳のミミにまで世話を焼かれているのだ。
魔力もない。力もない。そして親の残した借金。
自分のみそっかす具合に悲しくなるが、だからって塞ぎ込んでも何も変わらない。
「やってみなくちゃわからない。わたしはひとりでも逃げる」
「待てよ。お前がいなくなったら、共同責任で俺らも罰せられる」
「あんたたちも売られるんだよ?」
魔力のないわたしたちは、お荷物なのだから。
みんなが視線を落としたのがわかる。
やがてジンが言った。
「……どうやって逃げるつもりなんだ?」




