第490話 禍根①折り合い
ガネット先輩の蒼白な顔を見て、辛かった時のことを思い出させてしまったのだろうと、思っていた。
次の日の放課後、アラ兄に狐から聞いたことを聞かなくちゃと思っていたし、もう一度狐とも話を詰めなくちゃと思っていた。それなのにヤーガンさまのお茶会でどちらもできなくて、気ばかり焦っていた。
今日こそはと思っていたのに、今度は担任からの呼び出しだ。
職員室に赴くと、応接室へと連れて行かれた。
そこには、メリヤス先生と、カウンセリングでお世話になったシスターがいらした。
これは、ただごとでないな。身が引き締まるというより縮こまる。
わたしに座るように促して、わたしの右前に座ったヒンデルマン先生はわたしに言った。
「リディア・シュタイン。5年生のガネットの異変に気づいてくれたことを感謝する」
え? 予想外のことを言われ動揺し、しどろもどろに〝いえ〟とかなんとか、口にしていた。
正面のメリヤス先生が口を開く。
「私はこれからガネットさんの心に何が起きたかを、あなたに説明したいと思います」
え?
カウンセリングについてよく知っているわけではないけれど、同じ生徒に〝あらまし〟を告げるなんてあり得ない。知らせてもいいような概要はすでに知っている。だから、嫌な予感がする。
それを押して伝えなくてはならない事態は、それを告げないことが、より〝危険〟に繋がる時だけだろう。
「……わたしも〝火種〟だったんですね」
先生たちは肯定も、否定もしなかった。
「……本当に、シュタインのおかげなんだ。ただ、これからお前に酷なことを言う。伝えるべきかは意見が割れた。けれどシュタインに被害が及んではならないから、君に告げようと、私が押し通した」
ヒンデルマン先生がわたしを見据える。
「寮長であるからという理由で概要を伝え、促すだけでもよかったが、事実を話すのが一番君たちの未来に、希望があると思ったんだ」
………………………………………。
テーブルの上に乗せていたわたしの手の上に、隣のシスターが手を重ねる。
静かにメリヤス先生が話し始めた。
発端はガネット先輩がヤーガンさまに目をつけられ、嫌がらせをされたことだそうだ。嫌がらせは続き、エスカレートし、ガネット先輩は疲れていた。
年末の試験で勝負を挑まれ、それに負ければ気が済んで、もう嫌がらせはされないと思ったという。何もしなくても負けるとは思っていたけれど、つい、解答用紙に答えをずらして書いて、わざと悪い点をとった。年末の勝負はわずか5点の差で負けることとなった。すべては終わると思ったが、退学を要求され、愕然とすることになる。負ければヤーガンさまの征服欲は守られ、盛大にばかにされるだけだと思っていたのに。
退学はやめてほしいと泣きつき、寄付をしろと言われる。
寮の子たちと話し合い、寮の生活費を削って、寄付金を算出した。
辛い生活だった。けれど、それだけだった。
ガネット先輩は、負けたのは自分のせいだと言い出せなかった。
けれど、辛いギリギリの生活に埋没されて、それを忘れそうになっていた。
新入生が入ってきた。そこには貴族が含まれていた。
1年生が寮長である自分に話があるという。食事が少ないだ、掃除が辛いだの文句かと思いきや、いろいろ調べ、そして代替案も持ってきていた。ガネット先輩は喜び、そして応援した。
構えていたが、ほぼ知っていることだったので、ほっとした。
先生は続ける。
ガネット先輩はやっと寮長から降りることができ、安堵したそうだ。寮も滞りなく、居心地のいい場所へと変わっていった。
寄付金を集める学園祭までは多少緊張していたようだが、それが終わってから彼女の均衡は崩れていった。
彼女は自分が寮を守っている自負があった。自分が寮長でなければ寄付金を捻出できないと思っていた。
それなのに新入生がいとも簡単に他の方法を考えて、見事、寄付金を集め得た。
自分が寮長だから、今までやってこられたのだという思いが、粉々に砕けた。
今までだって自分が寮長でなければ、他の誰かがやったのなら、こんなことは起きなかったのかもしれない、そう思えた。思ってしまった。
そうして彼女は、わかりやすく病んでいった。
時々人の声が聞こえにくくなった。お腹が空かない。いつ食べたのか、眠ったのか覚えがない。時々、みんなに自分のしたことを言わなくちゃと思い立つ。でも、いざとなると声が出なくなる。
そうして、やっとリズに伝えてみると、言っちゃダメと頬を叩かれた……。
「わたしのしてきたことが、ガネット先輩を追い詰めたんですね?」
心が抉られて、違うと言ってほしいだけの質問を投げかけてしまう。
「ドーン女子寮、全ての生徒から話を聞きました。ガネットさんも含め、あなたに感謝しています。今の〝寮〟が好きで居心地がいいと。ただ、それは同時に、真面目で早熟なガネットさんを追い詰めることもありました」
もふさまが膝に乗ってきて、わたしの頬を舐める。もふさまを片手で抱きしめる。
「あなたが言ったそうですね。どうすればいいかわからない時は、知識と経験を総動員してガムシャラに挑むしかないと」
ああ、言ったかもしれないなと思った。
「結果は後からわかるもの。ですから、みんなガムシャラにやるしかありません。それがどんな結果を残しても、その時に思いついた精一杯のことをする。本当にそれが賢者の道だと思います。大人もなかなか思えないようなことを、すでにあなたは思って、行動している。本当に素晴らしいと思います」
メリヤス先生は微笑んだ。
「あなたがガネットさんを慕っているのを知っています。
ですから、このことを話すべきだと私も賛成しました。あなたもガネットさんも悪くないのです。ただ本当に折り合いが悪かったのです。ガネットさんもあなたのことを、とても好ましく思っています。けれど、あなたのようには決してなれないという思いがガネットさんを蝕み、そう感じることがあった時、あなたを攻撃することがあるかもしれません。自分の心を守るために。
本来あなたに告げることではないけれど、……あなたがこれからもガネットさんと親しくしようとすると、あなたもガネットさんも傷つくことがあるでしょう。
未来はわかりません。彼女の心がどんなふうに向かうかもわかりません。あなたと仲良くなる未来を迎えられるかもしれません。けれど、あなたにとって危険をはらむ未来も想像できます」
ヒンデルマン先生が言った。
「シュタイン、これは願いだ。受け入れてほしい。ガネットと距離を置いてほしい。必要以上に関わらないでくれ。聞いてくれるか?」
先生が真っ直ぐにわたしを見る。
「難しいようなら……お前にクラスを移ってもらうことになる。ガネットは平民ゆえD組にしかいられない。シュタインは成績も優秀なことから、本来の実力のクラスに替えることができる……」
本気だ。
わたしに考える時間を与えるためか、先生たちは話し続けた。
もちろんこのことを受けて、ヤーガンさまに厳重注意をした、その詳細。
聞いてはいたけれど、言葉はわたしを素通りしていった。




