第465話 火種④平手打ち
チャド・リームめ。
わたし、ガネット先輩は元より、ヤーガンさまもわからないところはあるけれど、潔いところとか嫌いじゃない。だから余計に、おふたりがこの人のことで悩まされたっていうのがイラッとくる。
「貴族令嬢にこんなあからさまに、顔をしかめられたのは初めてだ」
チャド・リームは含み笑いをする。
「当然ですけれど、ね。この前は、大変失礼しました。あれから調べて、私の愚かさが身に沁みました」
わかったのか。
「君には大変、失礼なことをしました。申し訳ありませんでした」
胸に手を当て、伯爵家令息が、年下の令嬢に頭を下げた。嫡男だったはずだから、自分の非を認められるところは評価するべきだろう。嫡子は頭を下げるべきでないって文化が根強くあるからね。
「謝罪は受け取りました。けれど、わたしは何もあなたの変わったところは見ていませんので、あなたの印象は変わりません。あしからず」
「確かに、その通りですね。ガネットを救ってくださり、感謝します。あなたに会えたら、それを伝えたかった」
「あなたにお礼を言われる筋合いはありません。失礼します」
呼び止められた。
なんだよ? と思って振り返れば、わたしが置きっぱなしにしてしまった、図書館から借りてきた本を忘れていると教えてくれていたのだった。
大変バツが悪い。
「ありがとうございます」
胸に抱え、今度こそ、本当に立ち去る。
図書館で借りてきたのは、小さな子に聞かせるような神話の本と、ユオブリアの歴史書だ。歴代の聖女さまのことを調べたいが、そうと書かれた本をわたしが借りたとわかり、聖女に興味があるとわかっても面倒なので手に取れない。
メインルームに良さげな本がいっぱいあったんだけど、なんとそれらを読むには規程の魔力量が定めてあって、開くこともできなかったのだ。
ベッドで寝転び、もふさまと、もふもふ軍団に埋もれながら本を読む。
んー、幸せ。
いろいろな神さまがいらして、けっこうそんなくだらない(失礼!)こと?とか、神さまがそんな失敗をしていいの? と思えるようなエピソード集だ。
親しみを持たせるためなのかな?
??????????
次の日も部室に行く前に図書室に寄った。魔道具の本も、たまには借りてみるかなーと、手に取っていると
「毎日、いろんな本を読んでいるね」
と声をかけられた。
初めてみる司書さんだった。司書士の制服を着ている。
「1年生だよね?」
優しげに声をかけてくるが、わたしはこういった予測不能なことに弱い。
一歩下がると、司書さんは驚いたようだ。
「あ、ごめんね、怖がらせてるのかな、もしかして?」
ゴン。わりとしっかりめの音がした。
本が司書さんの頭に当てられていた。
それを手にしていたのは優しい茶色の瞳、司書のマッキー先生だ。
「マッキー先生、こんにちは」
「こんにちは」
マッキー先生は図書室で最初に会った司書さんだ。
「君、奥の本棚の整理を頼んだはずだけど?」
「終わりました」
「本当に?」
「ええ、もちろんです」
「新しい司書の先生ですか?」
尋ねるとマッキー先生は頷いた。
「マヌカーニ先生だ」
わたしは頭を下げた。
「この時期に、新しい先生がくるんですね」
「あ、ああ。そうだね、中途半端な時期だよね」
先生たちとのお喋りはそれくらいにして、わたしは新たに本を借り、そして部室に向かった。
『リディアはピリピリしているな』
もふさまが、わたしを見上げて言った。
「聖樹さまの護りは強くなったけど、それゆえの弱点があるから。生徒以外には気をつけないと」
そういうことか、ともふさまが頷く。何もかも疑うのもよくはないけど、用心はしないとね。
でも不思議と用心しているときは何も起こらないもので……。
わたしが神話を借りたことを知って(個人情報!)、神話同好会に勧誘されるという珍事はあったけれど、断って終わったし、それだけだった。
そのうちにわたしの誕生日がやってきて、その週の休息日に祝ってもらった。
10月の終わりは収穫祭がある。休息日を含めて3日間、学園もお休みで秋の実りを祝う。エリンとノエルの誕生日を学園にいて祝えなかったので領地に帰りたい。でも実際のルートを使うと移動時間がかかりすぎる。わたしだけだったら、もふさまに乗ってきたってことにもできるんだけど、兄さまたちに悪いし。
ってなことを思っていると、なんとクジャク公爵さまが、シュタイン領の収穫祭に行きたいそうで、そのついでにわたしたちも転移で連れて行ってくれるという! 超ラッキー。
あと5日で収穫祭休みという時に、事は起こった。
朝の食堂で、リズ先輩がガネット先輩の頬を平手打ちしたのだ。
ガネット先輩は打たれた頬を押さえている。頬は赤くなっていた。
一瞬呆けてしまったけれど、わたしは寮長だということを思い出した。
「おふたりとも、何事ですか?」
「1年生は黙ってて!」
リズ先輩は興奮状態だ。
「わたしは寮長です。寮の問題で黙っているわけにはいきません。ふたりともついてきてください」
ここだと、みんなの目もある。
「私は行かないわよ。学園に行くわ」
リズ先輩は身を翻した。食堂の中では、心配そうに見ていた5年生が、ガネット先輩を見て、リズ先輩の背中を見て、その背中を追いかけて走っていく。
下級生たちも居心地が悪いからか、食堂からどんどん出て行った。
「あーあ。自業自得なの。リズは悪くないわ。私、寮の子みんなに叩かれなくちゃいけないわ」
え?
赤くなった頬に目がいっていたのだけど、ガネット先輩がやつれて見えた。
「皆さん、学園に向かわないと遅刻しますよ」
ローマンおばあちゃんに急かされる。
わたしは心配になってガネット先輩につきまとった。
「私は大丈夫よ」
嘘だ。心の中で大泣きしている先輩が見える。
わたしはガネット先輩を引っ張った。
「シュタインさん?」
「さぼりましょう」
「さぼる?」
「今はこっちの方が大事です」
わたしは池へとガネット先輩を誘った。




