第292話 聖女候補の胸の内(後編)
「シュタインさん、大丈夫ですか?」
メリヤス先生が目の前にいた。戻ってきたようだ。
足元でもふさまが尻尾を振った。背負っているリュックも膨らんでいる。
「すみません、大丈夫です」
「昨日の件で、体調が悪いのでは?」
ドーン男子寮のトムさんが心配そうにわたしを見ていた。
呼吸を整え、戦闘態勢に入る。
「アイリスさまが恐れ多いことをおっしゃるので、気が遠くなってしまいました」
そう言うと、先生たちは顔を見合わせた。最後は自分が力を授かれば云々と恐ろしいこと言ってたからね。というか、彼女はギフトで自分が力を授かることをわかっているんじゃないだろうか? そして授かったらその力でわたしを聖女にするって言ったような……。
「アイリスさま。アイリスさまが聖女候補となられたことを、とても重たく感じていることは良くわかりました。アイリスさまは聖女の力を発現されていませんが既に多くの信者がおられます。ご存知ですね?」
メリヤス先生に言われて、彼女はこくんと頷いた。
「アイリスさまが聖女はシュタインさんがなるべきと言ったことで、信者たちの中で、アイリスさまの言う通りにシュタインさんが聖女になると思う派閥と、アイリスさまが聖女になるべきだと強く思われる派閥が生まれたようです」
アイリス嬢は先生を見上げる。
「シュタインさんが窮地に陥ればその力が現れるかと、危害を加えようとした出来事がありました」
「え?」
「シュタインさんが危ない目に遭いました。未来は誰にもわかりませんが、アイリスさまの言葉に心酔し自分が思うアイリスさまのためを思って、行動を起こすものも出てきています。アイリスさまはもうそれぐらい影響力のある方なのです。そのアイリスさまが、名前を出すことで、名前が出た方に危害が加えられることもあるのです」
「そんな。あたしは、そんなつもりでは」
「わかっていますよ。ですからお願いがあります」
アイリス嬢はメリヤス先生をみつめる。
「今後、誰が聖女になるかなど個人名を出すのはお辞めください。そしてシュタインさんに向かう悪意を食い止めるために、シュタインさんは身体との兼ね合いで聖女になり得ないことを皆に話そうと思います。シュタインさんを守るために。それを納得し、受け入れてください」
「……わかり……ました」
「それから、聖女について思うことを、いつでも私にお話しください。ギフトのことは話す必要はありません。それ以外の思っていることをなんでもお話しください。神官はそのためにいるのですから」
メリヤス先生の言葉を噛みしめるようにしていたが、ふとわたしに向き直る。
「あの、リディアさま。あたしの軽率な発言でリディアさまにご迷惑をお掛けしたなんて、本当に申し訳ありません」
アイリス嬢はわたしに頭を下げた。
「アイリスさま、わたし、怖い思いをしました」
本来なら〝いいえそんなこと〟というところではあるが、そう言う気にはなれなかった。彼女にはわたしが聖女になる気がないと伝えておかないと。そしてわたしを聖女にしようとしている思いを潰しておかないと。
「ごめんなさい」
「謝って欲しいのではありません。でも今後はメリヤス先生がおっしゃったようにわたしの名前を出さないでください。それから先ほど恐れ多いことをおっしゃってましたね。アイリスさまが何を考えるかは自由です。でも、力を授かるとしたら、その力はねじ曲げて使うべきではないと思います」
「ねじ曲げる、ですって?」
アイリス嬢はショックを受けたような顔をしている。
「わたしが何者かになれるかもわからないけれど、誰かにしてもらって何者かになる道は選びません」
彼女は惚けた顔をした。
「リディアさま」
「はい」
さっきの申し訳なさそうな思いはもうどこにも見えず、先生の話を了承はしたけれど、考えが変わったわけではないのが見て取れる。
「あたしの力を使っても使わなくても、あなたはいずれ聖女となります。それは神さまの決めたことですので」
神々しいまでに、にっこりと笑う。だから、わたしも告げた。
「わたしは聖女にはなりません。わたしが決めることですので」
わたしもにっこりと笑ってみせる。
ふんっだ。
話し合いを終え、帰り道、先生がニヤニヤしている。
「笑ってますね?」
「聖女候補とのやりとりが実に面白かった」
ヒンデルマン先生ってなかなかいい性格をしているよな。
「神の決めることではなく、自分が決めること、か」
「順番が逆です」
「逆?」
「自分で決めることを、神さまは望まれていると思います。それが神さまの決めたことです」
ギフトという贈り物をくれる太っ腹の神さまだ。人生を楽しめと祝福してくれている。そこに感じられる意思は、自分で切り開け、だ。
神さまは望まない力を与えることはないと思う。
だから神さま、お願いします。わたしは普通に頑張るのが好きなので、聖女にはなりたくありません。聖女になりたい人に力を授けてあげてください。わたしは家族と好きな人たちと楽しく暮らすのが喜びなんです。
胸の前で手を組んでいつものように祈っていると、先生がドン引きしていた。
この目は覚えがある。神官長のご子息であるルシオにも、そんな目で見られていた。
「い、祈りか。唐突だな」
「ルシオさまにも言われました。でも、祈ったり、感謝したりなんて教会や神殿でだけしかやっちゃいけないってこともないと思うんですよね。神さまって答えてくれないから、独り言になるし。反応が見えないとついつい忘れそうになるから、わたし畑仕事の時に感謝するよう習慣づけてたんです。でもここでは畑仕事はしないので、気がついた時に感謝とお祈りをすることにしています」
「は、伯爵令嬢が畑仕事してたのか?」
「はい、ウチの野菜はおいしいんです」
ヒンデルマン先生は、何かを堪えているような変な顔をしていた。
なんかここにきて吹っ切れた気がする。
今までなんとなくアイリス嬢が怖かったんだけど、今日やりあったら、怖いのがどっかいった。面倒くさいのは面倒くさいから関わりたくはないけどね。
神殿を通して、わたしが聖女になり得ないことを告げてくれるとメリヤス先生は言ったし。そうしたら、わたしへの〝聖女云々反感〟は遠のくことだろう。
あとはアベックス寮に再戦を持ち込んで……。
職員室で先生と別れると、ロビ兄が駆け寄ってきた。
「ロビ兄」
「終わったのか? 兄さまがどうしても外せない用があるみたいで、おれが寮まで送る」
「あ、急に決まってクラブに出ないこと兄さまに言えてないのに、どうしてここに?」
「あの小屋みたいのいいな。行ってみたら、リーは今日は来ないって、先生たちと話しているって聞いたから、聖女絡みかと思ったんだ」
そっか、わざわざ部室まで行ってくれたんだ。
「あの部屋、いいでしょう? なんか落ち着くところなんだ。迎えに来てくれてありがとう」
「アイリス嬢も一緒だったのか?」
「うん」
それだけで、ロビ兄は理解したようだ。聖女絡みかと予想していたみたいだしね。
「なー、リー、ちょっと遠回りしていいか?」
ロビ兄にわたしは頷く。
ロビ兄はわたしの手を取って、元気に歩き出した。
「うわー」
池だ。周りには小花がいっぱい咲いていた。池は夕日を受けて、オレンジ色に染まっている。
「素敵なところだね」
「リーならそういうと思った」
もふさまのリュックからかわいい顔がぴょこぴょこ出てくる。
わたしの視線を受けて先回りする。
『気配は探った。誰もいない!』
わたしも探索をかけていて、誰もいないのはわかっているが、いつも気をつけるよう注意はしておかないとね。
「アイリス嬢は受け入れたか?」
うーーんとわたしは唸る。身体的なことで聖女にはなれないとメリヤス先生がみんなに伝えるのは了承した。けれど頑なに、わたしは聖女になるだろうと言い続けていたと報告する。
「実際さ、リーは、……本当のところどうなんだ? 本当に聖女じゃない?」
「今のところ、自分が聖女だと思えたことはないし、これからもない気がしてるよ」
「そうか」
「でもさ、これだけ聖女が、聖女候補がって騒いでるけどさ。それもただそうなりそうって誰かが言い出して、みんながそれに乗っちゃっただけでさ。実際、わたしたちの生ある時には聖女が現れないこともあるんだよね。っていうか、聖女って世界の危機に現れるんだよね? 世界の危機になっているわけでもないのに、聖女が現れるって思ってるってどうなの? まるで危機を望んでいるみたいじゃん。そのことの方がよっぽどおかしいよ」
根拠があるわけでもないのに、聖女聖女って騒ぎすぎだとわたしは思う。それに担ぎ上げられたりするのは大迷惑だ。
「確かにな。でも一定数……少なくても〝神殿〟は〝危機〟と呼ぶような何かが起こると思っているんだろうな」
ロビ兄は不穏なことを言って、わたしを安心させるためか微かに笑った。




