第274話 寮長ですが、何か?④君の名は
兄さまの青い瞳に吸い込まれそうな錯覚が起こって、ただ立っていただけなのにふらついた。
『大丈夫か、リディア?』
目を瞑って耐える。兄さまがしっかりと支えてくれた。
「大丈夫」
リームとかいう子息をガンネと思ったけど、わたしもガンネだ。
わたしのすることで、アラ兄やロビ兄、それから兄さまの足を引っ張るなんて。見通しが甘かった。
「……兄さま……ありがとう。ただの立ちくらみみたい。兄さまはどうしてここに?」
謝るのも違う気がして。いや、混乱していて兄さまの現れた理由を聞く。
「ジェイ先輩が弟であり執行部員であるブライと、私に、ドーン女子寮のことを聞きに来たんだ」
そうかジェイお兄さんは〝行動〟したんだ……。
「珍しくリディーが怒ったようだから、後悔して辛くなっているんじゃないかと思って部室に行った。まだ来てないというから、こっちにいるような気がして来てみたんだ」
兄さまはわたしのことをよくわかっている。
「ジェイお兄さんに寮のこと話した?」
「去年何があったかってことは話した。総会はプランBになったようだね」
土の曜日のランチでわたしは兄さまたちに総会の流れも話した。3人ともわたしが悪者役っぽくなることを危惧していたけれど、やりたいと決めたなら、覚悟を持って前に進めと言われた。その結果、3人の足を引っ張ったり、足かせになったりしているけれど。
「うん、わたしじゃ先輩たちを説得できなかった。それでリコールしたの。朝は他の寮長たちに挨拶に行って」
「そのようだね」
「知ってたんだ?」
「噂が広まっている。勇ましい1年生がいるってね」
兄さまはかわいらしくまとめているが、本当に伝えられているのはわたしに聞かせられないような言葉だっただろう。先程の噂話からそう推測できる。
「ねぇ、リディー。主人さまと一緒ではあるけれど、しばらくひとりで行動するのはやめてほしい」
え?
「人って集まると気が大きくなったりするんだ。それで力が合わさっていい作用をすることもあるけれど、時には悪く作用する時もある」
「悪く作用?」
「ひとりではできない悪いことが、自分の意思じゃなくてみんなの総意だってすり替わり、やってしまうことがあるんだ。どんどん調子にのってね、歯止めが効かなくなる」
「何それ? わたしが大勢に何かされるってこと?」
「そうならないように、気を付けるにこしたことはないだろう? 教室から出る時は必ず誰かと一緒に行動すること。クラブに出るのも私が送り迎えをするよ」
「そんな、兄さま忙しいのに」
「約束してくれるかい?」
兄さまが強引だった。
わたしに何かあるかもと強く思っている。
そういえば忘れていたけど、入園試験で妨害されたのは、誰かから憎まれそうだったからだっけ。
「兄さま、何かあったの?」
「何もないよ。でも、寮長になった報告をしたのは今日の朝だよね? ジェイ先輩と話したのは放課後になってすぐ。噂が回るのが早い気がした。たまたまかもしれないけれど、用心するにこしたことはないから」
そこまで言ってにっこりと笑う。兄さまが、眩しい。
一瞬あまりのキラキラ度に気持ちを持っていかれそうになる。
噂が回るのが早い……意図して噂を広められた可能性がある?
「クラブ活動はどうする?」
「行くよ」
「では、エスコートさせていただけますか? リディアお嬢さま」
胸に手をやり、正式な礼をとりながら、わたしに許しを請う。
しっかり兄さまに送ってもらい、兄さまは先輩たちに迎えにも来ますのでと宣言をした。エッジ先輩にボソッと学園内でとんだ過保護だなと言われたけれど、ユキ先輩がまだ地図を持ってないだろうから心配になるよと擁護してくれて、優しい婚約者だねと微笑んでくれた。
次の日、授業が終わると、クラスメイトに呼びかけられた。
その子は廊下側の席なんだけど、先輩から伝言を頼まれたという。
ロビ兄が職員室に呼ばれて迎えに行くのが遅くなるため、先に門に行っていてくれというものだった。
もふさまがロビ兄が来た気配はしなかったというので、誰からの伝言だったのか聞くとロビ兄はそのまま職員室に行かなくてはいけなくなったので、その時一緒だった友達が伝言を受け持ってくれたそうだ。
わたしはお礼を言って、教室を後にした。
わたしは移動する時は探索つきのマップを起動させている。
教室から門へと向かう最短ルートに赤の点がいくつかあった。学園内で赤い点が現れたのは初めてだ。
「もふさま」
小さい声で呼びかけると、もふさまも地図を見上げる。
「遠回りするね」
赤の点を避けるには、アルネイラの並木道側から門に行くしかない。
敵が誰なのか見たい気持ちはあったが、危険に近寄らないのが一番だ。
かなりな遠回りになるが仕方ない。
足早に歩いたが、途中で赤の点が移動し始めたことに気づいた。あ、こっちに向かって来ている。
「もふさま、どうしよう。挟み撃ちされちゃう」
前にも後ろにも赤い点がある。
『リディア、我に乗れ。突破する』
わたしは頷いて、もふさまに乗ろうとした。
「迷子になったか?」
前からふたりの男の子だ。赤の点だ。
「シュタイン家の出来損ないは、ひとりで門にも出られないんだな」
ニヤニヤしながら近づいてくる。後ろから近づいてくる点は3つだ。
前方突破だね。
「迷子ではありません」
もふさまが吠えた。驚いた隙にふたりの間を突破する。もふさまがついて来られないようにふたりに向かって吠えている。
もふさまはわたしを匂いで辿れるはず。
左に曲がれば真っ直ぐな廊下。足の遅いわたしはすぐ追いつかれてしまう。
左右のどこかの部屋に。
そう思った時、ドアが内側に開いて、腕を持って中に引っ張られた。口を押さえられ、静かにと言われた。頷くと口を塞ぐ手はすぐに外れた。
追う側と逃げる側が逆転していて、バタバタした足音に続いて、もふさまが吠えながら通りすぎる。
「逃げているようだったから手を貸したんだが、要らぬお世話だったかな?」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
お礼を言って顔をあげ、あれ?と思った。
この美形の人、どこかで見たことあるような……。
体は大きいけれど制服は下級生用のものだ。長めの前髪で美しさをわざと隠しているように見える。
「私の顔に何かついているかい?」
マジマジと見てしまったからだろう。恥ずかしくなってわたしは謝った。
「不躾に見てしまってごめんなさい。どこかでお見かけしたような気がして……」
「私はすぐにわかったのに、リディア嬢はわからないのかい? ツレないなー」
あれ? そのどこかわたしにはイラッとくる口調、覚えが……。
「……あんた、アダム!?」
アダムっていうかアダムを騙っていた偽アダム!
整った顔はより研ぎ澄まされ、気品を備えた美男子は、とにかくお美しく成長されていた。
また口を塞がれる。な、何?
そのまま、本棚と机の間に押され、わたしはすっぽりとはまった。
ノック音がした。
あ、わたしを隠した? 正面まで人が来なければわたしは見えないだろう。
偽アダムがドアを開ける音がする。
「何用かな?」
「し、失礼します。こちらに女生徒が入り込まなかったでしょうか?」
赤の点だ。
「私はずっとこの部屋にいたが、ひとりだよ?」
「あの、中を改めさせていただいてもいいですか?」
「君、この部屋がなんだか知ってて言ってるの?」
「し、失礼しました」
バタンとドアが閉まり、赤い点は遠ざかっていった。
「行ったみたいだ。もう出てきていいよ」
にこやかにしているのが頭にくるが、助けてもらったのでお礼を言っておく。
「ありがとうございました」
「本当に感謝しているのなら、あの時身を騙っていたのが私だというのは秘密にしてくれるかい?」
「リー!」
遠くにアラ兄のわたしを呼ぶ声が聞こえた。
「迎えが来たようだね」
わたしは部屋からそっと追い出された。
「またね、リディア嬢」
名を騙られた以外、何かされたわけではなく、そして今助けてもらったようなものなのでなんとも微妙だ。




