更に逆転した決着。
「そもそも、彼らは当方が雇い入れた後は、一人として犯罪を犯しておりません。
彼らは、しかるべき環境にあれば真っ当に働く、人材と呼ぶにふさわしい方々なのです。
ここまで更生が進んだのであれば、元犯罪者という扱いすら不当ではないかと、わたくしなどは思いますけれども」
「待ってくれニコール嬢、雇ってまだ数ヶ月ではあるが、数百人の元犯罪者が、一人も再犯を犯していないというのかね?」
「はい、左様でございます。各街の衛兵方にお問い合わせいただければ確認いただけるかと」
ニコールが続けて述べた内容に、思わず貴族の一人が声をかけた。
一度犯罪に手を出した人間の再犯率は、この時代のこの国では、まだまだ高い。
これが一人二人であれば真っ当に立ち直ることもあるだろうと思えるが、数百人が全員となると話が違ってくる。
彼らを犯罪者にしない何かをニコールが為したのなら。
あるいは、彼らを犯罪者にしていたのは。
そこに考えの至った幾人から、ちらりちらりとベイルード伯爵へと視線を送るが……何も言わない。今は、まだ。
物言いたげな視線は行き交えども、言葉にはされず。
質問がそれ以上は続かないと見て、ニコールは再び口を開いた。
「彼らに話を戻しますと、再犯もせず、そして仕事も真面目にこなしております。
彼らが配属されてしばらく経ちますが、進行が遅くなった現場は一つもなく、むしろ早くなっている程。
これに関しましては、報告書も上がっているかと思いますが」
「確かに。必要とあらば報告書と添付資料をお持ちすることも出来ます」
ニコールが確認するように言えば、建築土木関係を取りまとめる立場にある貴族が頷いて返す。
報告書と言ってもプランテッド家だけが書いたものではなく、監査官の報告も伴うもの。
であれば十分に信用ができるはず、とハジムはそれには及ばない旨を告げた。
「ということで、彼らは元犯罪者ではあれど十分有用な人材であり、彼らを統括する立場の人間が丁重に扱うに値するとおわかりいただけたかと思います」
言い切った後にニコールが会議場を見回すも、反論は出てこない。
「付け加えて言うならば、彼らに対する監督責任をニコールは十分に果たしていると言えるでしょう」
静観していたジョウゼフが言えば、ベイルード伯爵を除く全員が、頷かずにはいられなかった。
それぞれの立場から、それぞれな表情で、ではあったが。
異論も反論もなくなったと見たハジムが、こほんと一つ咳払いを響かせ居住まいを正した。
「うむ、彼らはあくまでも元犯罪者であり、更生の道を歩んでいると認めよう。
また、彼らに対する監督責任も果たされており、管理者として大きな瑕疵はないとも」
「公明正大なるお言葉、感謝に堪えません」
国王としての威厳に満ちた貌と声で宣言すれば、ニコールとジョウゼフは恭しく頭を下げる。
一拍遅れてラフウェル公爵が、そして他の貴族達が。
最後に、貌が苦渋に歪みそうになるのを必死に抑えながらベイルード伯爵も頭を下げれば、内心はどうあれ今この場にいる貴族全員が、ハジムの宣言を受け入れた形となった。
そして全員が顔を上げたところで、閉会の宣言、となるはずだったのだが。
「陛下のお言葉により、我が従業員達の名誉は守られました、誠にありがとうございます。
しかし、今回このような疑義を受けましたのはわたくしの不徳の致すところ。
やはりまだまだわたくしのような若輩者には、公共事業を担う商会の会頭など荷が重かったのでございましょう」
顔を上げたところで、いきなりニコールがそんなことを言い出した。
何を言い出しているんだと驚くラフウェル公爵、困惑する貴族達、苦笑するジョウゼフ。
そんな小さな混乱を意に介することなく、ニコールは言葉を続ける。
「よって、この度の騒動のけじめといたしまして、わたくしは会頭の職を辞することにいたします。
あ、後任は既に決まっておりますので、工事に穴は開きません、どうぞご安心くださいませ!」
「いや違う、そこじゃない。そこは誰も心配していないぞニコール嬢!?」
あまりの急展開に、ラフウェル公爵が堪えきれなくなったのかツッコミを入れた。
その周囲でうんうんと頷いて居るのは、ラフウェル公爵派閥の人間だろうか。
やいのやいのと先程までとは打って変わった雰囲気で言葉が飛び交う中。
ベイルード伯爵は、力無く背もたれに身体を預けた。
「……やられた」
ぽつりと、呟く。
彼の望んだ通りに、ニコールは会頭ではなくなった。恐らく、彼から見て最悪の形で。
犯罪者と付き合いのある汚れた人間として引きずり落とし、さらにはそこを橋頭堡として土木事業を切り崩していく。
それがベイルード伯爵の本当の狙いだった。
だが実際は、犯罪者達は元犯罪者であり雇用するに問題ない人間と認められ、土木事業そのものは健全であることが証明されてしまった。
その上、ニコールが責任を取って自ら会頭を辞したことで査問会の目的は形としては達成されてしまったため、これ以上この件で追及することは難しい。
これでまだ、後任人事に介入出来たのならばまだ打つ手もあっただろうが、十全に準備された後任まで用意されてしまっていた。
「いくら私でも、あの方に文句は付けられないぞ……」
がしり、と乱雑な手付きで髪をかきむしる。
これはもう、土木事業の切り崩しは不可能になったと考えざるを得ない。
ニコール下ろしと引き換えに、本当の狙いである土木事業は安泰の地位を築かせてしまった。
「とかげの尻尾切りならぬ、頭切り、とでも言うのか。誰が考えつく、そんなあべこべなことを……」
忌々しげに、吐き捨てる。
彼の価値観の中では、到底信じられないこと。
故に読めず、防ぐことすら出来ず結果は恐らく彼女の筋書き通り。
重たい敗北感の中、未だに何やら言い合いをしているニコールを、ベイルード伯爵は淀んだ目で見ていた。
それから数週間程経った、東部旧パシフィカ別邸。
ニコールが以前使っていた執務室で、一人の男が書類片手にぽつりと零した。
「なあ、絶対これ、最初から企んでたよな、ニコール嬢ちゃんは」
「はいはい、もう何度目ですかそれ」
ぶつくさと零される文句は、すっかり慣れられてしまったのかエイミーに受け流される。
そんな彼女へと恨めしげな目を向けるのは……アンカーリヤ伯爵だった。
彼こそが、ニコールの担ぎ出した後任だったのである。
ラフウェル公爵の弟という血筋、官僚として勤め上げてきたキャリアと、ベイルード伯爵ですら文句は付けられない人材。
おまけに、ニコールの研修のために商会の業務も把握している、とあってはこれ以上の人材はいないだろう。
もっともアンカーリヤ伯爵からすれば、その研修自体が、彼に業務を把握させる罠だったのだと思えて仕方ないのだが。
本当のところを知るニコールは、会頭を辞したため今この場にはいない。
「言いたくなるのも仕方ないだろ? 嬢ちゃんを育てて後は悠々自適の顧問生活だったはずが、どうしてこうなったってさ。
あ~、ったく、一体どこまで見通してたんだ、あの子は」
官僚を引退して、ニコールの教育が終われば楽隠居の予定が、まさかの現役復帰。
それも、穴を開けられない職に、彼しかいない状況を作られて。
嵌められた、とアンカーリヤ伯爵が思ってしまうのも致し方のないところだろう。
「ふふ、本当に凄いですよね、ニコール様。あれもこれも思いつきでやってるみたいなのに、最後にはそれが全部綺麗にまとまっていくんですよ。以前にもですね……」
更には、ちょっとニコールの話を振られただけでスラスラとニコールの武勇伝を語り出すニコールマニアがすぐ隣で仕事をしているのだ、愚痴を言う度に逆にストレスが溜まってしまう。
まあ、語っている間もエイミーの手は動いているし、仕事に間違いはないのだが。
ニコールもニコールだが、その周囲を固めている人材も大概である。
能力も、癖の強さも。
「は~……早くお戻りになりませんかね、ニコール様。立派にお留守の間をお守りしていましたとご覧頂きたいです……うふふっ」
「……だめだこりゃ」
夢見る乙女の顔になったエイミーを見て、アンカーリヤ伯爵は首を横に振る。
少しばかり、唇を笑みの形に曲げて。
楽隠居と思っていたが、彼にしか出来ないと頼られたこと自体は、決して嫌ではない。
彼も彼で、それなりにこの状況を楽しんでいたりする。
「まあいいや、次いってみよう!」
自分に鞭を入れるかのようにそう言い放ち、彼はまた別の書類を手にし、仕事に戻ったのだった。
その頃、そのニコールはどこに居たかと言えば。
「は~……やっぱり海はいいですわね~」
と、浜辺でくつろいでいた。
ビーチパラソルが作り出す日陰の中においたデッキチェアに、簡素でありながらも品の良い白いワンピースで横たわる姿は、バカンスを楽しむセレブかのよう。
いや、まさに今の彼女は、バカンスを楽しむ貴族だった。
傍に置いてある丸いテーブルには色鮮やかなジュース。流石にお酒ではない。
そして隣で控えるベルは、いつものよりも薄手な夏場用のメイド服を着て、大きな扇でニコールを扇いでいた。
「海がいいのはわかりますが……いいのでしょうか、こんなところでくつろいでいて」
「いいのいいの、あれだけ忙しかったのだもの、少しくらい息抜きをしても罰は当たりませんわ!」
「……後任のアンカーリヤ伯爵様や置いてきたエイミーさんとサーシャさんは今もお忙しく働いてらっしゃるでしょうに……本当にいいのでしょうか」
なお、勤務中という意味では、ベルも今はニコールのお守りという勤務中である。
暑い最中にずっと立っているという意味では決して楽でもないのだが……彼女からすれば、後ろめたいらしい。
まあ、ニコールを独り占めできていることに対する後ろめたさも少しばかりはあるのだが。
「いいに決まってるじゃない。というかベルも一緒に寛がない?」
そんなメイドの葛藤など、主であるニコールはどこ吹く風である。
言いながら『よいしょ』と横にずれて、デッキチェアに隙間を作ろうとしているが……残念ながら、如何に細いといえど、デッキチェアは二人で寛げるような幅はない。
色々な感情を押し殺しながら、ベルは無の表情で首を横に振った。
「ご遠慮いたします。私まで遊びほうけては、色々な方面へと申し訳が立ちません」
「もう、相変わらずお堅いんだから~」
ぶつくさと言いながら、ニコールはジュースを口にする。
氷が入ったそれは、日差しの中でも冷たく、だからこそ格別の味がする。
むふ~と少々鼻息を荒くしつつ見せる満足そうな顔は、間違いなく伯爵令嬢としてはしたないのだが、言っても無駄だとベルは諦めの境地に入っていた。
「そうそう、一休みしたら後で市場の方に行きましょうね、賑やかだし面白そうだもの」
「はぁ……わかりました、お付き合いいたします」
これ見よがしに溜息を吐いて見せながら、ベルはこれはこれで、こんな日々も悪くないなどとも思ったりする。
なんだかんだ、彼女にとってもこうしてのんびり過ごす日々は得がたいものなのだから。
だが。
残念ながら、そんな日々は長くは続かない。
後にこの避暑旅行は『ニコール・フォン・プランテッドの三日バカンス』と呼ばれることになるのだが……今この時、ベルはもちろん、ニコールも知る由は無かった。




