破竹の勢いの向こう側。
エイミーとサーシャが各地に飛び、本部のニコールが書類仕事を覚え、組織の管理を始めてから、おおよそ一ヶ月。
急速に土木関係を中心とした流通が回復し、様々な供給が回復していった。
そして、供給が回復すれば工事が順調に回り始め、現地での消費も活発化していく。
消費が供給を呼び、供給が消費を促し。
旧パシフィカ領東部の経済は、急速に回復を始めていた。
「……これは流石に、予想以上だったと認めざるを得ないな……」
西部で拠点として使っている屋敷、その執務室で日も落ちて薄暗い中、ベイルード伯爵が一人呟く。
手にした報告書には東部の経済状況の概況が書かれており、その数字は彼が予想していたそれよりも明確に良好なものだった。
「行政面での掌握は流石の迅速さだったが、そちらに力を割く以上、経済面は後回しにせざるを得ないはず。
だというのに、異様な速さで流通網を回復させ、経済を活性化させている。まるで、もう一人伯爵がいるようではないか」
ぼやくように言いながらも、報告書をめくる手は止まらない。
様々な数字が並んでいるのを流し読みし、何が要因なのか、探り当てようと目を走らせる。
と、その目がとある書類で止まった。
「何だこの、商会の再編というのは。……いや、何をどうやったらこんな大規模な再編が、こんな短期間で出来る?
確かにこの再編が成れば、あらゆる面で効率的に業務が動くだろうが……あの会頭連中は、長年土木関係で美味い汁を吸っていただけに保守的で、頭が固い。
だというのに、こんな改変を受け入れさせるような説得をした、というのか。それこそ、プランテッド伯爵が強権を発動でもしなければ為し得ぬことだろうに」
一城の主とでも言うべき会頭の座から、支店長へと下りる。
それが、金銭欲と名誉欲に塗れた老人達にとってどれだけ屈辱的なことか。
どちらかと言えば彼らに近しいスタンスであるベイルード伯爵には理解が容易く、それだけにこの状況が理解しがたい。
「一体どんな条件を出したというのだ……流石にそこまではわからんか。
もしわかれば、揺さぶりをかけることもできたろうが……ないものは仕方ない、切り替えよう」
当たり前だが、そんな交渉が行われることなど掴めてもいなかったのだから、手の者を忍び込ませるなども出来るわけがない。
そして、交渉が終わった後に漏らすほど迂闊な連中でもないのだ、彼らは。
であれば、今更わからないことを気にしたとて仕方が無い。
頭を切り替えたベイルード伯爵は、また別の書類へと目を落とした。
「この組織再編が功を奏して土木関連の流通が一気に加速し、あちこちで人の流れと消費を生み、と好循環を生じている。
……これは、資材調達にも経理にも通じている者が一枚噛んでいるな……情報にあった、モンティエン男爵令嬢か」
書類の数字から伺える、需要が生じるタイミングの少し前に発注がかかり、待たせることなく資材の供給が行き届いている様子。
相当に資材調達業務の経験と調達先の人脈がなければ、こんなことは不可能だ。
そして、それが出来る人物など限られている。
「それだけでなく、現場の作業効率が恐ろしく上がっているな。
ぎりぎりまで一つの案件で補助金を引き出そうとしていた前任者とは逆に、迅速に片付けて件数をこなすことで稼ぐ方向か。
とは言っても、現場がきちんと動かねば机上の空論なのだが……その現場も、随分とよく動いている。
余程腕の良い職人がいるのか? しかし、プランテッド家は土木の知見はそこまで多くなかったはずだが……」
推論を頭で組み立てながらも、伯爵は訝しげに眉を寄せる。
いくら広い情報網を持つ彼であっても、現場の職人や親方まで把握し切っているわけではない。
だから、ダイクンが率いてカシムが引っ張る現場がどれだけのものかを、彼は掴みきれないでいた。
「想定の倍……いや、3倍の速度で工事を進行させていると見た方がいいだろう。
速さのために杜撰な工事になっている可能性は……ないな、あのプランテッド伯爵がそんな工事を許すわけがない」
呟き、ベイルード伯爵は小さく首を横に振った。
彼が知る限り、プランテッド伯爵であるジョウゼフは、誠実でありながら有能な男。
与えられた仕事は丁寧かつきっちりと、それでいて迅速に行い、手抜きは一切ない。
そんな男が、手抜きでもすれば人々の生死にも関わる土木事業において、杜撰な手抜き工事を許すはずがなかった。
「こうなってくると、現場からそこへと資材を供給する調達に至るまで、今までの何倍もの効率で実施され、稼ぎもそれだけ跳ね上がることになる、か。
そしてそれらをとりまとめている責任者が、プランテッド家の令嬢、ニコール・フォン・プランテッド……やはり彼女か。
彼女こそが、もう一人のプランテッド伯爵というわけだな」
漏れ出す言葉には、納得したような呆れたような、複雑な声音があった。
何しろ若干16、7の小娘が、ベイルード伯爵すら敏腕と認めるジョウゼフに比肩する仕事をしているのだから、驚くやら呆れるやら。
そして同時に、だからパシフィカ侯爵が失脚したのかと納得もする。
「プランテッド家の一人娘故に、当主の代理として様々な権限を与えやすい立場。
それを活用して、ここまでの組織再編をやってのけるとは、大したものだ。
だが、これ以上あまり調子づかれても困るのだよ」
報告書を読み終えたベイルード伯爵は、それらの書類を置いて椅子から立った。
このまま土木事業関連の売り上げが跳ね上がれば、この代理統治レースに大きな影響を与えることになる。
もちろんそれだけでは決まらないだろうが、それに対抗するだけの収入源が必要となるのも間違いない。
それを避けるために、土木事業の中心人物となったニコールを排除する手も無きにしもあらずだが、流石に不正行為が疑われ、徹底的な調査がされるだろう。
いや、それ以前に。
「そもそも、暗殺だ誘拐だは通じる気がせんな……あそこの防諜体勢はかなり強固だ。
防がれた挙げ句に余計なことをしゃべられれば、こちらの致命傷になる」
この一ヶ月ばかりの間、プランテッド家が拠点とする別邸には何度も間者を送ってはいた。
だが、外から情報を集める分にはいいが、ある一線を越えて近づいた途端、消息不明となってしまう。
二度そんなことがあった時点で、ベイルード伯爵は潜入させての情報収集をほぼ諦めた。
迂闊に手を出して間者を失うよりも、オープンになっている情報から実像を類推する方がいいと判断したからだ。
そして、その判断自体は間違ってないと言って良いだろう。
「となれば、想定よりもかなり早いが……あの手を打ってしまうか。
ここで手をこまねいていては、折角のリードを失ってしまう」
ふぅ、と小さく息を吐き出すと、伯爵は窓辺へと向かった。
窓の外に広がるのは、整然と建物が並ぶ街並み。
夜だというのに、魔術による明かりがあちこちに設置されて、足下を危ぶむことなく歩くことが出来る。
そのせいかこの時間でもまだ出歩く人間も多く、そのほとんどはある程度以上に上品な身なりをしていた。
「この美しい街並みを手に入れる。そのために、数年前から商会の連中をそそのかし、あちらこちらで仕込みをしていたのだ……ぽっと出のプランテッド家などに奪われてなるものか」
その美しい街並みを見つめる彼の目は、対照的に剣呑で薄暗いもの。
長年追い求めていた仇敵を前にしたかのような色合いだった。
そう、彼は騒動の起こるもっと前から、パシフィカ侯爵の汚職を掴んでいた。
そしてそれを糾弾することなく……むしろ腐敗を助長させるよう、秘密裏に各商会へと働きかけていた事が、パシフィカ元侯爵失脚騒動の本当の原因だったのである。
もしこれでプランテッド家に旧パシフィカ領を取られてしまえば、そんな工作も水の泡。
そんな無駄足など、到底許容出来るものではない。
「見ているがいい、ジョウゼフ・フォン・プランテッド。そして、ニコール・フォン・プランテッド。
貴様等にこの土地は一欠片たりともやらんぞ」
そう呟きながらベイルード伯爵は、昏い笑みを顔に浮かべ、くっくっくと喉の奥で笑った。




