さながら激流下りのように。
こうしてニコールからのスカウトを受けることにしたサーシャは、とって返すようにラスカルテ領を出発。
プランテッド邸に到着して父の署名が入った書類を渡した後に一泊。
翌日にはかつてパシフィカ家が使っていた別邸の一つに到着していた。
「……ほ、ほんっとにノンストップでここまで来ましたね……」
「お嬢様に巻き込まれるということは、そういうことです。サーシャ様もお覚悟を」
「いや、あたしなりに覚悟はしてたつもりだったんですけどね~……ここまでとは」
慣れているのか表情一つ変えていないベルへと、初対面の時に比べ少しばかり砕けた口調で答えるサーシャ。
何しろラスカルテ領からプランテッド領、そして旧パシフィカ領へと馬車を毎日乗り継いで移動してきたのだから、どうしても疲労はたまってしまうもの。
それなりに上等な馬車だったから、揺れはまだましな方ではあったが……それでも、乙女の身体には少々きつい。
そもそも、普通はここまで日程を詰めて移動したりはしないものなのだ。
普通の貴族であれば、プランテッド領で一日二日は休みを取り、それから改めて旧パシフィカ領へと移動するのがこの辺りで一般的な移動のペース。
それを休み無しで移動しようというのだから、負荷もかかろうというもの。
もっとも、ニコールより下の立場であるサーシャに文句を言うことなど出来はしない。
……という理由だけで大人しく従って来たわけでもないのだが。
「……こういうスピード感覚であれこれ手がけてこられたわけですね、ニコール様は」
「全てが全て、というわけではないですが……時間が重要であると判断された時には、大体こんな感じですね」
ベルの返答へと、納得顔でサーシャは頷いて返す。
実は前世で現代日本を体験していたサーシャにとって、前述したような貴族的移動は時にもどかしいものがあったりもしたのだ。
これが大体三十代後半以上が多い貴族家当主達であれば適度な休憩も必要だろうが、二十前の若くて体力もあるサーシャにとっては無理がきかなくもない。
まあ、あまりやり過ぎると歳を取ってから跳ね返ってくるのもわかっているので、程々に抑えてはいるが。
ともあれ、そんなサーシャにとってこの移動は、そこまで不満のあるものでもなかったのである。
……そこまでニコールが見越しての移動計画だったのかはわからないが。
「ということは、あたしがこのスピードについてこれると判断もされた、っていうことでいいんですかねぇ」
「恐らくは。困ったことに、誰にどこまでだったら無茶をさせられる、ということを見切るのはお嬢様の得意技なのです」
「それはまた、上に立つ者にとっては垂涎の特技ですこと」
「使われる方としても、無茶させられた分の報酬はいただけるので……それもまた困ったものなのですが」
はふ、とベルが小さくため息を吐く。
出来ると信頼され、それに応じた報酬もきちんと渡されるとなれば、次に無茶ぶりをされても応えたくなるというもの。
それどころか、ルーカス達のように、むしろ自分達から進んで無茶をやろうとする人間までいる始末。
自発的な行動だから止められない上に、その分まで報酬を上乗せしてくるのだから、文句の持って行きようがない。むしろ文句が発生しようがない。
結果として、誰もニコールのブレーキになれないのだ。
「その上、ご本人までフットワークが軽いときたら、現場はサボってもいられない、っと」
そう言いながらサーシャが視線を向けた先には、荷馬車から荷物を下ろしているプランテッド領から引き連れてきた使用人や人足達に明るい笑顔で声をかけまくっているニコールがいた。
強行軍と言っていいくらいの移動直後だというのに疲労の色を全く見せず、気さくに労働者階級の男達を労っている姿は、こちらの常識もよく知っているサーシャには不思議な光景にも見える。
もっとも、声を掛けられている男達も硬くならずに応じているあたり、プランテッド領ではこれが当たり前の光景なのかも知れないと思ったりもするのだが。
「フットワークが軽すぎて、ついていけるのが私くらいなものですから、こうしてお守りをする羽目になっているんですけどね……」
どこか憂鬱そうな声を零しながら、ベルも釣られたようにニコールへと少しばかり細めた目を向ける。
ちらりと、その表情を見て。
「……そういうベルさんも、満更じゃないように見えますけど?」
揶揄い混じりにサーシャがそう言えば、しばし沈黙が訪れ。
こほん、と小さく咳払いの音が聞こえた。
「何のことかわかりません。次の予定もありますし、そろそろお嬢様を止めてまいりますね」
「あはは、それもそうですね~」
ふいっと顔を背けたベルがニコールの元へと足早に向かうその背中を少しばかり眺め。
「いやぁ、あんな優しい目で見つめといて、ねぇ?」
肩を竦めながら、小さく……耳ざといベルに聞こえないように小さく呟く。
どうやら、雇用主と使用人達の関係は、色々な意味で良好なようだ。
これならば、きっと快適に働けるに違いない。
この時のサーシャは、そう思っていた。
その1時間後。
「……どういうことですか、これは?」
もろもろの片付けも終わり、日も暮れ始めた刻限。
サーシャは、呆然とした顔で立ち尽くしていた。
その目の前にあるのは、運ばれてきた荷物が詰め込まれた倉庫。
その中に、木箱の上に板を乗せた簡易の机らしきものがいくつか配置されている。
そして、認めたくはないが、その内の一つにはサーシャの筆記用具といった仕事道具が置かれていた。
「すまないねサーシャくん、何分まだ別邸の方が使用できる状態になってなくてねぇ」
「明日の午前中には、最低限の掃除やメンテナンスも完了するのですが……まともに使えるようになるのは、明後日以降になるかと思われます」
ジョウゼフが頭を掻きながら申し訳なさそうに言えば、ベルが淡々と現状を付け加える。
この腕利きメイドをはじめとするプランテッド家の使用人達をもってして、一日では終わらない状況。
これは一体、と主立った面々の顔を見回し。
ばちり、ニコールと目が合った。
「善は急げと言いますが、少々急ぎすぎたようですね!」
晴れやかに、屈託無く笑うニコール。
呆然としているのはサーシャばかりで、エイミーとベルは悟ったような顔で遠い目をしており、現場慣れしている人足達はニコールにつられて『わはは』と暢気に笑っている。
伯爵家当主であるジョウゼフすら動じた様子がないのだから、あるいはこれがプランテッド家の平常運転なのだろうか。
ようやっとそんなことを考えられる程度には頭が動き出したサーシャの目の前に、にゅっとニコールが顔を出す。
そして、満面の笑みを浮かべて。
「ところでサーシャさん、今夜は倉庫のような部屋と本物の倉庫、どちらでお休みになりますか?
ちなみにわたくしは倉庫にしようと思ったのですが、ベルに全力で止められました!」
「そりゃ普通は止めますよ!?」
とんでもないことをさも当然のように言うものだから、思わずサーシャもつっこみを入れざるを得ず。
途端、「そりゃそうだ!」と人足達から笑いが起こる。
何なら、「お嬢さん、ベルさんの代わりにもっと言ってやってくださいよ!」「確かに、一人じゃ大変そうだもんなぁ、頼んます!」などと囃し立てられる始末。
え、え、とサーシャは周囲を見回して。
「ちょっ、まさかあたし、ツッコミ担当として採用されたんですか!?」
「その一面があることも否定できませんねっ!」
「いや否定してくださいよ!?」
思わず声を上げたところに入った合いの手というかボケというかに、反射的にツッコミを入れてしまう。
それを聞いた周囲は、またどっと笑い声をあげるのだった。




