手探りの中で。
こうして若干強引に押し切られたサーシャが連れて来られたのは、領都の中でも中心部に近いところにある少々お高めのレストラン。
夜の営業がメインではあるのだが、昼間はちょっとお洒落なカフェとしての利用も可能な店である。
そのため、普段のニコールならば頻繁には利用しないのだが……子爵家のご令嬢を連れてくる場としては妥当なところでもあるため、こうして案内したというわけだ。
「あ、あの、こんなお店、いいのでしょうか……?
というか、私、特にお約束もなくやってきただけですし、たまたまお会いしただけですし……」
連れて来られたサーシャとしては、思わぬ待遇に恐縮しきりなのだが。
何しろ初対面と言っていい間柄、おまけに手紙だ先触れだといったものもなしでやってきたところにいきなりなのだから、無理もない。
それが普通の反応、というものなのだが。
「ええ、もちろんですよ。むしろ、本来であれば我が家にお招きしたいところを、充分なおもてなしが出来ないからとこうしているわけですから、こちらの方が失礼なくらいでして」
「そんな、それこそとんでもないことです、本当に、とてもよくしていただいて……」
にこやかに、さも当然のように平然としているニコール。
またも恐縮するサーシャだったのだが……同時に、違和感のようなものも感じていた。
社交界にほとんど顔を出さないニコールだというのに、人をもてなし慣れている。
若干強引で有無を言わさない招待、という出だしではあったものの、店への先触れを始め利用することに慣れた態度。
店のオーナーもニコールとは親しいらしく、入店時のやりとりは礼節をわきまえつつも親しみのあるものだった。
「……プランテッド様は、こちらのお店をよく利用なさるのですか?」
テーブルにつく所作、物怖じしていない雰囲気、メニューのページをめくる手付き。
いずれも気負ったところがなく、自然なものだったために発した問いだったのだが。
「いえ、あまり。そうですねぇ、数ヶ月に一度二度、というところでしょうか」
「そ、そうなんですか? 支配人の方とも親しげにお話されていたので、てっきり……」
あっさりと否定されて、サーシャは少々気勢がそがれてしまった。
この店に慣れている、よく利用しているのであれば『金遣いが荒い』という評判にも納得がいったというのに。
それどころか。
「わたくしが普段よく行くのは、もっと砕けた、平民の方もよく利用する食堂などになりますねぇ」
「……え? しょ、食堂、ですか……?」
飛び出してきたのはまさかの発言。
伯爵令嬢が、平民向けの食堂を、よく利用する。
子爵令嬢であるサーシャですら理解しがたい発言に、目をぱちくりと瞬かせるサーシャ。
いや、むしろ子爵令嬢だからこそ、かも知れないが。
改めて、ニコールの姿を見る。
簡素ではあるものの、上等な生地と高水準の技術を惜しげも無く注ぎ込まれているとわかるワンピース風ドレス。
それを自然な態度で着こなしているということは、普段使いとして着慣れているということなのだろう。
髪も肌も充分な手入れがされており、磨き上げたとはこういうことだと言わんばかりに彼女の美少女ぶりを更に押し上げている。
驕り昂ぶった様子もなく、当たり前として高級な衣服を身に纏っている姿は伯爵令嬢としてどこに出してもおかしくないもの。
その彼女が、平民の食堂に。その姿が、想像出来ない。
「……何と言うか、意外、ですね。私の耳に入っていた噂から考えますと」
一瞬、迷って。しかし、これはチャンスと考え直す。
先日の夜会で見かけた時の、小説のニコールと乖離した姿。
どういうことかと確かめるために来てみれば、今目の前にいるニコールは一層別人としか思えない雰囲気と振る舞いを見せている。
であれば。こうして懐に招き入れられた今であれば。
「あら、噂、ですか? 一体どのような噂をお聞きになったんです?」
きょとんとした顔で聞いてくるニコールの表情を見るに、気を悪くした様子はない。
これが普段の素行がよろしくないお嬢様であれば、心当たりがあるせいか機嫌を損ねることもあるのだが。
それがないとなれば、本当に素行がよろしいか、逆に素行の悪さを自覚できないくらいにねじ曲がっているか。
だが、周囲の反応を見るに、後者は恐らくないだろうとサーシャは踏んだ。
「それが、その……着道楽で散財ばかり、ですとか、人使いが荒く無茶ぶりばかりしている、といったものでして……今こうしてプランテッド様を拝見させていただくに、全く以てデマだったな、と」
「あらあらまあまあ。そんな噂になっているのですか?」
そして、やはりニコールは全く気に障った様子も無く、驚いたように目を丸くするのみ。
人によっては激高する可能性もあるような噂話だが、彼女は全く気にした様子がない。
「まったく心当たりのない噂ですねぇ。ねぇ、ベル?」
「……散財ばかり、と人使いが荒い、は一部否定出来ないところがありますが」
「そこはもう少し主に忖度した返しをすべきじゃないかしら?」
素っ気ないメイドの返しにも、怒るどころか笑って返す始末。
これはもう、小説のニコールとは全くの別人、違う性格と考えていいだろう。
……となると気になるのは、もしや彼女もまた転生者なのでは、ということなのだが。
それは、側仕えのメイドがいるこのタイミングで無理に探ることもないとサーシャは一旦棚に上げた。
「見たところ、散財をなさっておられるようにも見えませんけれども。何か、投資とかなさっておられるのです?」
今はラスカルテ領が生き延びる方策を掴むのが最優先。
であれば、プランテッド伯爵家のご令嬢とこうして縁が出来たのだ、そこから端緒を掴むのが効率も良いだろう。
そう考えたサーシャは、ニコールの興味関心事を探る為に話を振ったのだが。
「いえいえ、食べ歩きと言いますか、何と言いますか……人材に対するある種の投資ではあるのですが」
「はい? 食べ歩きが、投資?」
予想外の言葉に、思わず聞き返してしまう。
しかし、そこにふと、先程の食堂という言葉がつながり、前世の漫画などで見たシチュエーションがイメージされた。
「……もしかして、平民向けの食堂に行かれて、『ここは私のおごりだ~』とかやってらっしゃったり……?」
「あらあらまあまあ! 素晴らしいですラスカルテ様、たったこれだけのやり取りで、正解されるだなんて!」
ぽつりと呟くようにサーシャが言えば、ベルが少しばかり驚いたような顔になり、ニコールは逆に喜色満面の笑顔を見せる。
そして始まるニコールの人材自慢……数ヶ月前にカシム達と出会ったことはもちろん、それ以降にもあった出会いと彼ら彼女らの素晴らしさ、実績が次から次へとあふれ出てくる。
領民自慢の洪水に押し流されそうになりながら、サーシャは思う。
やはり、別人だ、と。
小説に出てきたニコールは、こうも領民に心を砕くことなどなく、まして人材自慢、それも平民の職人達を誇るなど僅かばかりもなかったというのに、これなのだから。
そして同時に、領主の娘としての頭も働き始める。
ニコールが興味関心を持っているのは、人材。
これがラスカルテ領で産出されない宝石だとかだったらどうしようもないが、人材であればあるいはというところ。
考えてみれば、先日の土木工事で名を上げ、今は旧パシフィカ侯爵領の代理統治に取りかかろうとしているのだ、人はいくら居ても足りないだろう。
特に職人や人足といったところ……であれば、ラスカルテ領からも融通はできるはず。
「本当にプランテッド様は、彼らのことをよくお考えなのですね。しかし人材であれば私どもも……」
手始めに、ラスカルテ領の石工の話でも振ってみよう。
そんな算段をしながら、どうにも令嬢のお茶会らしからぬ話題にサーシャは踏み込んでいくのだった。




