『彼女』の正体。
「は? なんでそう言い切れる……いやまてサーシャ、それは例の『お告げ』か?」
「いやうん、今来たんじゃなくて、前に「いずれプランテッド家は侯爵に上がる」みたいなことを『お告げ』で言われた覚えがあって」
「なるほど、そうだったのか……確かにこの期を逃せば、いかなプランテッド様とて侯爵に上がる機会はそうはない……となると、まさにこのタイミングで、か」
蒼白だった子爵の顔が、訝しげに、そして納得した顔へとめまぐるしく変わる。
だが、突拍子もないはずの言い分をあっさりと受け入れた子爵へと、サーシャは苦笑しながら手を振って見せる。
「いやいや、何度も言ってるけど、確実に当たるわけじゃないからね?
それに今回のは……というか今回のも、時期は曖昧だし」
「確かに外れることもあったが、お前の『お告げ』は何度も我が領を救ってくれたからな、信じないわけにはいかんよ。
それに今回は……どっちにどう転ぶかわからんからなぁ。であればお前に託すのも悪くない」
「重っ! それはかなり重いんですけど!?」
真面目な顔でしみじみと言われ、今度はサーシャが慌てる番。
何しろ、ことはこの子爵領の今後を左右するのだ、自分達だけでなく領民達にも影響が出てしまう。
これが悪天候への備えなどであれば、『お告げ』が外れたら外れたで、備えが無駄になるわけでなし、来なくて良かったねで話が済むところ。
だが、将来の展望に関わる一種の博打となれば、サーシャが尻込みするのも仕方の無いところだ。
「いや、正直なところな、距離的にもプランテッド領の方が近く、付き合いもなしではないのだから、というのもあるんだよ。
これがベイルード様と言われたら、流石にもう少し悩むところだったんだが」
「あ~……うちとベイルード様、領地もそんな近くないし、お付き合いもないもんねぇ」
そう応じながら、サーシャは頭の中で地図を描く。
広大な旧パシフィカ領の東の端と隣接する形でプランテッド領、その近くにラスカルテ領。
対してベイルード領は、北西部に隣接するため、随分と距離がある。
この地理関係では、取引は当然パシフィカ領内で行い、ベイルード領と直接取引などはすることがなかった。
それが一気に変わる可能性がある、となっては、ラスカルテ子爵が大慌てだったのも致し方のないところではあるのだろう。
「ただまあ、憶測とお前の『お告げ』だけを根拠にするわけにもいかんから、せめてプランテッド領の様子や発展具合を調べたいところだなぁ。
もちろん可能ならば、今後東部に対してどんな施策を取るのか、なんてところを探れれば一番いいんだが」
そこまで言って、はぁ、と子爵が溜息を吐く。
プランテッド領の発展具合や景気などは、調べようと思えばすぐだろう。
だがしかし、今後の施策方針などまで踏み込んで調べられるようなツテはない。
どこまで踏み込むべきか、どこまでプランテッド家に肩入れすべきか、どんな商取引をすべきか。
領主として子爵が頭を悩ませていると、何かを思い出した顔でサーシャが顔を向けてきた。
「あ、そうそう、それで思い出した。ここに来た用件なんだけど、実は一度プランテッド領に言って色々見て回りたいなって思って。丁度いいから、私が行ってこようか?」
「何だって? ……いや、この状況でワシは領地を離れられんし、観察眼だとか交渉能力を考えたら、確かにお前に行ってもらうのが一番確実ではあるんだが……」
懸念事項としては、彼女が成人したばかりの年若い令嬢である、ということ。
エイミーが一人で無事にプランテッド領にたどり着けたように、街道の治安は悪くない。
むしろこの時代としてはかなり良いと言っていいだろう。
それでも男親としては、軽々しく「いってらっしゃい」とは言いがたいところもある。
「ああ、道中のこと? 心配しなくたって、私の護身術の腕は知ってるでしょ?」
「知ってはいるが、それでもやはり心配は心配なんだよ。不甲斐ないことに、お前に専属護衛の一人も付けられんからなおのことだ」
ラスカルテ子爵家は、困窮しているというわけではないが、裕福でもない。
そこへ領内の治安維持を重視して私兵をかなり雇っているため、当主の護衛くらいしかいないのが現状だ。
その分、子爵家の人間は自分で自分の身を守れるようにと各々鍛えていたりはするのだが。
「そこはほら、ちゃんと運賃の高い乗り合い馬車使うし、ね?」
「はぁ……今回ばかりは仕方ないか。情報も大事だが、何よりも無事に帰って来ることを最優先にするんだぞ?」
「はぁい、わかりました。ありがと、父さん」
考えた末に、子爵が溜息を吐きながら頷いてみせると、サーシャは喜色を浮かべながら父親にハグをする。
そんな彼女の様子に「やれやれ」と首を振ったラスカルテ子爵だったが……その口元は、微かに緩んでいたのだった。
こうしてプランテッド領行きの許しを得たサーシャは、早速準備のためにと自室へ戻った。
パタンとドアを閉じて、ついでに鍵を締めて。それから、大きく息を吐き出す。
「ふぅ~……これで、やっと確かめられる。っていうか、だからプランテッド家が侯爵位じゃなくて伯爵位だったのね」
もしも聞いた者がいれば意味不明なことを呟きながら、サーシャは物書きをする机へと向かった。
椅子に座り、引き出しを開けて、その奥へと手を突っ込んで……取り出したのは、一冊のかなり使い込まれたノート。
そこには、彼女にしか読めない文字でびっしりと文章が書き込まれていた。
「え~っと、小説に登場した時点でニコ様が18歳……確かこっちのニコ様が今度17歳だから、この勝負が終わった時には18歳かその前くらい、と。
だったら、開始時にプランテッド侯爵令嬢として出てくるのは、ギリギリ矛盾しないのか。……そういえば成り上がり的なこと言われてるシーンがあったような?」
椅子に座ってノートをペラペラとめくりながら、サーシャは独り言を呟きながら確認していく。
書かれているのは、ニコールやその他の高位貴族、この国に関することなどなど。
本来サーシャが知るはずもないことが、彼女にしかわからない言葉で書き込まれている。
それを幾度か見返した後、ふぅ、と小さく吐息を零すサーシャ。
「でも、やっぱりどう考えても、ここは矛盾してんのよね……ニコ様の性格。
あれやこれやと無茶ぶりばかりで人を顎でこき使い、かつ金遣いのあらい我が儘お嬢様。
こないだの夜会でお見かけした姿とは、ぜんっぜん違うんだもの」
マシューあたりに聞かせれば思わず頷きかねない人物評だが、サーシャの目から見れば明らかにずれている。
実はファニトライブの王太子が来ていたあの晩餐会に、サーシャも招待はされていた。
ただ、身の程をわきまえている彼女は王太子に近づくこともなく、ホールの隅で友人達とおしゃべりをする程度に留めていたのだが。
今にして思えばニコールに接近して調べるチャンスだったのだが、我が儘お嬢様という先入観があったため、触らぬ神にたたり無し、と近づかないようにしていた。
結果、王太子とのダンスやその後の振る舞いを見て違和感を覚えるも、確かめる暇もなく晩餐会は終わり、今に至るわけである。
「やっぱり、ニコ様も転生者なのかな? だけど、プランテッド領が現代知識で発展してるっていう話も聞かないし……じゃあこのずれは一体?
いや、単に小説の世界と似た異世界なんだって言われたらそうなのかもだけど、あまりにも似すぎてる……だとすると、プランテッド様がほんとに勝つかもわかんないかなぁ」
想像したことの怖さに、思わずサーシャはぶるりと身を震わせる。
そう、彼女はこの世界の様々なことを知っていた。小説の中で。
かつてこことは違う世界の日本という国で暮らしていたころに読んだ、いわゆる悪役令嬢ものと言われる小説の中にクリィヌック王国を舞台としたものがあり、そこにニコール・フォン・プランテッドは、それこそ悪役令嬢として出てきている。
その時の設定、出来事を思い出しては書き出し、都度必要そうなタイミングで父に告げていたのが『お告げ』の正体だ。
それにより幾度かの危機を乗り越えたラスカルテ家は、ギリギリながらもなんとか今こうして存続している。
ということは、サーシャの『お告げ』がもしなかったら。
そう考えると、父であるラスカルテ子爵があそこまで信頼しているのも無理はないところだろう。
「まあ、そもそもラスカルテなんて子爵家出てこなかったわけだし、うちがどうなっていくのかはわかんないんだけど。
……名も無きモブ一族だったのか、没落しちゃってたのか……それも確かめようがないし」
そう言いながら、そっと自分の頬を指で撫でる。
整ってはいるけれども、小説の登場人物達と比べたら明らかに華がないモブ顔。
ヒロインポジにはなれないだろう上にも下にも中途半端な子爵家という家格、社交界で話題になることもない、領地を切り盛りするだけで一杯一杯の堅実さだけが取り柄な両親。
どう考えてもモブである。
と、彼女は割と幼い段階で割り切って考えていた。
貴族家としては一杯一杯でも平民よりはずっとましな生活と、現代知識をすぐ応用出来るような資本も技術も無いけれど、何とか持ち直しつつある領地があるのだ、ヒロインになれないだとか文句を言ってはバチが当たる。
そこに、降って湧いたように小説の登場人物であるニコールに接近する好機が巡ってきた。
「……我ながら、ちょっと浮き足だっちゃってるかもね」
プランテッド領へと足を運んでみたいと思ったのは、晩餐会の夜。
あまりに想像と違い、これ以上なく可憐な姿のニコールを見て、知りたくなってしまったのだ。
そして同時に、近づけるかも知れないと思ってしまったのだ。
遠い、手の届かない世界だと思っていた存在達に。
「まあ、そのためにはまず、お仕事をきっちりやらないといけないんだけどっ!
とりあえずどうやってニコ様にお会いするか、だよなぁ……」
ぶつくさと言いながらサーシャは、そのノートをまた引き出しの奥へとしまい込み、別の一冊を取り出す。
そして今度は、クリィヌック王国の言葉で、プランテッド領に行った際チェックしなければいけないことを纏めだしたのだった。




