穏やかなアフターファイブ
肩の荷が下りたかのような軽い心持ちで伯爵邸を出たエイミーは、のんびりした足取りで様々な店が建ち並ぶ街の中心街へと向かった。
少々日が傾いてはいるものの、まだ夕方とも言いがたい時間のためか、表を歩く人はまだそう多くない。
これがもう少しすれば、仕事を終えて家路につく者、あるいは飲みへと繰り出すものなどでごった返すのだろう。
そういった普通の人々よりも早く仕事から上がれてしまった。
そのことが、エイミーの心をふわりと浮かれさせる。きっと以前ならば、罪悪感だとかを感じていただろうに。
「それもこれも、ニコール様のおかげ、だなぁ」
思わず、ぽつりとそう呟いてしまう。
あの日ニコールに拾われてからの数ヶ月で、今までの不運を一気に取り返すかのような待遇を受けてきた。
この分だともう少ししたら幸福の黒字化まで達成出来そうな勢い。
いや、幸福というだけならば、もう達成出来ているのかも知れない。
ニコールの顔を思い浮かべるだけで、心がほっこりと暖かくなる。
ついでに懐も温かいのだから、これを幸福と言わずに何と言おう。
「さて、あまり浸っていてもなんだし、まずは手紙を出して、それから……」
指折り確認しながら、エイミーはまず郵便屋へと入った。
実家であるモンティエン男爵家へと近況を知らせる手紙に、それなりの額が書かれた小切手を仕送りとして同封してから専用の道具で封をする。
これは魔法による封蝋のようなもので、かつ、偽造も細工もしにくくなっているもの。
この世界では魔法を使えるものは極限られているのだが、これは一般人でも使えるように作られた魔道具であり、ある程度大きな規模の街であれば大体置いている程度には普及している。
小切手にも同様の処理がされており、モンティエン男爵家の者でなければ換金できない。
「はい、確かにお預かりしました。いつもご利用頂きありがとうございます」
「いえいえ、そんなそんな……それでは、よろしくお願いします」
職員が頭を下げれば、恐縮したようにエイミーもまた頭を下げて返す。
あの初任給の日から、エイミーは貯金もしつつそれなりの金額を毎月実家へと送っていたため、職員にも顔を覚えられていた。
ただそれだけのことなのだが、何となく、この街に馴染んできたような気がして、少しばかり嬉しい。
もう少しだけ軽くなった足取りで、エイミーは街を歩く。
さて、どこに行こうか。何を買おうか。
冬の始まりを感じて、コートは新調して今着ている。
なんだかんだプランテッド邸にそのまま居候しているため、布団の買い換えなどは必要ない。
そうなると、冬服の買い換え、だろうか。
そんなことを考えながら歩いていたエイミーは、ふと足を止めた。
その視線の先にあるのは、一際存在感のある一軒の仕立て屋。
決して華美ではないのに何故か目を引く佇まい。
この建物を建てたものか、それとも店主か……いずれかが余程にセンスがいいのだろう。
これは一度覗いて見るべきか、と思いながら看板を見れば。
「あ、ここがニコール様がおっしゃってた仕立て屋さん、かぁ」
そこは、休憩中に話に出たルーカスの仕立て屋。
ニコールやその母イザベルのドレス、父であるジョウゼフの夜会服なども手がけるその腕前は、おそらくプランテッド領一。
夏には公爵が普段使い用の服を仕立てたと聞けば、その腕前は本当に相当なものなのだろう。
……果たして、どんなものなのだろうか。
しかし、自分のような者が入っていいものなのだろうか。
そう逡巡していたエイミーの前で、その扉が突然開いた。
「おや、これは失礼いたしました、驚かせてしまいましたでしょうか」
中から出てきたのは、物腰柔らかな老紳士。
驚きのあまり一瞬言葉を失ったエイミーは、ブンブンと首を横に振った。
「い、いえ、とんでもないです。私が見蕩れながら考え事をしていただけなので……」
「おやおや、見蕩れるも何も、ここにはきらびやかなドレスなども飾ってはおりませんでしょう?」
不思議そうにルーカスは首を捻る。
彼の店はショウウィンドウなどはなく、当然外から見えるように衣服がディスプレイされたりもしていない。
エイミーのような若い女性の目を引くようなものはないはずだが、と、顔には出さずルーカスが訝しげに思っていると。
「あ、いえ、お店の外見が素敵だな、と思って。でも、あまりまじまじと見るものではなかったですよね」
エイミーが照れ隠しのように慌てていえば、ルーカスは少しばかり驚いたように眉を動かした。
もちろん今のこの店の外装は、彼がこだわりを持って発注したもの。
当然彼としては満足しているが、若い女性には物足りないのではないかとも思っていた。
だというのに、目の前の女性、エイミーはこれに見蕩れたと言う。
「そう言っていただけるのは光栄ですが、仕立て屋としては少々複雑ですね。
もしよろしければ、お入りになって当店自慢の衣装をご覧になられませんか?」
彼女であればよい顧客になるかも知れない。
そんな直感とともに、ルーカスはエイミーを店内へと誘う。
「え、あ、でも、いいんですか? その、私……」
思わずすぐ頷きそうになって、改めて自分を見下ろす。
真新しいコートはまだそれなりに見られるが、その下に着ているものや足下で主張が強いブーツはそれなりに使い込んでいるもの。
とても、伯爵家御用達の店に入っていいような格好には思えないのだが。
だが。
店主であるルーカスは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「もちろんですとも。むしろあなたのような方にこそ見ていただきたいのです」
「え、あ、はぁ……そう、なんですか……?」
ルーカスの言葉に、何がどうしてそんなことを言われているのかわからないエイミーは、なんとも曖昧な笑みを返す。
彼女からすれば、この店は伯爵家御用達の敷居の高い店。
まさか自分の感覚がその店主によって認められた、など思いも寄らないところだ。
「ええ、そうなのです。それではお嬢様、どうぞこちらへ」
店主であるルーカス自ら扉を開き、手を差し伸べる。
本来であればエスコートの一つもしたいところだが、見ず知らずの若い女性相手に、それは少々どころでなく失礼だろうと自重する。
招かれたエイミーは、一瞬だけ迷って。
それから一歩を踏み出した。
この先には、ニコールが身に纏っている世界がある。
そう考えれば、引き返すことなど出来なかった。




