第75話 不意
「チェンジアップを振らされた……スライダー以外も、凄かったわよ」
「真凡ちゃんは、スライダーを狙い過ぎだよ。初球の空振りで、向こうはスライダー狙いに気付いたと思う。考えすぎないように、とは言ったけど、ベンチからの指示が無くても狙い球に気付かれたら変える、ぐらいのことはした方が良いよ」
1回裏、1対0で負けている状態での攻撃は真凡ちゃんのピッチャーゴロから始まった。ネクストバッターズサークルへ向かう途中、真凡ちゃんに一言だけ言って友理さんを見据える。
詩野ちゃんは、私や本城さんの影に隠れているけど長打もある。そんな詩野ちゃんに対して友理さんは、高速スライダーを使わずに追い詰めた。そして私の方をちらっと見て、あの投げ方に入る。
通常のサイドスローの時と同じように、しかし途中から腕の制御を止めたのかごとく遅れて出て来る腕が、しなってからボールが放たれる。例の高速スライダーに、詩野ちゃんは空振りした。その時の詩野ちゃんの眼は、信じられないものを見たかのような眼だった。
「……一球で、呑まれたら駄目だよ」
「……分かってる」
何とか士気を上げたいところだけど、あの球を私が打てるかは分からない。高速スライダーを2球続けて投げてくれれば、打てるとは思いたいけど。
ツーアウトランナー無しで打席に入ると、敬遠するような雰囲気にはならなかったので勝負してくれるみたいだ。友理さんは、不敵に笑っている。悪い笑顔が似合う女性って、個人的には好きだな。
友理さんは目が細くて、白目が大きいからか明るいという感じはしない。それでも整っている顔立ちだから、雑誌ではよく取り上げられている。
初球は高速スライダーが来たので当てに行くと、バットの先端に当たってファールになった。振り遅れたみたいで、変化も追い切れてないな。やっぱり特訓の時とは球筋も違うし、若干速い。
次も高速スライダーが来ると思って2球目、外角の球を私は手が出せなかった。2球目は1球目と同じ投げ方で、ストレートが投げられたからだ。バックスクリーンには、125キロと表示されている。
……どう見ても、140キロ台のストレートだった。ノビがありすぎるのか、バッター目線で確実に浮き上がって見えた。このストレートは、ヤバい。
3球目、またしなる投げ方でボールがストライクゾーンに投げられたので、考える間も無く当てに行く。しかし、その球はストンと落ちた。私のバットは、ツーストライクから空を切る。どう言い繕おうと、今回は実力で負けた三振だ。
湘東学園ベンチでは、あり得ないものを見たかのような雰囲気になっていた。
「カノンが三振ちゅうのは、珍しいんか?」
「中学時代、ユーリさんに三振した以外、三振はありません。高校では初めての三振ですね」
御影監督の疑問に、春谷が答える。三振なんて想像が出来なかった奏音が、三球三振をした。あらためて、今回の相手投手が化け物級の投手であることをベンチにいる全員が把握する。
「最後の球、落ちたわよね?」
「名付けるなら、高速縦スライダーでしょうか。ベンチから、しかも一球しか見れていないですが、随分と落差がありました」
伊藤が呟くと、それに矢城コーチが応じる。2球目に高速スライダーの投げ方で投げて無かったストレートを投げた時も騒めいたが、3球目の高速縦スライダーはベンチ全員の予想の範疇を超えていた。
「いやあ、あの球はヤバいね。次も、打てるとは言い切れないや」
「カノン、最後の球はどんなだった?」
「たぶん、縦スラの速い版。これからは実質、4種類のスライダーを頭に入れておかないと駄目だね」
奏音がバットを肩に乗せながら帰って来るや否や、すぐに質問をする伊藤。それに対して、奏音も高速縦スライダーだと答える。
1回の攻防が終わり、1対0で試合は2回表、統光学園の攻撃に入る。守備に就くちょっとした時間で、伊藤は奏音に話しかけた。
「高速縦スライダー、ね。確かにヤバそうじゃない」
「違う。縦スラはそこまでじゃない。まだ取得して日が浅いのか、変化し始めるタイミングが早いから、意識にあれば手を出さないことも可能だよ。それより、手が出なかったのは2球目のストレート。タイミングが取れなくて、本当に振るタイミングを逃したから、体感145キロかな」
奏音が友理の投球で、手が出なかったのは2球目だ。サイドスローの性質上、元からストレートは浮き上がって見えやすい球筋になるが、友理のストレートは度を超えていた。簡単には点が取れないどころか、ノーヒットもあり得ると考えた奏音は、これ以上の失点を抑えるためにも守備に集中する。
そんな時に、統光学園の先頭バッターは三遊間へ強烈な打球を打った。サードを守る奏音は横っ飛びで好捕し、一塁の本城へ向けて全力で送球する。
結果はアウトとなり、先頭バッターがアウトになったことで気が楽になった西野は、下位打線に1本のヒットを許すも、この回は無失点で抑える。
試合は2回裏の湘東学園の攻撃に移る。4番に据えられた本城からの打順であり、スライダー打ちの特訓でよく打てていた5番の智賀、6番の春谷に続く打順だ。そして御影監督は、本城に対してサインを出した。




