第73話 不正球
3回戦の統光学園戦に向けて、練習を重ねる私達は、友理さんの高速スライダーに焦点を合わせて特訓をすることにした。
「これで、15球の改造が終わりました!」
「……少し、疲れました」
「ありがとうなぁ。よっしゃ、カノンは全員集めい」
「わかりました」
肘をしならせながら投げられる高速スライダーを打つ練習は、まずはそのスライダーを再現するところから始めないといけない。そのために練習用の球を15球ほど、改造した。
「おー、持つと違和感があるね。これを持って、私が投げるの?」
「いや、優紀ちゃんが投げると遅いから練習にはならないでしょ」
「……友理さんは優紀ちゃんより、少なくとも10キロ以上速いでしょ」
手に持つと、縫い目に沿って削れている部分がいくつかある。水澤さんと相馬さんが御影監督の指示通りにボールを削ったそうだけど、これで高速スライダーが再現できるなら対策が出来ることになる。
優紀ちゃんが投げようとしているけど、エースに任せるわけにはいかないので私が投げるのかな?詩野ちゃんが辛辣な言葉を投げかけたせいで優紀ちゃんは「私が投げる!」と言っているけど、速度が全然違うと練習にはならない。
「これを投げると、誰でも曲げられるの?」
「いや、ちゃんと変化球で投げられんと難しいで。だから、矢城が投げる」
「矢城コーチが!?あ、本当に準備してる……」
真凡ちゃんが御影監督に尋ねると、御影監督はマウンドを指差して答えた。マウンドでは矢城コーチが、投球練習をしている。しかも、友理さんのサイドスローまで再現していた。元々、アンダースローの投手でもあったみたいだし、サイドでも投げられるとのこと。
矢城コーチの投げる速度は友理さんより少し遅いぐらいだけど、変化量はほぼ一緒だ。これなら、十分練習になる。早速、打順通りに打席へ入って打撃練習だ。
打席に他の人が入っている間は、矢城コーチの球を見ながら素振りする。本当にえげつない変化だけど、実際はもっとキレがあって速度も速い。あくまで、この練習は変化に慣れることだけかな。
「打席に立つと、本当にあり得ない変化をしているわよ、これ」
「真凡ちゃんはスライダーが向かって来る分、当てるのは楽だと思うよ。根っこに当たっても、ヒットになるようにするしかないね」
鍵を握るのは左打席に立てる、真凡ちゃんと詩野ちゃん、それに久美ちゃんか。久美ちゃんを9番にして、私の前に左打者を3人並べる予定だから、この3人が出塁出来るかにかかっている。
まあ、そもそも頼りにされている私自身が高速スライダーを打てるかどうか、怪しいのだけど。詩野ちゃんがキャッチャーをしているので、真凡ちゃんの次は私が打席に入る。実際に打席に立つと、凄まじい変化量だ。
……しれっとこの不正球スライダーを数球でキャッチング出来るようになる辺り、詩野ちゃんのキャッチング能力は無限大だね。
打者一巡したら今度は希望順で納得できるまで打ち続けることにしたけど、そこで智賀ちゃんが、高速スライダーにバットを当て始めた。
「あ、当たります!いつもより腕を伸ばすだけで、打てそうです!」
「智賀ちゃん!ホームラン性の打球が出るまで打ち続けて!その感覚、絶対に忘れちゃ駄目だよ」
元々、横へ動く変化球には対応し始めてた智賀ちゃんが、腕を伸ばすことでヒット性の打球を打ち始めた。これはすぐに対応できるかも、と思ったけど……。
「ごめんなさい、実松さん。これ以上は、私が限界なの」
「え、あ、私の方こそ申し訳ありません」
矢城コーチの方が限界だった。なるべく緩めに投げて投球数を多くしようとしていたみたいだけど、50球が限界とのこと。
……ノックが上手くて、野球への理解も多い矢城コーチは、御影監督の高校でキャプテンになって、甲子園にも出場したと聞いた。そのことをもっと詳しく知りたいと思って聞いた私は、聞いたことを少し後悔した。
2年生で甲子園に出場した矢城コーチは、甲子園の準々決勝で敗退してベスト8という結果だった。御影監督も来年の矢城コーチの代に合わせたチーム作りをしていて、本気で全国制覇をしようとしていたらしい。
そして来年こそは全国制覇と誓った年の秋、矢城コーチは練習試合でアキレス腱断裂という大怪我をした。それでも諦めずにリハビリをして挑もうとした最後の夏の大会、無理をした矢城コーチは大会直前の練習試合で怪我が再発。
結局その年は矢城コーチ抜きで戦うことになり、夏は県大会の決勝戦で敗退した。間違いなく、矢城コーチがいれば全国制覇も手が届くようなチームだったのだと思う。しかしこの年を境にして御影監督の指揮する高校は人気と知名度が低下し続け、甲子園に戻ることは無かった。
……野球を諦め、それでも野球部出身ということで野球部の顧問を押し付けられた矢城先生は、コーチなんてしなくても良い立場だ。それでも最大限、力を貸してくれていることには、感謝しかない。
明日からの4日間で、どれだけ高速スライダーの対策が出来るかは分からない。せめて普通の大きなスライダーに対応出来る人が私以外にあと2人はいないと、点を取れるのかも怪しい。
3回戦は1点でも取られた方が苦しくなる。と言っても、優紀ちゃんや久美ちゃんが投げる以上は1、2点を失う覚悟はしないといけない。何人かあの高速スライダーを打てるイメージが持てないと、どうしようもないかな。




