第65話 新監督
秋の地区予選3試合目の前日に、2学期から来ると言っていた新監督が顔見せに来た。見た感じは矢城監督のように若くは無いし、むしろお婆さんに近い歳だと思う。白髪だから、老けて見えるのかな。
「2学期から監督として、あなた達を率いることになった御影 照代です」
現監督兼顧問の矢城監督は顧問兼コーチという形で再就任するようで、引き続き引率する立場にはなるけど、これで一先ず体制は固まったのかな?
御影新監督は前の高校で、今年も夏の大会までは面倒を見ていたそうだ。前の高校では1度だけだけど甲子園にも出ているので、監督としての実績もある。
その年は、矢城監督がキャプテンとしてチームを引っ張っていたそうだ。やっぱり、矢城監督は高校時代にキャプテンだったのか。これからは、矢城コーチと呼ぶべきかな。
「矢城監督って、今まで監督とコーチと顧問を兼任していたの?」
「高校野球の試合では顧問の先生が必要だけど、監督とコーチは必要ないんだよ。だから、弱小校とかだと顧問の先生が1人で色々と兼任するの」
真凡ちゃんが疑問を持ったので、答えておく。部活動である以上、顧問の先生は必要でベンチにも入れないといけないけど、監督が別枠で必ず必要というわけではない。基本的に矢城監督と雰囲気は似ているけど、矢城監督よりも厳格そうな雰囲気だ。
「で、そこのあんたが奏音か。今の時代の流れに逆らってアホみたいな量の練習をさせているのは、あんたが原因か」
そして二言目を聞いた瞬間に、厳格な雰囲気だと思ったことを撤回したくなった。この人、睨んで来るけど顔が面白いせいで全然怖くない。
「そうですが、今の時代でもアホみたいに練習している強豪校は山ほどあります。練習量が正義とは言いませんが、成長しようとするならある程度の練習量は必須です」
「もしもその練習を止めろとうちが言ったら、どうするんや?」
「バッティングセンターにでも行って、閉店時間まで打ち続けますよ。ランメニューは、各自でも出来ますし」
じっと御影監督が見つめて来るので、見つめ返す。その後は全員を見渡した後に「県大会からはよろしゅうな」とだけ言って、今日は帰っていった。いや、大事な試合の前日なのに指導とかしないのかい。
まあ、地区予選までは矢城監督だから今日は何も言わなかったのかな。面白そうな監督だったけど、久しぶりに関西弁を聞いたのでちょっと嬉しくもなった。少し、似非っぽい関西弁というか、変な関西弁だったけど。
「関西の学校の監督だったのかしら?」
「似非っぽいから、関東出身で長く関西に居た感じかな。……ということは、矢城監督って関西出身?」
「そうですよ。もう、関西弁を封印して長いですけどね」
矢城監督に、関西の学校出身なのか聞いてみると肯定された。たぶん、近畿圏内の高校かな。何となく、そんな気もする。
試合日と試合日の間だけど、昨日も一昨日も5回コールド勝ちだったので身体は疲れていない。軽く3試合目の守備位置で矢城監督のノックを受けた後は、川沢高校のエースを仮想敵にしたバッティング練習も行なう。
MAXが120キロなら簡単に打てるのは、湘東学園の打撃力が向上しているからだ。今のところ調子を落としている人もいないし、士気も高い。明日の試合相手は、今までの2校よりも強そうだし、楽しみだな。
「……あの2人が入学当初は外野フライで万歳してたって、もう少しマシな嘘を付けや」
「事実ですよ。あの2人の成長力には目を見張るものがありますが、何よりも大きいのは実松さんの指導です。あの的確なアドバイスは、長年野球を続けて来たプロのベテランプレイヤーのそれと何ら変わらないですよ」
打撃練習に入り、グラウンドの外に出た矢城は御影と合流する。御影が注目したのは、湘東学園の凸凹コンビである伊藤と江渕だ。この2人は入学当初、初心者だったということが御影は信じられないほど、守備でも打撃でも活躍をしていた。
「1試合目も2試合目も観戦させてもろたけど、弱小校では相手にならん打撃陣は十分に甲子園を目指せる範疇にあるな」
「彼女達は、本気で全国制覇を狙っているんですよ?甲子園出場は、通過点でしょう」
そして打線の要である奏音は、今日も打撃練習で1番遠くのネットの1番頑丈な部分に集中して打ち込む。それを見て、最初はライト方向、センター方向、レフト方向の3方向に打ち分けているのかと思った御影監督は、やがて恐ろしいことに気付く。
「……レフト線、レフト方向、左中間、センター方向、右中間、ライト方向、ライト線の7方向に打ち分けとるのか。あり得んじゃろ、あれ」
「もう随分と前から、実松さんは7方向に打ち分けるバッティングを続けてます。しかも常に、ネット最上部に当てていますね」
「そんなこと、プロでも出来んぞ。
チーム状況は分かったが……矢城は、コーチで良いのか?足がお釈迦になってから随分と経つが、あれだけノックをしても大丈夫ならプロに行けるんじゃないか?」
「……私は指導者の道も良いかなと、思えて来たのでプロは諦めますよ。というより、彼女達の成長力を見て自分の中でも踏ん切りがつきました」
御影の元教え子との会話は、練習が終わる20時まで続いた。




