第335話 最後の勝負
4回裏、1点を追いかける湘東学園は私からの打順。1点リードしていて、私と勝負するべき場面ではないと思うけど、ここで大阪桐正のバッテリーは勝負を選択する。根岸さんって何故か非情なイメージが強いから、今日は全打席敬遠かなって思っていたけど、ここで勝負するってことは1回はやっておきたいんだね。
初球、138キロのストレートがワンバウンドしてボール。よく見なくても、力が入っていることは分かるね。そして根岸さんをよく見ると、視線を合わせると、根岸さんの考えていることが伝わってくるような感覚を覚える。
『周回遅れ』『敵わない存在』『敬遠以外はチームの足を引っ張る』『それでも、こいつを抑えて勝ちたい』
2球目、根岸さんが選択したのはスライダーだった。私がいなければ競合確実とまで言われるドラ一候補の、一級品のスライダー。それでも、私を抑えるには少し物足りない。
金属バットの真芯で捉えた打球は、綺麗な放物線を描いてレフトスタンドの上段に入る。ソロホームランで同点に追い付いて、これで2対2。試合はまた、振り出しに戻る。
そしてこの回、続く智賀ちゃんがツーベースヒットを打ったために逆転のチャンスが生まれた。光月ちゃんは四球を選び、ノーアウトランナー1塁2塁。しかし高谷さんがバントに失敗したため、ワンナウトランナー1塁2塁で打順は8番の詩野ちゃんに。
……ぶっちゃけ詩野ちゃんは、この3年間の練習量が3年生の中ではぶっちぎりに少なかった。適度に練習はサボるし、そのためか打撃成績は良くない。だから打順はいつも8番なわけだしね。
それでも、詩野ちゃんは打つ時は打つ。それは詩野ちゃんのバッティングスタイルが、打つというよりもバットを差し出す感じだからかな。
金属バットにも関わらず、コンと軽い音が鳴った後、打球は一二塁間を抜ける。智賀ちゃんはホームに還り、湘東学園は3点目を獲得。これで、2対3と勝ち越した。このまま行けば、詩野ちゃんのタイムリーヒットが決勝点になりそうだね。
5回からは私がマウンドに登り、大阪桐正は1番からの好打順。当然、相手は速い球に絞って振って来るけど、バットにボールが当たらない。しかし6回表、先頭バッターの根岸さんが私の縦のスライダーに狙い球を絞り、きっちりとライト前へのヒットにする。この回は四球も出し、ピンチを迎えたけど、後続が続かなかったお蔭で無失点。……根岸さんは、もう一回打席を回したくない相手だね。
そして2対3のまま、迎えた最終回である7回表。大阪桐正の攻撃は、9番からの打順。当然代打の場面で、出て来たバッターはひ弱そうな少女。しかし先頭バッターの打球は、私の速球に押された結果、セカンドとライトの中間地点という嫌な所に落ち、ヒットになる。5回からの登板、3イニング目ということで球威は落ちてきているかもしれないけど、速球はまだちゃんと145キロが出ている。ということは、速球にかなり強かったんだろうね。
1番バッターは追い込まれてから、サードへのゴロを打ち、サードゴロに倒れるけど、その間に1塁ランナーは2塁へ。同点のランナーが、スコアリングポジションへ進んだ。やっぱり大阪桐正が相手だと、簡単には三振になってくれないし、3イニング投げるのは欲張ったかな。
球威を落とさないために、よりスピードを出すために、コントロールを犠牲にして詩野ちゃんのミットに放り込む。2番バッターはその速球に空振り、三振。ツーアウトランナー2塁に場面は変わり、一気に球場の雰囲気さえ変わった。
このバッターさえ押さえれば、試合に勝てる。しかし相手も必死に粘った結果、9球目でフォアボール。最悪の形で出塁を許し、ツーアウトランナー1塁2塁で大阪桐正の4番、根岸さんを迎える。あと1球コールが始まってから、試合終了までが遠い。
ここで詩野ちゃんがマウンドに駆け寄ってきたので、言葉を交わす。
「……どうする?まだスタミナは持つだろうけど、粘られたら厄介だよ。それに、長打なら2点入って逆転する」
「敬遠しようって、言ってくれないの?去年の夏、それで大泣きしてたの何処の誰だっけ?」
「泣いてない。勝手に記憶を捏造しないで」
敬遠の相談かと思ったけど、どうするって聞いてくるってことは詩野ちゃんの中で答えは出てないのかな。何か去年の夏も、似たような場面は迎えたね。昨年と今年で違うのは、今年は後がないってこと。
「……メジャー、行って来なよ。勝つか負けるか分からないギリギリの戦いなんて、国内にいる限りできないでしょ」
「……なるほど。ここで敬遠したら次は中口さん。根岸さんよりかは、格段に打ち取りやすい。でも勝つか負けるかの勝負をしたいなら、根岸さんを敬遠したら駄目だね」
「私はカノンの選択に委ねるよ。去年みたいに、カノンはカノン自身の決断から逃げないでね」
絶対に勝つゲームをしたいなら、ここは敬遠すれば良い。逆に勝つか負けるか分からない勝負を楽しみたいなら、根岸さんと勝負をするべきだ。
私は滅多にしないワインドアップをして、ど真ん中へストレートを投げ込む。当然ランナーは進塁して、ツーアウトランナー2塁3塁。これで1塁は空いたし、1打逆転の場面になった。
2球目のツーシームに、根岸さんはバットを当ててファール。カウントは0-2と、追い込んだ。しかしながら根岸さんもまだ全然諦めてないし、バットを短く持ってコンパクトに当てようとしている。
延長戦になったら、残り投手の差で大阪桐正の方が有利かもしれない。3塁にランナーが進んだから、セーフティスクイズやその他諸々を仕掛けて来るかもしれない。でももう、そんな無駄なことを考えるのは止めた。保険をかけるのも、もうおしまいだ。
コイツで決める。そう思って3球目、ストレートを全力で投げ込む。高めに行ったストレートの、その下を根岸さんのバットは潜り、詩野ちゃんのミットに収まる。
球速表示には、147キロが示された。




