第311話 スランプ
春の神奈川県大会の準々決勝。その日、勝本光月の出場はなかった。勝本は1年生の頃からセンターを任され、彼女のためにセンターが本職であった奏音は穴だったサードへとポジションを変えた。
しかしその試合、センターを守るのは奏音になっており、穴だったサードへは水江が入った。ショートには、期待の1年生が入っていた。ベンチに下がった勝本は、文句も言えなかった。選抜甲子園からここまでの打率は、およそ2割7分。悪い数字ではないが、併殺も多く、チャンスを悉く潰している。
チーム打率が4割7分と5割に迫る湘東学園は、上級生が少ないこともあって実力主義だ。覚醒したり、圧倒的な速度で上達する選手がいれば、その陰でレギュラーやベンチから外される選手がいる。春の県大会初戦の時点でレギュラーを降ろされていてもおかしくなかった勝本が、それでも試合に出続けられたのはそれまでに積み上げて来た実績と、温情のためだった。
そして一度ベンチに下げられた途端に、勝本はアピールする難しさに気付く。もしも今後代打で出場しても、ただのヒットでは中々レギュラーへの復帰は難しいだろう。守備も周囲の人間がどんどん差を縮めてきており、ベンチ入りをかけて守備練習だけに絞った選手もいる。
その日、勝本の出番はなかった。代打1番手は既に牛山と中谷が争っており、この日は奏音が投げるために代打で出てそのまま守備に就ける中谷が選ばれている。
失意の中、迎えた春の神奈川県大会の準決勝。今日こそは、代打でも守備固めでも使ってもらえるように進言しようとしたところでの、アクシデント発生。北条が怪我で病院へ行き、守備位置を入れ替えたことによって空いた穴に勝本が入る。
本当に見限られていたなら、中谷が使われたはずだと悟った勝本は、何としてでもこの試合で結果を出さないといけないと直感した。しかしマウンドに立つのは、自身が苦手としている左投げの投手。打撃が不調気味の勝本にとって、嫌な相手だった。
北条の代わりということで、7番センターでの出場。何としてでも打たないといけないという意識に囚われていた勝本は、2回表の横浜高校の攻撃中、ノーアウトランナー1塁からセンター方向へ飛んできた大きなフライを落球した。
勝本は慌てて中継に入る木南へ送球するが、ランナーは3塁へと進んでしまう。その後、1塁ランナーが盗塁を行いノーアウトランナー2塁3塁となったところで、横浜高校はスクイズを決行。これが決まり、4対1と1点差を返される。続くバッターにもヒットを打たれ、春谷はこの回に2点を失った。
この2失点の、最大の原因であると自覚していた勝本は、俯きがちにベンチへ戻ろうとする。その最中、木南が勝本の尻を蹴った。スパイクは脱いであるものの、それなりに強烈な蹴りを貰った勝本は涙目になる。
「これ以上腑抜けたプレイを見せないで!光月ちゃん、守備でも集中できないならもう二度とチャンスが来ないかもしれないんだよ!今日の試合、ベンチに入れなかった人がどれだけいると思ってるの!?」
「……そんなこと、分かってるよ」
「ううん、分かってないよ。どうせ、バッティングのことを考えていたんでしょ。……光月ちゃんがやらないといけないのは、糸留さんから教えてもらったフォームを完成させることじゃないでしょ。そもそも糸留さんから教えてもらったフォームを完成させて、打てるようになるの?」
中学時代からのチームメイトであり、親友でもある木南に怒鳴られた勝本は、言い返そうとして口が止まる。そして一言木南にお礼を言い、ベンチに戻って御影監督と春谷に頭を下げ謝罪した。
「……次に同じことをやったら、もう二度と試合に出さんからな」
「はい、分かってます。次に同じミスをしたら、3軍に落として下さい」
2回裏の湘東学園の攻撃は、1番の高谷からの攻撃になる。先頭バッターである高谷がライトフライに倒れると、続く木南はセンター前へ弾き返してヒット。ワンナウトランナー1塁で伊藤の打球はファーストゴロとなり、ランナーが入れ替わってツーアウトランナー1塁から4番の奏音がタイムリーツーベースヒットを打つ。
5対2と3点差になって、続く江渕がフォアボール、水江が単打で繋いだため、ツーアウト満塁で勝本の打席を迎える。その打席で勝本は中学時代から使っていたフォームと、糸留から教わったフォーム、その中間のフォームを使用した。
中学の頃から完成形に拘っていた勝本が、初めて未完成を目標としたフォームで横浜高校の左のエース、本田と対峙する。そして初球、本田はフォークボールを投げ、勝本は空振りをする。
横浜高校は、当然勝本のデータも集めていた。今大会で、不調気味だという情報も掴んでいる。それでも、油断した球は放ってなかった。中学時代、U-15W杯の代表にも選ばれたことのある選手を相手に、油断出来るわけがなかった。
2球目。本田のカットボールを打ちに行った勝本は、若干芯を外されてしまう。しかし打球は高く上がり、どんどんと伸びる。
風にも乗った打球は、ライト方向のポールに当たった。勝本の満塁ホームランで9対2と一気に7点差にまでリードを広げた湘東学園は、その後猛追してくる横浜高校打線を躱しきり、11対5で勝利した。




