第33話 制球難
奏音の振り切ったバットから打ち出された打球は、一切落下する素振りを見せずにポールへとぐんぐん伸びて当たった。キャッチャーのリードは決して悪く無く、また柏原の投げた球も簡単には打たれない球だった。
実際、奏音は芯を外されていた。ただ、相手が悪すぎただけだ。
「いったぁぁあああ!」
「やっと出ましたね」
奏音が先頭打者本塁打を打ったことでベンチは一気に活気づく。西野は叫び、春谷は奏音が今大会で初めて本塁打を打ったことに言及する。
奏音の今大会の成績は、8打席3打数3安打5四球。出塁率10割はともかく、3打数3安打での打率10割というバッターは珍しくなく、まだ本塁打は打って無かった。
そのことが、奏音への警戒度を下げていた。そこに加えて、初回の先頭打者である。神奈川の4強の一角に鎮座する東洋大相模が、1番バッターから敬遠することは出来なかった。
もちろん、舐めていたわけではない。本人達は「敬遠しなくても今までの努力を出し切ればきっと奏音は抑えられる」と信じていた。自信があった。その自信を、奏音はボキリと蹴り折った。
続く2番の美織にもヒットを打たれた柏原は奈織への初球、大きく外に外れたボール球を投げてしまう。そしてそこで、早くも東洋大相模は1年生の柏原からエースである小鳥遊に投手を変更した。1回裏に起きた、僅か6球での交代劇である。
何故か、相手が6球で投手を変えた。出て来たのは、エースである小鳥遊さん。東洋大相模は最初から小鳥遊さんを投げさせるか、最初から私を敬遠していれば良かったのに。だけどもしもそうなっていたら、初回からリードを奪える展開にはなっていなかっただろう。
「初回、敬遠されなくて本当に良かったよ。強豪校ゆえの、プライドやしがらみのせいだね」
「……でも、次からは小鳥遊さんが投げても敬遠だと思う。打ったのは、高速シュートだよね?」
「そうだよ。内角の低め、ストライクからボールになるシュートだったね。確か、柏原さんのウイニングショット」
「うわぁ……詰まっていたのに弾丸ライナーって」
詩野ちゃんにシュートを投げられたのか聞かれたから、そうだよと言うとドン引きされた。一度打たれた球でリベンジしようとしていたから打てたとか、相手の高校が私を舐めていたから打てたとか、必死に説明しても暖簾に腕押しである。
残念ながら、エースの小鳥遊さんを相手に湘東学園の3番、4番、5番は連続三振。これは、点を取るのに相当苦労をしそうだ。せめてノーアウトランナー1塁の状況を活かして送りバントはしたかったのだけど……小鳥遊さんを含めた東洋大相模の内野陣にバントを決めるのは、ヒットを打つぐらいに難しいから仕方ない。
1回の表裏が終わり、試合は0対1で湘東学園がリードしている。このリードを守り切れば、私達の勝ちになる。しかし2回表の攻撃で、早くも大野先輩のコントロールが乱れ始めた。
……雨が、強くなってきたからだ。試合開始前は試合が出来そうな小雨状態だったけど、今はしとしとと降っている。下手したら、5回で雨天コールドになるかもしれない。
雨の試合経験はどこも少ないから、基本的に雨の試合は弱小校と強豪校の力の差が縮まると言われる。しかしながら湘東学園は雨の日に筋トレ中心の室内練習が多かったから、雨の試合への対応力は普通に低い。
前に練習試合で一度、雨の試合はあったけど酷い試合展開だった。小雨なら問題は無いけど、この雨はどうだろうか。
都合良く長打の怖い4番5番を連続四球で塁に出しただけだから、実質敬遠だと思えば何ともない。だけどノーアウトランナー1塁2塁は普通にピンチだ。ここで6番バッターがバントの構えをして来たので、詩野ちゃんは内野前進守備とバント警戒のサインを出す。
……ここで、例のサインを出したら気付くだろうか?
バントをするとは思えなかったので、私は足で地面を2回、大きく蹴る。すると詩野ちゃんは気付いたみたいで、バント警戒を取り消した。意図は、内野手全員に伝わったみたいだ。
6番の初球、バスターエンドランを行なおうとした東洋大相模はウエストで勝負を避けられ、2塁ランナーは挟まれる結果になった。無事3塁を狙った2塁ランナーをアウトにしたので、ワンナウトランナー2塁となる。
それでもピンチなことには変わりなかったけど、難しいライトフライを智賀ちゃんが追い付いてツーアウト。レフト線に飛んだ打球を、西野さんが飛びついて捕球し、綺麗な送球でファーストへ送ってスリーアウト。2回表も、何とか0点で抑えた。
ベンチに戻ると、久美ちゃんがキャッチボールを始める。矢城監督は、3回表から久美ちゃんに投げさせるようだ。まだ一巡もしていないけど、この回の大野先輩の有り様を見れば妥当な交代になる。問題は大野先輩本人の意思だけど、素直に久美ちゃんへマウンドを譲る雰囲気だ。
「……良いんですか?」
「良いのよ。打撃もたぶん、久美ちゃんの方が良いのに私は打たせて貰える。それは、私が3年生だから。最後にあの小鳥遊さんと対戦できるだけで、私が野球を続けて来た意味はあったわ」
西野さんが打ち上げたのを見て、ネクストバッターズサークルへ向かおうとする大野先輩に声をかける。そして返って来た答えを聞いて、声をかけたことを後悔した。大野先輩は既に昨日の時点で、覚悟を済ませていたのだろう。
7番の真凡ちゃんがサードへの内野安打を打ってワンナウトランナー1塁。矢城監督の出したサインを見て、大野先輩はクスリと笑い、落ち着いてバントの構えをした。




