第304話 変わり種
3回戦が終わって寮に戻ると、練習試合をしに朝から東京まで行っていた2軍面子が帰って来た。今日は東京の城西高校と、静岡の三島東高校との練習試合だったかな。一昨年からどちらの高校とも付き合いが出来て結構な頻度で練習試合をしているけど、たぶん互いに互いを、丁度良いレベルの殴り相手としか思ってない。
1試合目の城西高校との試合で先発を務めた番匠さんは、結局4回を投げ切れずに6失点をした。スタミナはある方だと思うけど、とにかく無駄球が多いせいで球数が嵩んで、4回には球威が落ちていたとのこと。変化球の無い投手が、持ち味である球威と球速を無くすと、ただのバッティングピッチャーになっちゃう。スタミナかコントロールを伸ばさないと、5回は持たないかな。
2軍の練習試合の結果を紙で見ながら、明日の対戦相手の鎌倉学院の試合をビデオで見ていると、萩原監督から声がかかる。どうやら新1年生達の中に、とてつもない変化球を投げる投手がいるとのことで、見てほしいとのこと。
「どんな球なの?」
「サイドスローが投げる、トップスピンのかかった変化球としか」
「縦に落ちるシュートかな?イメージは出来るけど、凄く落ちそうな球だね。で、その球を投げるのが……」
「……織部さんです。ウォーミングアップのランニング中に地面に倒れ伏す、あの織部さんです」
グラウンドに行くと、地面に寝転がったまま、まるで死んでいるかのように眠っている織部さんが。なかやんに聞いたけど、彼女も番匠さんと同じく、プロになって金を稼ぎたいタイプの人間だ。そのスタミナで、プロになれるかは疑問だけど……。どうやらプロの抑え投手なら、1日に10球前後を投げるだけで、年に数億円を貰えるというのがモチベーションらしい。
確かにプロの抑え投手は、勝っている試合で1イニングを投げるだけで良い。上手く行けば、6球とかで仕事は終わってしまう。そして抑え投手は、金持ち球団なら年俸2億は達する。お金がない球団でも、2年の実績があれば1億円プレイヤーは夢じゃない。
しかしまあ、抑え投手なら少ない労力で沢山のお金を稼げるとか、初心者か野球を知らない人にしか出ない発想だね。そういう人に限って才能があったりもするから、野球というのは残酷だと思う。私だって元を辿ればそうだし、人のこと言えないけどね。
「1打席勝負で、私に勝ったら明日から1軍で良いよ。関東大会から出してあげる。
あ、織部さんの勝負が終わった後に、私に挑みたいという人は並んでね。勝ったら無条件で1軍に上げるよ」
織部さんと、その周囲にいる3軍の投手陣に「私との勝負に勝ったら1軍」という条件を突きつける。いやまあ、今の1軍にいる投手で私と1打席勝負をして、私に勝てる投手はいないから、勝ったら1軍で良いという言葉に二言はない。
だけど織部さんの死んだような目が生き返ったのを見て、初見殺しが3球続いたら負けるという予感が脳裏を掠める。前に優紀ちゃんのナックルに、1球だけ空振りをしたんだよね。ああいう球を3回続けられると、私でも負ける可能性は出て来る。
織部さんがマウンドに立つと、凄く猫背なことが目に付く。お母さんじゃないけど「シャキッとしなさい!」と言いたくなるような子だね。そして初球、萩原監督が言った通り、腕を伸ばしたサイドスローからトップスピンの球が懐に投げ込まれる。
弧を描くような軌道で落ちていく変化球に、バットは当たらず空を切る。まさか2つも下の子に、空振りをさせられるとは思わなかったな。今の球、2球続けられてもホームランに出来るかは怪しい。
これが1打席勝負で良かったと思いつつ、2球目。同じ球が来たのでバットを合わせるけど、打球は高く飛んでレフト方向へのファール。思っていたより失速が激しいから、タイミングを合わせようとすると難しい球かもしれない。
落差は宮守さんの得意の縦スライダー、それも最大レベルで変化させた時の縦スラよりも落ちていて、球速はリリース直後で110キロ、バッター付近で90キロかな。普通のピッチャーが投げるストレートや変化球は、大体初速と終速の差が10キロ程度。それよりか、遥かに速度差があるせいで打ち辛い。
まあ、2回も見たら打てるんだけど。3球目、全く同じコースに投げて来た織部さんの球をセンター方向のネット最上段に当てる。今の勝負、私だからホームランに修正出来たけどそこらの高校生が1打席で打てる球だとは思えない。
「う、打たれた……」
「当たり前でしょ。
というか、大丈夫?え、ちょ、3球でマウンドに倒れないで!?」
打たれた織部さんは、まるで延長戦を投げ切ろうとしていた私みたいにマウンド上で気絶したけど、この子まだ3球しか投げてないよね?冗談みたいな体力だけど、織部さん自身は至って真面目だから頭が痛い。
「凄い球でしたよね?」
「凄い球だったよ?たぶん、初見で打てる高校生はそう多くないと思う」
萩原監督に確認されるけど、投げる球自体は凄い。もう1、2球種覚えるだけで、来年は中継ぎか抑えとして1軍に入る存在だと思う。課題はもちろん、スタミナか。
でもここまでの虚弱体質の子に、体力を付けさせる知識は持ってない。仕方ないから、塩野谷さんに任せようかな。あの子、野球部全員の名前と顔どころか趣味や野球歴まで頭に入っているから、そうじゃないかと思っていたけど、普通に頭が良いんだよね。
何もしなくても国公立の医学部に行けるレベルの天才とか、私は前世を含めて会ったことがない。園城寺さんもかなり賢い感じだけど、塩野谷さんが飛びぬけていて霞んでいる。1軍に入れる最後の一枠は、園城寺さんか塩野谷さんで迷ったけど、御影監督とも話し合った結果、園城寺さんは2軍で投げさせる方が良いという結果になった。
とりあえず織部さんは、夏までにはスタミナを改善してもらって、コントロールも磨いて貰おうかな。その後、3軍の1年生投手全員と勝負するけど、1年生投手の層がわりと豊富な気がするのは気のせいかな?来年辺り、島谷さんのエースナンバーを脅かす存在も出て来るかもね。




