第31話 ピッチャーライナー
マウンドに、久美ちゃんが立っている。久美ちゃんの目が本気なので、きっと全力で投げて来るだろう。元々、久美ちゃんのストレートは手元で伸びるような球だったし、下手に打ち損じたら格好悪い。
一応、聞いておこうかな。
「どこに向かって、ピッチャーライナーを打って欲しい?
あ、頭は拒否するよ」
「そこまで厳密に狙えるのですか?
……それでは、右足太腿でお願いします」
「了解。いつでも良いよ」
合宿の時に、ピッチャーライナーだけは無さそうだから勝負をしてみたいと言っていた久美ちゃんは、ピッチャーライナーを打たせるために私を打席に立たせた。その時のことを思えば、随分と成長しているし、覚悟も決まったみたいだ。
両腕を高く上げて止め、かくんと頭の後ろに両手を降ろしてから、オーバースローで投げられたストレートはストライクゾーンに入っていた。
その球を、いつも通りのスイングで打つ。低い弾道の打球は久美ちゃんの右足に向かって飛び、久美ちゃんは右手のグラブできっちりと捕球した。
……たぶん、打者に向かって本気で投げれたのは2年ぶりぐらいなのだと思う。久美ちゃんは隠れて筋トレやリハビリをしながら、体力のいるマネージャーとしての業務をこなしていた。その直球は、思っていた以上に速かったし、私もよく対応出来たな。
「……本当に、大丈夫なの?思いっきり、ホッとしちゃってるんだけど」
「大丈夫じゃないかな。少なくとも、これ以上は実戦で投げないと分からないよ」
わざわざこの1球のためだけに捕手を務めてくれた梅村さんは、キャッチしただけでホッとした久美ちゃんを見て、本当に大丈夫なのか疑うけど、これ以上は実戦でしか分からない。少なくとも、ピッチャーライナー自体はかなりの速度で打った。
直撃していたらと思うと怖いけど、太ももだし最悪でも腫れる程度だっただろう。身体以外に打つのは久美ちゃんの覚悟を無駄にすることになるし、良い位置に打てたと思う。とりあえずは、ちゃんと捕球出来たことを喜ぼう。
あと3日で、久美ちゃんがちゃんと実戦でも投げれると判断出来れば、3回戦で投げることになる。変化球も怪我をする前のコントロールで投げられれば、良い試合にはなりそうだ。
……強豪校が私を敬遠しないのは、1打席目だけかな。そこでホームランを打つか、出塁するかは悩ましいところだけど、東洋大相模が相手ならホームランの方が良いか。
久美ちゃんがピッチャーライナーを取れた後は、約束通り1打席勝負をする。そこではカウントを稼ぎに来たカットボールを、ネット際まで運んだ。
位置的にちょうどホームランになるかならないかの境目だったから、私の負けということにして久美ちゃんの快気祝いをする。今まで久美ちゃんの復活に付き合ってくれた詩野ちゃんと優紀ちゃんも誘って、近くのファミレスで好きな物を奢ろう。
何でも食べて良いよと言うと、次々に注文をする3人。……遠慮しないで食べて良いよとは言ったけど、制限の外れた現役女子野球部員の食欲を舐めていた。いやまあお金には余裕があるけど、店を出た後に詩野ちゃんと優紀ちゃんがこっそり千円札を渡そうとしてきたことから、どのぐらい食べたのかは想像が出来るだろう。
何はともあれ、優勝候補と戦える戦力ではある。後は、試合展開次第かな。
3回戦が翌日に迫った日に、期末考査が行なわれる。試験は午前だけだから、午後いっぱいは練習時間に当てられる。試験後、隣のクラスへ行って優紀ちゃんに試験の結果を聞いてみると「無理だった」と簡潔な一言が返って来た。
……これは、優紀ちゃんだけ夏休みに補講コースかな。優紀ちゃんは理系科目が苦手だけど、1番苦手な数学に関しては6割は埋めたと言っている。ただ、日本史や英語は何とかなったらしい。明日の試験は明後日に個別で受けることになるけど、優紀ちゃんの苦手な物理と化学だし、大丈夫なのかは不安だ。
試験後は、ブルペンに入って投球練習を行なう。最近は新しい変化球のコントロール練習が中心で、よく詩野ちゃんを相手に投げ込んでいる。
「……ストライクを投げられるなら十分なコントロールだけど、真ん中に行くとヒヤッとする」
「うん。私もヒヤッとするよ。リリースする時に、出来る限り真ん中にはいかないようにしているけど……」
その新しい変化球は、変化球じゃない。むしろ、ストレートと言ってしまっても良いだろう。
私は投手としての経験が浅いから、変化球を投げようとすると投球フォームが変わってしまうし、曲がり始めも早い。変化球は変化球としてカーブの取得を目指しているけど、それ以上に練習をしているのが今のストレートだ。
本来であれば人差し指と中指は離すところを、揃えて投げる、至って普通のストレート。ただ、バックスピンが強烈なだけだ。リリースする瞬間に、揃えた人差し指と中指でボールを押し込んでいる。
その分コントロールが難しいのだけど、何とかストライクを要求された時にストライクを投げられるようにはなった。投球モーションは普通のストレートと同じだし、使える球だと詩野ちゃんには言われた。
明日は総力戦だ。新しいストレートを完成させた私も投げるだろうし、大野先輩も久美ちゃんもペース配分を気にせず投げる予定になる。それぞれの投手交代のタイミングは、矢城監督の判断次第だ。




