第259話 あと一つ
あと一つ勝てば、関東大会へ駒を進めることが出来る。そんな秋季神奈川県大会の準決勝で、待っていたのは湘東学園だった。昨年の夏の大会で湘東学園に負けてから、東洋大相模は一気に苦しい立ち位置に追い込まれている。湘東学園の台頭の影で、苦しんでいる高校だ。
先発の柏原は3回途中5失点という成績で、マウンドを降りてからずっとベンチで俯いている。濡れたタオルを頭から被り、沈黙していた。しかしながら、東洋大相模の闘気は消えていない。
5対0で迎えた3回裏は、下位打線からの打順。ここまでで塁に出たバッターはいないため、今のところは春谷の独壇場になっている。先頭バッターの7番も、キャッチャーフライでワンナウト。
「……ごめん、打てなかった」
「大丈夫ですよ、先輩。当たるってことは、打てるってことですから。
……せめて1点だけでも、返して来ます」
2年生の先輩に謝られた石川は、励ましてからネクストバッターズサークルに向かう。先発の柏原が9番だったため、石川も9番にはなっているが、彼女は打てるタイプのピッチャーだった。
姉がどれほど努力したか、彼女は知っている。それでも夏の甲子園の舞台に立てなかったことを、彼女は知っている。だから彼女は、姉以上の才能を持っていながらも姉以上に努力をした。
東洋大相模の初ヒットは、8番バッターが打った。今年の東洋大相模は異常な打力を持つバッターが居ないが、平均的なレベルは高い。ワンナウトランナー1塁で、左バッターボックスに石川が立った。
(……確か春奈さんは、ガールズで4番を打ってたっけ。
お姉さんより体格は良いし、ピッチャーと言えども油断は出来ないね)
(梅村さんのリードは、西野さん以外だと得意球を多く投げさせる傾向にある。まあ西野さんは球種が多彩だから隠れているだけかもしれないけど……1打席に1球はドロップカーブが来るね)
初球、1塁ランナーが走る素振りを見せており、梅村は外にストレートのボール球を要求してカウントは1-0。ここで春谷に牽制のサインを出した梅村は、思わず声を出してしまう。
「げっ」
「走って!」
若干逸れた牽制球を、江渕が弾いたせいで1塁ランナーが2塁へ進んでしまう。ワンナウトランナー1塁がワンナウトランナー2塁になって、梅村はカウントを稼ぐためにスクリューを要求する。
(今のが、スクリュー。……私も投げるけど、結構似た球筋じゃないのこれ?)
(石川姉妹のせいで、スクリューは東洋大相模に通じにくいから投げ辛いな。使えるのは本人ぐらいだし、もう1球投げさせよう)
2球続けてスクリューに空振りをした石川は、追い込まれてカウントは1-2。そして最後に梅村は、ドロップカーブを要求した。
(スクリューを2球続けて見た後に、外へ逃げるドロップカーブは打てないでしょ)
(ヤバい。けど、最後はドロップカーブだという自信がある。特に左バッターにとって、春谷さんのドロップカーブは凶器。何とかして打って、相手にドロップカーブが狙われている印象を与えないと……)
4球目、春谷はドロップカーブを投げ、それは枠内に入る。外に逃げながら落ちるドロップカーブを石川は何とか当てて、左方向へ流した。
打球はショートへ飛ぶ。ボテボテのゴロとなり、打球を追いかけた水江は、ランナーと交錯しそうになったために止まってしまった。
「すいません!」
「……まあ、怪我の元にもなるし反省しているなら別に良いけど」
3回裏は、東洋大相模がワンナウトランナー1塁3塁のチャンスを作ってからスクイズとヒットで2点を返し、試合は5対2と3点差になった。その原因を作った水江さんは、詩野ちゃんに怒られている。
ランナーが2塁にいて、ショートへ打球が飛んだ場合、2塁ランナーとショートが交錯しそうになる時がある。そういう場合は基本的に守備側に優先権があるから、わざわざランナーとの交錯を守備側が避けなくてもいいんだよね。
選手に妨害の意図があったかどうかは関係無く、ショートへ打球が飛んだ状況なので、ショートが対応するのが適切。もしもショートとランナーが交錯した場合は、相手の守備妨害になっている。あの場合はランナーが避けないといけないのだけど……水江さんは、相手ランナーの気迫に押されたんだろうね。
とにかく詰め寄られたからには点を取らないといけないのだけど、4回表の湘東学園の攻撃は三者凡退。春奈さんはコントロールが悪いと聞いたけど、ストライク先行だしコントロールも良いんじゃないかな?
というか、相手のセカンドがかなり上手い。聖ちゃんの守備範囲に匹敵するとは言わないけど、執念でボールに飛びついている。名前は小塚 亜紀奈さんで、さっきの回に水江さんを威嚇で退けた人だね。真凡ちゃんの併殺は、久しぶりに見たかも。
3回4回と、併殺で攻撃が終わっているから嫌な流れは出来ている。試合は4回裏に移って、東洋大相模の攻撃は4番の中北 由望さんから。2巡目に入って、久美ちゃんは少しずつ捉えられて来ている感じがする。湘東学園は宮守さんに加えて、島谷さんの方も準備を始めた。




