第223.5話 過保護
U-18W杯の日本対タイの試合が行なわれている最中、関東の山奥にある合宿所では、湘東学園野球部の部員達が部屋一面に敷かれた布団の上で死体のように折り重なっていた。誰一人としてテレビをつける気力もなく、うつ伏せになっている。
「……起きろ、飯の時間だ」
女性とは思えないような低い声によって、一同はノロノロと動き出す。彼女達は全員、20キロまで重りを入れられる加重ベストを着ていた。
合宿初日。移動した梅村達を待っていたのは、厳かな顔をしている元プロ野球選手の糸留だった。彼女は最初の挨拶で、部員達に問いかける。
「私が子供の頃から、野球は随分と変わったと思う。プロ野球は分業制が当たり前となり長い時を経て、完封や完投が出来る投手は明らかに減った。生物として、身体の仕組みから変わったように思える。肩は特に大事にされるから、プロを目指す人間は高校時代に投げたがらなくもなったな」
20年以上前、糸留がプロ野球球界に入った当時と今の野球を比較すると完投数や完封の数は激減した。シーズンを通して全試合に出られる野手の数というのも減り、糸留自身も晩年は週に6試合ある内の、真ん中の1試合は休養日になっていた。
「学生時代に身体を虐め抜くことが少なくなった結果、今までなら練習で壊れていた選手がプロになれるのは喜ばしいことだ。プロになれる人材が増えたことで、プロ野球のレベルも高くなった。しかし現状、そういった選手は数年でどこかを壊して引退してしまう。……指導者が行なうことは、過保護に面倒を見ることだろうか?」
野球に怪我は付き物だが、近年は登板数や出場機会を減らした上で、それでも怪我で療養に入る選手が後を絶たない。球団によっては、2軍の試合が成立しないほどに選手が怪我をするチームも存在する。
「私はそうは思わない。引退してから半年、色んな高校や大学の練習を見学させて貰ったが、練習の負担は軽くなっているし、速筋を重視するあまり、持久力というものは確実に落ちているだろう」
糸留は現状の練習が温いと言い、それが野球から一度離れようと思った一因だと述べる。現役を引退した後、彼女の元には色んな球団からコーチ契約の話が持ちかけられていたが、糸留はそれを全て断っている。
「そう憂いていたら、面白いぐらいに時代を逆行している高校から話を持ちかけられたから私はここに来た。私は別に、前時代的な過酷な練習というのが正しいとは思わない。だが、現状の過保護にするやり方も気に食わないだけだ」
糸留は一旦話を纏めて、合宿のスケジュールを渡す。合宿前半の練習内容が書かれており、体力作りと筋トレが主な内容だ。彼女の先程までの言葉とは違い、渡されたスケジュールの前半は前回までの合宿時のスケジュールよりも比較的楽な練習内容になっていた。
「そのスケジュールでも、過保護な学校だとやり過ぎと言われるレベルだろう。私は、嫌な練習の強要というものをしたくはない。しかしここは、自分から練習をする高校だと聞いている。だから、加重ベストというものを用意した。合宿の奇数日には、これを着て練習をしろ」
糸留は、用意していた段ボールの箱を1つ開ける。中身は加重ベストと重りであり、ベスト単体でも2キロほどの重さはある。これを見て、ピンと来ない部員は居なかった。全員がベストを装着をし、中に入れる重りの重さを決めて行く。
「それを着て走り込みをしたりノックを受けることで、身体へのダメージが大きいことは理解している。しかし身体へのダメージというものは、修復されるものだ。幸いここは、食トレに力を入れているようだからな。食事から栄養は、しっかりと取って貰う。スケジュールの後ろの方に、栄養を摂取するべきタイミングと量を書いておいた」
糸留の言葉で部員達はスケジュールをめくると、プロテインだけではなくサプリメントや用意されてあるおやつの内容まで書かれている。さらにそこには、空き時間で練習を行なった場合には何を補給するべきなのかも書かれていた。
「……ノック前に、ブドウ糖?」
そこに書かれている内容に、概ね妥当だと感じる梅村だったが、首を傾げる部分も幾つかあった。そんな梅村を尻目に、糸留は説明を続ける。
「合宿後半では技術面や精神面のことも教えていきたいが、まずは身体作りと体力作りだ。1週間という短い期間でも、人間の身体は変わることが出来る。加重ベストに入れる重りは、最初から入れ過ぎるな。あと、最大でも体重の2割までの負荷に留めておけ。空き時間に練習して良いのは最初から身体が出来ている2年生と、一部の1年生だけだ。身体が出来ていない内は、空き時間で身体を休ませろ」
最初の挨拶の後、重いベストを着て練習をすれば身長が縮むんじゃないかと問う梅村に対し、糸留は寝れば治ると言う。下半身が太くなりそうと呟く高谷に対し、太くするのが目的だとも言う。
こうして、湘東学園野球部の夏合宿が始まる。加重を重くし過ぎている人間には注意が飛び、練習前と後に軽食を詰め込まれるという環境下で彼女達は、練習を続けた。




