第210話 もう1人
奏音と根岸は、会ったことが無い。しかし互いに、相手の名前は知っていた。根岸は軟式出身のため、硬式球を使うU-15W杯には出ていないが、テレビで持ち上げられていた。一方で奏音の名前は、野球をしていれば必ず耳に入ってくる名前だ。
奏音はたまたま見ていたテレビ番組でプロを相手に挑戦する根岸を見て、根岸はU-15W杯で活躍する奏音を見て、名前を知った。そして互いに、勝負をしてみたいという気持ちはあった。
互いに互いの名前や存在を知っていながら、これが初対戦にもなる。その初球、奏音は140キロのストレートを膝元に投げ込み、根岸はそれをファールにした。
(あと1点。あと1点を取れば私達に負けはない。お願いだから、打たせて!)
根岸は心の中で叫びながら、奏音の縦スライダーに空振る。県予選の時よりも落差があり、空振りの取りやすい球になっていた奏音の縦スラに根岸は驚き、変化量を推し測る。
(投手始めて1年ちょっとでこれって、バグってるわよ。……3球目も、縦スラでしょうね。今の空振りを見て、当てられ無さそうだと判断されたでしょうし、当てるのも難しいわよ)
カウント0-2から3球目。スタミナの少ない奏音が5回裏から投げているため、遊び球は無いと判断して根岸は振りに行く。実際、奏音に遊び球を投げる余裕は無い。
梅村がここで要求したのは、シュートだった。
球種を読み間違えても、何とかバットに当てた根岸の打球は、小フライとなる。ふわっと上がった打球は、ピッチャーの奏音が捕球してスリーアウト。ツーアウトランナー1塁2塁のピンチを奏音が抑え、試合は3-2のまま6回表、終盤に差し掛かる。
「マウンドが灼熱の地獄だったんだけど、あの環境でよく5回まで投げてくれたよ。お疲れ様」
「あはは、私が投げていた時間帯より、これからの方が暑いんじゃない?あと2イニング、頑張ってよ」
「もちろん。ただ、大阪桐正がこのまますんなりと終わらせてくれることは期待してないけどね」
5回裏。何とか根岸さんを抑えた後は、ベンチに戻って水分を補給する。甲子園の時計は、13時50分を指しているから今が1番暑い時間帯だね。優紀ちゃんはあの環境で、よく投げ抜いたと思う。先発としての役目は、十分に果たした。
6回表の攻撃は、9番の光月ちゃんから。光月ちゃんは大舞台であればあるほど実力を発揮できるから、期待したいところだけど、マウンドには藤波さんに代わって根岸さんが登る。
最速134キロのストレートに、きっちりと4球種も使える変化球がある根岸さんの、投手としての実力は相当なものだ。ただ、中学時代に131キロを出していたことを考えるとあまり投手として伸びていないようにも見える。
……中学時代、実力が高かったのにも関わらず、高校に入ってあまり実力が伸びない選手をよく早熟の選手だと言ったりする。これは単純に中学時代に色々と完成されているというのが主な原因で、湘東学園の場合は久美ちゃんや光月ちゃんがこれに該当しかけている。
まあ、コントロールやスタミナは順調に成長しているみたいだし、将来が楽しみな選手でもある。根岸さんの立ち上がりは良く、光月ちゃんの当たりは詰まった当たりになった。
「セーフだよね!?……いや、審判がアウトだと判断したならもうしょうがないけどさ」
「……今のは、私の目でもセーフに見えましたね。今のセーフがアウトになるのは、大きいですよ」
しかし足もそこそこ速い光月ちゃんは、必死に走ってセーフになるかと思われた。私も久美ちゃんもセーフに見えたのなら、今のはセーフだった可能性が高い。
ただ、審判はアウトだと判断した。甲子園でのチャレンジの導入は、来年からになる。ワンナウトになって、聖ちゃんはキャッチャーフライ、詩野ちゃんは三振でスリーアウト。
……さっきの審判の判断は、かなり大きなミスだったんじゃないかな。先頭バッターが、アウトになるか否かは大きい。気にしていても仕方ないし、気持ちは切り替えるけどね。
4回裏に大阪桐正が2点を返してから、試合の主導権は向こうが握っているような状態だ。6回裏の大阪桐正の攻撃は5番の大村さんからだけど、あっさりライトフライに倒れてワンナウト。どうやら本当に、大村さんは調子が良くないらしい。
続く6番にはヒットを打たれてワンナウト1塁。藤波さんの球を打撃練習で打っているからか、速い球にはある程度の耐性がありそうだね。
それでも速球と縦のスライダーを中心に低めに集めて、7番と8番を連続三振に抑える。1塁ランナーは釘付けのまま、スリーアウトチェンジ。試合は最終回の7回表を迎えた。
この回の先頭バッターは3番の真凡ちゃんから。この回で1点をもぎ取ることが出来れば試合が決まるほど大きいし、良い打順の回だから何としても追加点が欲しいね。




