第12話 夜の散歩
練習が終わったら、シャワー室で汗を流す。今日は朝の6時に練習を始めてから夜の9時まで、食事休憩の時間を除けば練習しかしていない日だったけど、今から消灯までは自由時間だ。
「智賀ちゃーん、大丈夫?」
「……はっ!?だ、大丈夫です!寝てません!」
「不安だし、見ててあげようか?」
「大丈夫ですから、覗かないで下さい」
シャワーで身体を洗った後、智賀ちゃんの入っているシャワー室を通り過ぎようとしたら、中から人が眠っている気配を感じた。なので覗いて注意をしたら、凄い体勢で眠っているのを目撃する。
座り込むのは別に不思議じゃないけど、後ろ手でシャワーを持って眠っているのは斬新だったな。それにしても智賀ちゃんはスタイルが良いというか、バランスが良いというか……。
……女になってから、女性の裸には見慣れたと思っていたけど、久々にドキッとしたなぁ。抱き着かれていた時も色々と柔らかかったし、心の男性器は確実に反応していた。
運んで下さいと言って来た智賀ちゃんをお布団まで運ぶと、既に遊ぶ余力が残っている人は少ないのか、ぐでーとしている人が多い。まだ初日は遊ぶ気力がある人の方が多かったのだけど、2日目の今日は先輩方も含め全滅している。
ふと、夜の校舎を散歩をしたくなったので外に出ると、グラウンドで春谷さんがボールを投げていた。
「ネットに投げるぐらいなら、私が相手するよ?」
「カノンさん!?えっと、ちょっと投げてみたかっただけなので別に良いですよ」
「……本気で、投げて欲しいな」
寂しそうな表情をして投球練習をしていたので声をかけ、本気で投げて欲しいと伝える。それに対して、春谷さんは見たことが無いような鋭い眼光で睨んで来た。
「キャッチャー、やったことあるんですか?」
「無いけど、フォームを見れば思い出すかなって」
「ぷふっ。既に思い出してくれているとばかり思っていたのですが……カノンさんらしいですね。良いですよ。一球だけ、私の球を捕って下さい」
そうして春谷さんは、独特なフォームでボールを私に投げた。左投げだったんだ、と思う間も無く私のグローブにボールが収まる。
「……堤さん?」
「ああ、良かった。憶えてくれていたんですね」
「えっ、待って、苗字が変わってるし、あのロングなポニーテールは?雰囲気も、凄く変わってるし」
「……まあ、色々とあったんです」
春谷さんが見せてくれたフォームには、見覚えがあった。中学2年生の時にガールズの全国大会で対戦した、京都のチームのエースだ。確か、凄く拮抗した試合だったはず。
その頃の春谷さんは別の苗字だし、髪型も違うせいで顔を見ても思い出せなかったのだろう。というか、雰囲気が違い過ぎる。今の春谷さんは温和だけど、あの頃は尖っていたというか、目が怖かった。いや、今でも目付きは時々怖いけど。
そしてその試合で、私が4打席連続でホームランを打ったことも思い出した。1つでも敬遠されていれば、負けていたかもしれないということも同時に。
「……ごめんなさい」
「えっ!?いえ、カノンさんが謝るようなことは何も無いんですよ?」
「あれ、4打席連続でホームランを打たれたことがトラウマになって投げれないとか、そういうのじゃないの?」
「そういうのではありません。むしろ、私がファンになった場面で勝手にトラウマ認定しないで下さい」
「ええ……?」
試合で私に打たれまくったから精神的なダメージを負ったのかな?と思いきや別にそうでは無いようで、試合後の練習でピッチャーライナーが顔面に当たったからだった。
……私を敬遠していれば、勝てていた試合のはずだ。試合スコアは確か3対4で、1点差。延長になれば私達が負けていただろうし、春谷さんはその時2年生。チームメイトの中に、恨む人が出て来てもおかしくない。
「事故か故意かはわかりません。後で母親に聞いた話によると、私は生死の境を彷徨ったそうです。最近はかなりマシにはなりましたが、今でもマウンドに立つと震えが止まりません」
「あの時、勝負したことは後悔している?」
「いえ、後悔はしてません。全力でぶつかった時は楽しかったですよ。元々、私のワンマンチームでしたし、文句を言う人はいませんでした」
ピッチャーライナーが顔面に当たり、倒れた春谷さんは病院に運ばれたらしい。話を聞く限り、かなり重傷だったようだし、トラウマになってもおかしくないか。
……私の前世の高校時代の友人で、優秀だったキャッチャーが練習中にボールを捕れず、瞼を切ってしまったせいでキャッチャーを出来なくなったことがある。以来、その友人は外野手に回ったけど、チームの事情で再度キャッチャーをさせたことによってトラウマが再発し、野球すら出来なくなった。
野球でメンタルが重要なのは、言うまでもない。プロですらメンタルのせいでコントロールが乱れたり、バットの振り方さえ分からなくなる。
今はこうして、ネットに投げることが春谷さんにとってのトラウマ克服法なのだろう。バッターが立った時に投げられるかどうかは分からないけど、少なくともバッターがいない時には投げられるぐらいに回復しているみたいだ。
「春谷さんが投げられるようになるまで、私も何か出来ることがあれば手伝うよ」
「……ではいつか、私と勝負して下さい。カノンさんが相手であれば、ピッチャーライナーだけはあり得ませんからね」
「ん?ピッチャーライナーを打ったこともある……ような気がするよ?」
「少なくとも中学2年の夏から今まで、私が見て来た中では一度もピッチャーライナーは打ってませんよ」
春谷さんと、面と向かって話し合ったのは入部の時以来だ。あの時はただのヤバいファンかと思ったけど、実際は対戦経験のあるストーカー気質の女の子だったわけだな。
ずっと春谷さんのことについて話していたら、唐突に春谷さんが質問して来た。
「そう言えば、カノンさんはどうしてこの学園を選んだのですか?」
内容は私がこの学園に来た理由について、だ。春谷さんの過去を知ったことだし、私の過去も話して行こうか。




