最終話・晴
砂漠の朝が清々しいのは、ほんのひと時だけだ。日が登って数刻もすれば、じきに乾燥した熱気に覆われる。それでも、長く砂漠の国に生きる者たちは涼やかな顔をしていた。
「夢を見た」
「ほう。朝の挨拶代りにおっしゃられるからには、大層素晴らしい夢なのでしょうね」
「うむ、実に面白い夢であった。闇の中より炎を纏った霊鳥が現れ、”しばしお前たちを見届ける。己がいかに生きるべきか、肝に深く命じよ”と言ったのだ。そしてすぐどこかへ去って行った」
「それはそれは……。それで、他に何かお変わりは?」
「ない」
「ならば構うことはないでしょう。夢の中で去って行った者を追いかけることは不可能ですし。それよりこちらの資料に目を通しておいてください」
「なんだ。ウシャスとの書類なら昨日から何度も……」
「いいえ、ご覧になっていただきたいのは見合いの資料です。とりあえず三人分ほど用意しました。お相手はみなパーティーなどでの席で王も会われたことのあるご婦人ばかりですが、どうせ覚えておられないでしょう」
「ぬしにしては失礼な物言いよのう。だがおそらく図星だ」
「私が一人一人調査して、少しでも王に相応しいと思われる者を選出しました。……まぁ、散々妥協した部分もございますが。しかし王もご自分の御年を考えてください。アフディテ亡き今、王の血を引く者がこの国には必要とされているのですから。御子が産まれるまで喧嘩も戦もお預けです」
「わかっておる、わかっておる。まったくアドニスよ、ぬしもいささか口うるさくなってきたのう。小うるさい宰相がいなくなったと思えば……」
「何とでもおっしゃってください。アフディテの素性を隠し続けていた罪、王と言えど私はそう簡単には許しませんから」
砂漠暮らしの男とは思えない白い肌を持った青年は、不甲斐ない息子をいさめる母親としか思えない憤りを表しつつ食事の席へと歩いて行った。
「年を考えろ、か。そういえば、あ奴も余と同じ頃の年に見えたが」
丁寧に作成された書類に目を通しつつも、サダムの思考は東の彼方へ飛んでいた。
「夢を見た」
「どんなー?」
「海を泳いでたら、ノームがイルカと戦ってた」
「へんなゆめ」
「夢ってのはだいたい変なものなんだ」
ウシャス軍本部のコサメの部屋。また一つ新たなことを学習をしたコサメは、それを忘れてしまわないうちにペンを握り、机の上のノートを開いた。そういうことはメモしなくてもいいんだ、とテンセイが忠告した時には、すでに新品のノートの上に文字が並んでいた。ペンもノートも、昨日街で購入してきたばかりのものだ。早く使いたくてたまらなかったのだろう。丸い瞳の持ち主は自分の書いた文字を眺めた後、ノートを閉じて部屋を出て行った。
食堂へ向かう廊下を並んで歩きながら、テンセイはおもむろに口を開いた。
「なぁコサメ。ラクラ隊長のこと、好きか?」
「うん、すき」
「そうか。なら……」
と、開いた口はそのまま固まった。見上げるコサメの視線に気づいてやっと唇を閉じ、代わりに微笑んで見せた。
「やっぱり、コサメをダシにしちゃいけないよな。……オレの幸せのためなんだから」
「だし?」
「何でもない。コサメ、先に食堂行っててくれ。オレは隊長のとこに寄っていく」
「うん。テンセイのぶんのごはんもよういしてる」
元気に歩いてくコサメの後ろ姿を見送り、テンセイは司令室へ向かった。
司令室には先客がいた。クドゥルは東支部へ戻ったから今は目的の人物一人しかいないだろう、というテンセイの目論見は外れた。しかし引き返す理由にはならない。声の漏れてくる扉をノックもせずに開くと、中には壁にもたれて立つノームと膝を抱いてソファに座るユタ、そして机の上に書類に向かうラクラがいた。
「だからさぁ、こうなったからには包み隠さず……あ、オッサン」
「よぉノーム。朝っぱらからこんなとこで何してんだ?」
「オッサンこそ」
「おはようございます、テンセイさん。コサメさんはご一緒ではないのですか?」
「先に食堂に行かせた。オレもすぐ行くけど、その前にちょっとだけ隊長と話をしにきた」
テンセイは何気なく言ったつもりだが、傍で聞いていたノームはハッと目を見開いた。そして密かにテンセイとラクラの顔を見比べた後、わざとらしく大きな咳払いをして壁から離れた。
「ああ、えっとその、オレもそろそろ朝飯食いに行くとするわ。おいユタ、行くぞ」
「はぁ? 何でアタシまで」
ユタは雑誌に目を向けたまま抗議する。テンセイにはよくわからないが、表紙の文字からするとファッションに関するものらしい。黒コートを着ることがなくなった少女は新たな情熱に目覚めかけているようだ。そう言えば今着用しているシャツも軍の建物にそぐわない華やかなもので、一目で新品だとわかる輝きをしていた。が、その襟をノームは容赦なく掴みあげた。
「わ! ちょ、何やってんの!?」
「ほら、少しは気を利かせろってんだ」
そのまま強引に部屋の外に向って引っ張っていこうとする。ユタは布が伸びてはたまらないと思ったのか、手足をばたつかせながら仕方なく外へ出ていく。
「……子どもは朝から元気だな」
「ええ。本人が聞いたら怒るでしょうけど。……彼女はもうじき、ここを離れるそうです。何とか仕事を見つけて、早く自立したいとおっしゃっていました」
「そうか……」
ユタの話に興味がなかったわけではないが、それよりテンセイはラクラに言わなければならないことがあった。
嵐のような戦乱を駆け抜けた後で、テンセイの心に残ったもの。誰のためでもない、自分自身の幸せを掴むための言葉。
「なぁ、隊長」
一息ついて切り出すと、ラクラは緩やかな瞳を返してきた。窓から差し込む朝日を受けて金色の髪はキラキラと輝き、化粧気のない顔はそれでもどんな女性よりも美しく見えた。美しいだけでなく、自分とは違う世界で戦ってきた強さを秘めている。
飾り気はいらない。変に気取った物言いをするとかえって恥ずかしいし、性に遭わない。
「オレと結婚してくれないか」
いや、オレを傍に居させてくれるだけでいい……と一瞬考えたがやめた。この事に関してだけは欲張りになりたかった。
どこまでも真っ直ぐで、どこまでも単純で――どこまでも天晴な男であった。
小説「晴れノチ」
徳山作品では例を見ない長編作品になってしまいましたが、最後までお読みいただきまして真にありがとうございます。
とにかくファンタジーが書きたくて書きたくてたまらない、という思いから生まれたこの作品。
これまで「魅月町」「偏才」などありふれた(?)日常を舞台にした物語を描いてきたせいか、ファンタジーを書くならあのアイデアも使いたい、こんな場面も書いてみたい、などという意欲が次から次へと湧いてしまい、それらを精一杯詰め込んだ、例えるならおもちゃ箱のような作品でした。
なお、作中にはかなり過激な思想・理屈が多々登場しますが、それらはあくまでも作中の登場人物の意見だと捉えてください。
私自身が常日頃からあんな大層な事を信じて生きているわけではない……と思います。たぶん。
私はだいたい何も考えずに生きてます。
書きたいことは書き切ったので、次回作はまた日常生活の舞台に帰るかもしれません。
それでは、またお会いできることを楽しみにしています。徳山ノガタでした。




