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第271話・回帰

 人の本性は不測の事態に面してハッキリ表れるというが、サダムの態度は平生となんら変わりなかった。


「ウシャスの攻撃でしょうか?」


 アドニスが眉をひそめ、懐の鉄輪を握る。他の将軍たちも戦闘態勢に入っていた。サダムだけが腕を組んだまま、サナミに向って冷静に問いかけた。


「サナミよ。ぬしはあれについて何かを知っておるな」


「ひぃ、その通り、その通りだよ! あれは魂! 死んだ生物の魂が暴走しとるんだ! あれに取り憑かれたら大変だからアタシは逃げてきたんだよ!」


「クケ! ああ、あれは確かに魂! 王様、早く逃げ……」


「ほう、では待ち受けるとしようか。余の直感が告げておる。ぬしらの言い分は嘘ではないが、真実でもないとな。あの光は我らに用があるのだろう。ならば受け入れるだけよ。相手が何者であろうと、見極める前から逃げに回るのは余の主義でない」


 賽はとっくに投げられている。引き返すつもりなどさらさらない、とサダムは笑って見せた。だが将軍たちはそうはいかないようであった。


「王。先ほどのテンセイたちの行動を見るに、ウシャスには我々の予測出来ない策が存在する模様。まずは偵察隊の艦に接触させましょう。あるいは、この場から攻撃を仕掛けるべきかと」


「その必要もあるまい。余の勘が告げておる。あの魂とやら我らに敵意を持っておらぬとな」


「私もそう思います。あの光は……少なくとも、攻撃のためのものではないと」


 サダムの言葉を肯定したのは、将軍アクタインであった。この武人は、普段なら王の言葉をそのままなぞって肯定したりはしない。それだけにアドニスやヒアクは驚いた。


「何言ってんだ、アクタイン。剣を極めればそんなことまでわかるのか?」


「いや、剣は関係ない。お前たちにもわかるだろう。あの魂とやら、我らの知っているものだ」


 言い返されたアドニスとヒアクが改めて洋上に視線を移す。ナキルは少し前からそうしていた。やがて、その清潔な髭を備えた口が言葉を紡いだ。


「奇妙な感覚だ。知っているような、見知らぬような。だが確かに邪気は感じない」


 アドニスとヒアクは何も言わなかったが、それは同様の意見を抱いたという無言の回答であった。魂が近づくにつれて、まず最初に気付いたのはアドニスであった。


「あれは……まさか、死者の魂というのは……? いや、しかし」


 聡明なアドニスの顔が苦痛にゆがんでいる。苦痛。本来ならばその存在を前にして苦痛を感じることなど……あった。大いにあったのだが、それは自分の不甲斐なさからくる心の痛みであった。今この時の苦痛は、悪い熱に浮かされて頭が痛むのに似ていた。何かを思い出しかけているが、脳細胞の一部がそれを拒絶しているかのようだった。苦痛を隠そうと必死に無表情をつくるが、王の前では通用しなかった。


「アドニス、ぬしもか。余も先ほどから奇妙な痛みを感じておる。……サナギよ」


「は、はぁ!?」


「ぬしなら分かるか? この奇怪な現象の正体。ぬしは痛みを感じておらぬようだが、その瞳は何かを知っておるな。話せ。ぬしは知っておる。それはおそらく我らも知っていたことだろうが、ぬしが話すのだ」


 サダムは全く表情を変えない。だが、その内側では複雑な感情と苦痛が渦巻いていた。それを表に出さず、確実に先への道を拓くべく適切な行動を取れることがサダムの器であった。


「はぁ……。それは、それはおそらく、封じられた記憶が戻ることの、ことの、苦しみではないかと……」


「……やはりな。どうやら我らは真実と対面せねばならないようだ。皆の者、顔を上げよ。これから起こる何からも逃げることは許されぬ。受け入れるか、跳ねのけるか、選択はそれだけだ。顔を背けて見ぬ振りすることは禁じる」


 王の言葉で、アドニスは顔をあげた。脳中は未だざわめきに満たされているが、王の言葉は何よりもアドニスを奮い立たせる。


 サダムたちの乗る艦は、隊列の先頭に位置していた。魂たちは迷いなく真っ直ぐにサダムたちへ向かってくる。そして遂に、その声が艦上へ届いた。


『お父様! アドニス! すぐに船を止めて!』


 この少女の声がこんなにも力強く周囲に響き渡ったのは、初めてのことかもしれない。その少女は自身の声を極力押し殺し、それどころかその存在を知っている者すらほとんどいなかった。


「その声は、私をアドニスと呼ぶ貴女の声は……。聞き覚えがある。でも何故? 思い出せない。それに、それに、お父様……? それは一体」


「アドニスよ、迷うな。痛みを芯の部分で理解しろ。余は思い出した。そして改めてぬしに言わねばならないことがある。今までは隠しておったがな。その魂――アフディテは、余の娘だ」


「あ……アフディテッ!」


 アドニスの瞳が強く開かれる。目の前に現れた少女が、自身の敬愛する王の娘であるということにも当然驚いた。だが、娘の存在を今この瞬間まで忘れていたことへの驚きの方がずっと強かった。そしてそれが死者の魂であるということを思い返した瞬間、再び頭痛に襲われた。


『落ちついて、アドニス。こんな事、私が言えた義理でないことはわかっているけれど今だけはそう言わせて。苦しいかもしれないけど、思い出して!』


「なぜ貴女が死霊に……なぜ、いつの間に死んだというのですか? 私はどうして、今まで貴女のことを……」


『脳の一部に細工をされたのかもしれない。でも、魂が覚えているはず』


『そうだ。思いだしてくれよ。このままじゃ、みんなフェニックスの言いなりだ。確かにウシャスを攻めること自体は以前からの計画だった。けど、それだって本当はフェニックスに仕組まれたことだったんだ。過去の戦争と今の戦争は違う。師匠ならわかるだろ?』


 師匠と呼ばれた男アクタインは、己が手にかけた弟子・バランの魂をじっと見つめる。


『相手が降伏すれば被害は出ないって言うかもしれないけど、この戦争に降伏なんて存在しないんだ。フェニックスが見つからない限り終わらない。戦争は終わっても、闘争が終わらない。そんなの本当にみんなが望んだ結末じゃないだろ!? そのための剣じゃないだろ!』


 若き剣士の声は、悲痛に満ちていた。

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