第264話・罵倒
「ようこそ、ウシャスの幹部ラクラ。そして群れを失くした野良犬よ。恐れることはない。今の私はお前たちの話を聞いてやってもいい気分だ」
二人を乗せたキツネは波の飛沫がかかりそうなほど水面近くを滑り、船に近付いた。ルクファールの招きに応じたわけではないが、初めから近づくつもりであった。大砲に狙われにくい位置を飛行しつつ近付いている。
そして二人と魔王が対峙した。しかしラクラとユタは船には下りず、キツネに乗ったままやや上昇してルクファールと同じ視点に立っている。金の髪を風になびかせ、ラクラは毅然とした態度で口を開いた。
「ルクファール・サイド。我々は……」
「待った。なぜお前が私の字を知っている? 私のファミリーネームはサナギやサナミですら知らないはずだが。ベールがテンセイに話したという可能性もない。あいつは私との血の繋がりを酷く疎ましく思っていたはずだからな」
「……遺伝的に青い髪を持った者は、このウシャスにおいては非常に珍しいことです。テンセイさんが、かつて貴方の弟から聞いた話を私にも教えてくださいました。ウシャス国の南部に住んでいた青い髪を持つ『紋付き』の兄弟。これだけの情報があれば貴方の過去を探ることは容易でした」
「フン。サイシャの島へ行く前に部下に情報収集を指示しておけば、なるほど今頃はとっくに素性が知られていてもおかしくないか。別に過去を抹消するような工作はしていないからな。だが、それが何だというのだ」
薄く嘲笑するルクファールの瞳がかすかに揺れ動いていることを確認しつつ、ラクラは続ける。
「何も。ただ少しでも敵の情報を得ようとしただけです。貴方の弱点や能力の秘密が少しでもわかればと思っていたのですが、特に大したデータは得られませんでした。精々フルネームと生い立ちがわかった程度です」
故郷にいた頃のルクファールは体が弱く、人前に出ることはほとんどなかった。また能力を披露する事もなかった。調べられたところでルクファールに不利となることは何一つない。
「話を続けろ」
ルクファールは顔色を変えず、それでも瞳の奥に少しだけ不機嫌そうな色を浮かべて言い放った。
「我々はゼブを止めるために移動している最中です。……このような場所に貴方がいるとは思ってもいませんでした」
「そんなことは見ればわかる。私はテンセイがゼブの広場にいることを知っているからな。それで、私を無視せずにノコノコとこの船へ招かれた理由は何だ。お前たちにとって私は出来るだけ避けたい存在ではないのか?」
「貴方を止めなければ、ゼブで何をしても徒労ですから」
ラクラにしてはずいぶんと冷淡な声だ。しかし言っている事は間違っていない。ルクファールもそのつもりで船を動かし、テンセイが追ってくるのを待っていたのだから。
「それで、どうやって私を止めるというのだ」
「無論」
ラクラの表情は少しも変化しない。変える必要がないのだ。ルクファールの存在を認識したその瞬間ではなく、そのずっと前の段階から、ラクラは覚悟を決めていたのだから。
「武力を持って。今ここで貴方を処刑します」
ラクラの手に光の銃が現れ、トリガーが引かれる。照準はとっくに定まっていた。ルクファールの頭部へ光の弾丸が走る。燦然と輝く太陽の下、ラクラの能力は最大限に効果を発揮することが出来た。弾丸は大気を焦がしつつ進み、ルクファールの残像を破ってその背後の扉にへぶつかった。
「いい決意だ。他の連中もそのぐらいわかりやすく行動してくれたら楽に済んでいたのにな」
ルクファールの声はラクラの頭上から降ってきた。空を覆う影から蹴りが繰り出される寸前、キツネが風を起こして後方に退いた。おかげで蹴りはラクラの髪をかすめるだけに終わったが、この程度で魔王が矛を収めるわけがない。
「しかし愚かだな。どうせなら、ここまで近づく前に狙撃した方がよかったんじゃあないのか?」
「遠くから狙ったところで、貴方に当たりはしないでしょうから」
「フン」
ルクファールは甲板の先端に着地し、ラクラを見据える。フェニックスの力を失い、炎を操ることの出来なくなったルクファールは、離れた敵を攻撃する力を持たない。船からわずかに離れたラクラやユタへ追撃をかけることは不可能だ。その右手が素早く動いた瞬間、ラクラの第二撃が放たれた。
「ほう」
余裕の残る瞳に、指で弾き飛ばした金縁のボタンが光に飲み込まれ、焼き焦げながら自分の方へ戻ってくる景色が鮮明に映った。首をひねってボタンと光を回避し、ルクファールは改めて衣服の胸元に手をやる。スーツに残ったボタンはあと三つ。周囲には大砲が装備されているが、出撃準備中のところを強引に出港させたため砲弾はまだ装填されておらず、甲板にも出ていない。軍人やサナミは先の命令によって船内に隠れている。――飛び道具になる物は乏しい。
「なるほど。島で対峙した時は単なる足止めだったが、今回は完全に私を殺すつもりでかかってくるというわけか。なるほど、なるほど。私はもう不死ではないからな。肉体は強力になっているとはいえ、脳や心臓を撃ち抜かれると死亡する」
自嘲気味に唇を歪めたルクファールへ、なおも光の弾丸が放たれる。ラクラはユタとともに風で船の周囲を旋回しながら次々と弾丸を撃ち込んでいる。右手の銃から放たれた弾丸をルクファールが回避した瞬間に左手にも銃を現し、連続の射撃で追い詰めた。
「私を舐めるな、カスごときがッ!」
左の銃から放たれた弾丸は、ルクファールの左手を撃ち貫いた。しかし正確には、ルクファールが自ら左手を撃たせたのだ。親指のつけ根付近にぽっかりと穴が開け、その縁は醜く焼けただれている。皮一枚でかろうじて繋がった親指がブラリと垂れている。肉の焦げる不愉快な臭いが、憤怒を露わにした魔王の鼻をくすぐる。
「今更お前ごときに何が出来るというのだ! お前の存在など、戦術など、無意味で無力で無価値だッ! 水泡より脆い希望に縋るな!」
腕を振り上げた拍子に、皮が千切れて親指が離れた。




