第236話・最終局面
不死の力を得た男をいかにして倒すか? テンセイはとっくにその答えを知っており、しかも一度実戦して成功している。能力を生み出す源であり弱点でもある、『紋』を破壊することだ。どれだけ強大な能力であろうと、元を断たれては意味を成さない。
「てめぇの『紋』は……右肩の後ろにあるな! さっき炎を出すとき、その辺りから光が迸ってるのが見えたぜッ!」
もう逃がさない。決着をつけるべき時は今だ。腹の探り合いも様子見も終わった。ルクファールを地面に殴り倒し、右肩を狙って突きを放つ。肉をえぐって裏側の『紋』を貫くつもりだ。
当然ルクファールはそれを拒む。間一髪で突きをかわし、脚を跳ね上げてテンセイの腕を蹴りつけ、捕まっていた右手を解放させた。『紋』を破壊されることは敗北を意味するが、同時にテンセイもまた、フェニックスの聖光を受ければ消滅してしまう。互いに一撃必殺の手段を有し、先に当てた方が勝利する。
ルクファールは地に背中をつけたまま応戦する。立ち上がろうとしているが、テンセイの猛烈な連打がそれを阻んでいる。大雨が降り注ぐかのような拳の幕は一見乱雑な連打に見えるが、そこには鍛練を積んだ武人でさえ容易には見極められない応酬がある。圧倒的な攻めと反撃が高速で繰り返されている。テンセイの拳を炎の右手で受け止めさえすれば、防御と同時に炎を送り込み、消滅させることが出来る。それがわかっているためテンセイは右手の動きに注意し、素早い反応で触れられることを避け、次の拳を繰り出す。
(テンセイ……! なぜコイツごときがここまで私を追い詰める! 神の力を手にしたこの私が、こんな男に遅れを取ったなど!)
ルクファールは炎を発射させない。この至近距離ならば命中させられるかもしれない……などという甘い考えは持たない。今のテンセイならば、この距離でもかわすかもしれない。もしも無理に発射して外してしまえば、その次の瞬間にはさらに激しいラッシュが待ち受けているだろう。確実な手段を用いなければ勝てない、と悟っていた。あくまでも直接触れて炎を送り込まなければならない。
二人の高速の応酬は、ほぼ五分五分の様相を示していた。どちらかが一手しくじれば、その瞬間に敗北が決定する。だが気力の満ちた二人は、どちらにもミスをする気配がない。そうなると先に気力の尽きた方が敗北を受けることになる。その点、テンセイには不屈の闘志がある。コサメを守り抜くという目標がある。仲間を支えるという決意がある。テンセイの心は、いかなる困難を目の当たりにしようと決して砕けない。それはウシャスの仲間や『フラッド』のユタにまで伝わった強い光だ。
一歩、ルクファールはどうか? ルクファールは初め、頂点にいた。サダムを始末して己の姿を現した時、この魔王に敵う者はこの世に誰一人として存在していなかった。そしてその力は微塵も衰えていない。生命と魂を操る能力による様々な秘法は凌がれているとはいえ、完全に破られているわけではない。幼少時より魂を背負うことで鍛えられた肉体は、全く疲労の色を見せていない。だが、何らかのきっかけがテンセイを変え、気がつけば追い詰められている。背水の域での戦いを強要されている。全力を出してもなお、いまだに目の前の男を倒せずにいる。ルクファールの自尊心はさぞ傷ついていることだろう。
――しかし、かといってこの男の心が折れているわけではない。ルクファールの精神は、非常にねじ曲がってはいるもののテンセイに匹敵する強固さを持ち合わせている。それは能力の重みや育った環境によるものではなく、ルクファール・サイドという”人間”がこの世に生まれた瞬間から備えているものである。
「”泣き面に蜂”という言葉があるが……あれはただ、不幸に不幸が重なる悲惨な様だけを表わしているのではない。身に迫る不幸を早めに克服せねば次の不幸が押し寄せるという、戒めの言葉だ! 私が真に越えるべきだった不幸はお前だった、テンセイ!」
魔王の右手がテンセイの鼻先へ向けて放たれる。テンセイは首をのけぞらせ、射程が及ばないギリギリの距離へ逃れる。熟練した動体視力は精密に拳の射程距離を見極め、また素早く次の攻撃に移るため必要最小限の動作で拳を回避した。
それがルクファールの狙いであった。
「なッ……!」
テンセイが短く驚きの声をあげ、思わずルクファールから離れた。その隙に魔王がゆっくりと立ち上がる。その右腕は、蛇のように長く伸びていた。関節を外して伸ばした、というレベルではなく、それどころか逆に、関節ごと腕が”増えていた”と表すのが正しいだろうか。肩から関節までの間に、もう一つ新たな腕が追加された格好だ。
「今更何を驚く。転生の力を使えば肉体の造形を変えることなど容易いことだ!」
次にルクファールの取る行動は、テンセイから距離を置くことだ。接近戦でも互角だが、距離を取りながらの戦闘なら圧倒的に優位となる。
「逃がすかよ!」
テンセイが追う。逃げる獲物を追うのはテンセイの得意とするところだ。二人の戦いはまたしても追撃戦へ。しかし、その様子は先ほどの接近戦と大差ない。猛追するテンセイに対してルクファールは魂の能力を使う余裕もなく、体術のみでの対抗しか許されないからだ。
二人の雌雄が今にも決しようとしている頃、至天の塔の一階、かつてテンセイが、そしてコサメの両親であるベールとヒサメが暮らしていた部屋の中で、ある異変が起こっていた。その部屋にはベッドが二つあるが、一つは派手に返され破損もしているため、使えるベッドは一つしかない。故に、意識を失ったリークウェルとユタは同じベッドに寝かされていた。無論、そうさせたのはラクラである。かろうじて息のある二人を安置出来る場所はここしかなかったのだ。
異変はリークウェルの肉体に起こっていた。全身のいたるところが焼けただれ、見るも無惨になった体の中で、顔に刻まれた『紋』だけは相変わらず紅く輝いていた。しかし、『紋』は唇の横にはなく、頬とアゴの境に位置していた。『紋』は、路上をミミズが這うようにゆっくりと一定のペースを保って首へと移動していった。




