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第226話・決別

 本来、魂というものは普通の人間の目には映らないものだが、特別に強力な魂となると別らしい。夢という餌で飼い慣らされ、強い執着を持った魂は誰の目にも映る光となって現れる。


「先に言っておくが、この魂はヤコウのものではない。……レンでもない。これはゼブ軍に所属していた、あまり優秀でない一般兵の魂だ。功名心は人並みにあるくせして大した実力もなく、初陣の戦であっさりと命を散らした愚か者だ。彼がホテルの中で見る夢は、名のある強敵を討ち倒して周囲から認められることだった」


 白紫に輝く魂がゆらりと宙に躍り出た。刹那、白一色の光がそれを貫いた。吹けば消えそうな淡い光を堅固な意思の光が包みこんだ。


「ふむ。こういう鋭い判断が出来る点は実に素晴らしいな」


 ラクラの銃口が再び吠える。光の弾丸は風や空気の抵抗を受けず標的へ直進する。次の標的は、ルクファールの手に浮かぶホテルであった。魂を吸い寄せる忌まわしい扉を光が貫く。だが、ラクラの期待した結果は現れなかった。水面の月に石を投げたかのごとく、光はホテルをすり抜けて彼方へと消え去っていった。その横には先ほどの魂が変わらぬ様子で浮かんでいる。


「狙いも正確だ。もしもゼブがウシャスに正面から勝負を挑んでいたら、お前は最大の障害となっていたかもしれないな。けれど私に比べれば、やはり段が二つ三つほど低いようだな。このホテルは決して破壊されない。……無数の魂を吸い寄せて保持する魔の館だ、その力の深さは私でさえ計り知れないよ。魂もまた然り。霊魂というものが単なる武器で攻撃できるはずがない」


 ルクファールが左手で木の幹に触れた。その指先から白い炎が立ち昇る。幽玄な魂の輝きとも、一直線なラクラの光弾とも異なる、神聖かつ高慢な光。神の炎が幹を燃やす。


「お前にこの魂を憑依させてやってもいいが、それよりも相応しい死に方をくれてやろう。青臭い大人にはこっちの方がずっと辛いだろうからなぁ。捨てた過去に襲われる方が……」


 炎は幹の一部分だけを燃焼させ、それ以上には広まらない。


 ラクラは引き金を引いた。狙いはルクファールの腕だ。魔王が何をするつもりなのか、その見当は容易についた。それは絶対に阻止しなくてはならない。


「お前の能力は……アフディテの能力に似ているな。ただ破壊するだけが能。砕けないものに対してはあまりに無力。これっぽちの破壊などより我が再生の力が遥かに上だ」


 光が腕を断つ。が、切り取られた手首が落下を始めるよりも早く、腕は再生して元の姿に戻っていた。数発の弾丸が連続で放たれ、魔王の肉体にいくつもの風穴を開ける。それでも儀式は止められない。


「お前に出来ることは何もないよ。今までのおしゃべりほんの少しだけ時間を稼げた、それで十分お前は働いた。後は精々この目を楽しませてくれ」


 炎の中へ、魂が吸い寄せられた。揺らめく炎の中で、幹の変形していく姿が影となって映る。それは見る見るうちに人型へ変わっていく。


「さぁ行けヤコウ! お前の取り柄が頭脳だけでないことを証明してやれッ!」


 令とともに炎の中から現れたもの。その背格好、その髪、その顔。紛れもないヤコウの姿である。植物を強制的に転生させ、他者の魂を注入して誕生した人形(ゴーレム)。フェニックスの造形は完璧だ。植物が素材であることを微塵も感じさせないほど精巧につくられている。


「その女はウシャスの幹部。見事討ちとればお前は英雄ぞ」


「う……」


 ヤコウが呻く。いや、ヤコウの姿をした生き物が。虚ろな目つきでふらふらと視線を彷徨わせたあげく、やがてラクラの姿を捉えた。一糸纏わぬ格好も相まって人間というより獣に近い印象を受ける。それでいて、この生き物を形容するにはヤコウの名を用いざるを得ない。


「うお、あああ……」


 人か、獣か。その中間の存在。ラクラはようやく、目の前の生物の正体を知った。これは赤子だ、と。この世に生まれたばかりの無垢な赤ん坊。自衛の手段も知らず、ただ本能のままに拙い手足と口を動かすだけのか弱い生物。


「無垢であるが故に染まりやすい。そして手足は立派に成長している」


 ラクラの思考を読んだかのようなタイミングでルクファールが言葉を落とす。能力は器が大きいほど早く育つ。今、ヤコウの肉体が持つ意思は――。


「ガァアアアッ!」


 ヤコウが高らかに吠えた。鋭い蹴りで枝を揺るがし、樹上からその身を投げ出した。飛び下りた枝から地表までは三メートル程。地面が柔らかな土とはいえ、頭部を打てば死に至る。危ない、とラクラが思わず口にしそうになった刹那、ヤコウが身を翻した。肉体の一部が地に触れるや否や素早く身を転じ、落下の衝撃を分散させたのだ。縦の衝撃を横へと捻じ曲げ、地を滑って木の根に衝突し、ようやく動きが止まった。元完全な技量には達していないものの、先ほどまでの呆けた様子と比較すれば遥かに俊敏な動作だ。


「彼が望むのはお前の死。その目的へ向けて、魂と肉体の結合が急速に進んでいるようだな。魂が、新しい肉体の操作を覚えつつある」


 ヤコウが立ち上がり、ラクラを見た。ルクファールの言葉通り、それはもう赤子の目ではなくなっていた。獣でもない。狂気に満ちた男の目だった。ヤコウの体の中で、二つの瞳だけが他者のものになっていた。


「さぁて、これで準備は完了だ。気をつけろよ。人間というのは、無意識の筋肉なんかにブレーキをかけて力を抑えているらしい。常に全力を出しているとあっという間に壊れてしまうからだろう。だがそのヤコウは抑制などしない。その肉体が持つ全ての力でお前を仕留めにかかる。だが、お前の銃で眉間を撃ち抜けばすぐに活動を停止する。そいつはすでに”完成品”で、ただの生き物だからな」


 言われるまでもなくラクラはすでにヤコウへ銃口を向けている。引き金に指をかければ、少なくとも当面の危機は確実に回避できる。


「過去との決別は、言葉で表すほど簡単ではないな」


 またしてもルクファールはラクラの心を読み当てた。

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