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第220話・魔王の旅立

 死者の肉体から放たれた魂は、夢に惹かれてホテルへ入る。このシステムが具体的にどのように作用しているのかはルクファール自身でさえ知らない。きっと魂だけにしかわからないのだろう。ただし魂を吸い集めることの出来るは範囲は非常に広く、ルクファールの住む町全体をカバーしているようだ。つまり、この町で肉体から放たれた魂は全てホテルへ導かれることになる。


『お前にはこの苦労はわからないだろう。町のどこかで虫一匹が死んだだけで、この体にかかる負荷は大きくなるんだぞ。想像がつくか? この町の中で、一日にいったいどれだけの生物が死んでいるのか。とんでもない数字だぞ。お前は道端に犬の死体が転がっていたりしたら大騒ぎするが、そんなものは無数に死んでいく命のたった一つだ』


 ルクファールの講釈は終わらない。これまで沈黙の人生を送っていたことの反動か、次々に言葉が溢れ出す。弟が意味を理解出来ているかどうかなど二の次だ。


『まったく厄介な能力を背負わされたものだ。もし運命の神とやらがいるとして、そいつがこの『紋』を与えたのだとしたら、今すぐにでも縊り殺してやりたいぐらいだよ。でもまぁ、扱いこなせるようになれば非常に面白い能力だけどな』


 手のひらに出現させていたホテルをしまい、ニヤリと笑ってみせた。


『ベール。いつまで盆を抱えてるんだ。その辺に置いとけよ』


 そう言われてベールは、自分が部屋に入った時から同じ体勢をとっていたことに気づいた。言われるままに盆を勉強机に乗せる。盆の上の粥はまだ湯気を立てているが、ベールの体はすっかり凍えていた。


『なぁ、ベール』


 ルクファールがベッドに腰掛け、話を再開する。


『お前、さっき家の話をしたな。これから引っ越す先は自然がキレイだとか』


『う、うん……』


『だけどな、そこへ行けるのはお前と両親、それといくらかの使用人だけだ』


 そう語るルクファールの瞳に憎悪の炎が宿るのを、ベールは見逃さなかった。そして言葉に含まれたあるニュアンスも感じ取った。


『……に、兄さんは……?』


『考えてもみろよ。あの人たちはとっくに見捨ててるんだぞ。こんな緊急事態に、眠ってばかりいる人間を連れていくものか。いくら血が繋がっていようと、連中はこの苦しみを理解しようともしない』


 あの人、とは父や母のことか。そうとしか解釈できないが、ベールは認めたくなかった。


『珍しい『紋付き』だからここまで育ててきたが、これ以上は面倒見きれないってところだろう。以前は一応、日に一度は様子を見に来ていたが……最近はそれすらもない』


『そんな……そんなこと、ないよ。お父さんもお母さんも、町が大変なことになってるから色々忙しくて……』


『お前は人を疑うことを知らないのか。まぁ、そうだろうな。お前は誰からも愛されているし誰もお前に嘘はつかないから、疑いを知らないことも仕方ない。だけど、世の中はいつまでもキレイなままではいてくれないんだ』


 憎悪の炎がより一層燃え上がる。瞳だけを輝かせて表情を変えないその姿は、とてもこの世のものとは思えない。


『幸福とか、夢とかってのは、その魂ごとに求める姿が違う。それは生前の生き方や性格が大きく影響しているのだろう。それでも、やはり至上の幸福となるとある程度パターンが決まってくる。美味いものを腹いっぱい食らいたいとか、誰もが認める英雄になるだとか。そうそう、ひたすら性欲に溺れるってのも多い。しかし一番多いのは、家族と平和に過ごすことだ。幼稚なことだが、本気でそれを求める奴は結構多いんだ。虫や犬だってそんなのがいるんだから、面白いだろ?』


 いったい何が面白いのか、ベールには少しも理解できない。


『子どもは親を、親は子どもを求める。中には親でありながら自分の子ども時代を回想する魂も少なくないが。それもまぁ、悪くない姿だとは思う。普通の生き物なら、そんな夢を見ることはむしろ健全だと言えるだろう。ところが我が家はどうだ。少なくとも、一部はそうでないよなぁ』


 ベールは、これ以上兄の言葉を否定することは出来なかった。言われてしまえば、確かに父の兄に対する態度は良いものではなかった。――言われるまでそのことに気付いていなかった。いや、もしかしたら気付いていたのかもしれない。ただ気付いていない振りをしていただけで……。そう思うと、ベールはもう何も言えないのであった。


『ベール。お前だけだ。この家の中で、お前だけが理解者だ。親など信用できない。いいや、この町に住む誰一人だって傍には置いておけない。誰も彼も、みんな下にしか見ていない。哀れな奴、不気味な奴、偽りも誇張もなく魂の奥底からそう思っている』


 ルクファールの舌に熱がこもり、文の構成が荒れる。もはや”語る”ことすら放棄し、ただ思い浮かぶ言葉を吐きだしているだけだ。


『誰も彼も、尊敬を求めている。自分が誰かに敬われることを望んでいる。自分たちはそう望んでいるくせに、他人に対しては平気で真逆の感情をぶつけてくる。蔑み、嘲り……反撃のないことをいいことに、最低辺へ位置づけてくれる。そこいらの虫ケラよりも低い位置へ。誰よりも苦しみ、乗り越えようと必死な姿に指をさして笑い物にする。魂の記憶を見たからわかる。誰の記憶の中でも同じだ。虫や獣は違うが、人間はみんなそうだ』


 すでに目はベールを見ていない。自分自身の内側を覗くかのように瞳孔を開き、ガリガリと指で頭を掻き毟りながら言葉を吐いていく。


 ここにいるのは、ただ劣等感に悩むだけの少年ではない。残酷な能力によって筆舌しがたい重みを与えられ、また他者が剥き出す欲望と本心を見続けてきたために真の絶望を知った生き物だ。


『だがついに全てを乗り越えた。もう誰にも(さげす)まれたりしない。思い知らせてやる。死者の魂だけでなく、この世に生きる全ての生き物に、真実を教えてやる』


 ひとしきり吐いた後、ようやくルクファールはベールに視線を合わせた。


『ベール。お前は唯一の理解者だ。今までは知らなかったが、今理解しただろう? お前だけは連れて行ってやる。これから作りだす、新たな世界に』


 ベールは何も言えなかった。ただ、恐ろしい兄に従うしかなかった。

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